親鸞に学ぶ幸福論

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「生きる」とは何らかの信者である、と説く仏教の人生観

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信心と聞くと、宗教をイメージする方が多いことと思います。

 

「あんた、何を信心しとる?」と尋ねられれば、

「わしは金毘羅様じゃ。」とか

「オラの村は八幡様を信心しとる」とかいうように

お年寄りが縁側で話す時に出てくる単語が『信心』という言葉であって、

およそ若い自分には縁のない言葉だ、

とくらいに思っておられる方も多いことでしょう。

 

しかし『信心』という言葉、よくよく検証してみると

「【心】で何かを【信】じる」ということですから、

特定の宗教を信じるだけを指している言葉ではありません。

 

メディアで震災以降、

「ニッポンの未来を信じてる」と口々に語られますが、

これも一つの信心です。

 

金さえあれば楽になれる、と働いているのは

金信心。

いい大学に入ったら幸せなんだ、と思えば

学歴信心。

保存料のない食材にこだわり、体を大事にしているのは

健康信心。

A男くんが振り向いてくれさえすれば、と悶々としているのは

恋愛信心。

明日も生きておれる、と思っているのは

寿命信心。

 

健康オタクとか恋愛体質とか学歴志向とか

言い方はいろいろですが、

全ての人はこのように何かを信じて生きています。

 

生粋の共産主義者は、唯物論で神や仏を否定しますが、

それにしたって共産主義という思想を信じているのです。

 

「信じる」とは言い換えれば

「たよりにする」「力にする」「支えにする」

ということです。

人は何かたよりにし、支えにするものがなければ

生きてはいけません。

何かの信心を持たなければ生きてはいけないのです。

 

先日、こういう話をしていると

「人を信じるとその人に振り回されるから

自分を信じるのはどうですか?」

と尋ねられました。

 

それにしたって、自分のを信じるのか、ということですから、

自分の才能を信じる

自分の美貌を信じる

自分のものの考え方を信じる

となります。

 

人には振り回されなくても

才能が枯れることに狼狽し、

美貌が衰えることに動揺し、

自分のものの考えが通用しない事態にうろたえる、

といったこともありましょう。

 

何を信じるか、どんな信心を持つか

これはその人の人生そのものを問うことになります。

 

明日に続けます。

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