【愛憎(1)】
恋人に腹が立つのはなぜでしょうか。
「他の人にはそんなに腹が立たないのに、恋人にはなぜかイライラして怒りをぶつけてしまうんです」
そんな人は少なくありません。
「好きな人だからいつまでも仲良くしたいのに、どうしてかいつも怒りをぶつけてしまい、相手に嫌な思いをさせてしまう」
と悩んでいる人は、ことのほか多いと思います。
「嫌いな人に腹が立つのなら分かる。でもそうじゃない、
好きな人なのに、愛しているのに、どうしてこんなに腹が立つのだろう」
と首をかしげるのでしょうが、これは何もおかしなことではありません。
【愛しているからこそ怒りも出てくる】ものだからです。
仏教ではこれを『愛憎』といいます。
愛と憎しみは紙の表と裏のような関係だと、ブッダは説かれています。
愛し、信じ、たよりにし、支えにしているからこそ、
分かってくれないとショックを受けるのだし、
裏切られたら腹も立つし、悲しくて仕方なくもなるのです。
愛する気持ちが弱ければ、裏切られた怒りも小さいです。
支えにし、たよる気持ちが少なければ、
相手の気持ちや言動にもさして傷つきません。
立ち直れます。
立ち直れないのは、ぞっこん好きになった相手に裏切られたときです。
「この人なら」と自分の気持ちを寄せると、
とたんに相手の言動に敏感になります。
「自分はこんなにあなたのことを考えているのに」
「そのために相当、他のことを犠牲にしているのに」
それなのにあなたから「こんなことをされた」「こんなことを言われた」と苦しくなるのです。
これは恋人だけではありません。
「この子のためなら」と愛して育てた子供が
自分に対して暴言を吐いたり、無視したりすると、腹が立って仕方なくなるのも、
『愛憎一如』です。
会社、上司に腹を立てたり、組織の体制に憤りを覚えるのも、同じです。
上司や組織に過剰に依存しているからです。
あまり一人の人を強く依存すると、
相手の言動にいちいち一喜一憂したり、怒ったり、泣いたりして気持ちが保てないので、
一人の人を愛さず、他の人ともつきあって、
気持ちにバランスを取るようにしています、という人も少なくありません。
この『愛憎一如』の人間の実態を知ると、
「愛」は私たちに喜びを与え、幸福を支える、大切なものですが、
同時にそれは「憎」を引き起こし、不幸や涙の元となりうるものだとわかります。
ではこの『愛憎一如』の私たちの人生に、
真に頼りになるもの、支えになるものがあるのでしょうか。
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