親鸞に学ぶ幸福論

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デモクラシーを窒息させるものとは

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【出世本懐(1)】


フェイクニュースの危険性について、

最近取り沙汰されるようになりました。

オバマ元大統領が、昨年11月の記者会見で

事実無根の「ホラ」や「騙り」を流布する

“post-truth”といわれるフェイクニュースの隆盛を、

「デモクラシーを窒息死させるもの」と強い憂慮を示しました。

 

そのフェイクニュースの温床として指摘されるのが、

フェイスブックなどのSNSです。

確かに真偽が定かでないが、非常に目を引く情報が、

私のフェイスブックにも飛び込んできます。

「本当かい!?」とついクリックしてしまいます。

SNSで次々とシェアされて飛び交う情報は、

発信源が特定できず、実に無責任な記事ですが、

「マスコミが明かさないここだけの真実」という触れ込みが、

かえって信憑性を演出するのか、

使命感に燃えてシェアする人も多くあります。

今後ますますこの傾向は高まるでしょう。

それがアメリカ大統領選にも明らかな影響を及ぼしましたし、

それどころか、トランプ自身が「マスコミは嘘」と公言し、

自身のSNSのつぶやきで世界を振りまわしています。

 

寝返りのウソ情報を敵の城下に流したりして、

敵を疑心暗鬼にさせたりするのは、

武田信玄や徳川家康が得意としたところですが

今や国規模で、世界規模でそんな戦略が立てられています。

 

さればといってテレビ、新聞などのマスコミが信用できるか、

といえば、わずかな「大富豪」が世界の富を独占、

といういびつな世界ですから、

それらの大富豪の都合のいい情報の操作がなされていることは

明らかです。

ではどの情報を信じていいか、

ますます不透明さの増す時代になってきました。

 

情報を取捨選択する確固たる基準が自分の中にないと、

あっという間に大衆の勢いに流されてしまうか、

あちこちの情報に付和雷同で機を逸するだけになるか、

になるでしょう。

特に世界中で巧みな情報操作が飛び交い、

大衆がものすごい勢いで一気に一つの方向に流れていく現代では

なおさら自己の判断基準となる柱を築くことに

真摯に取り組むべきです。

 

その時には、

「何のために生まれてきたのか」

「何をすれば人生悔いなしといえるか」

という自己の哲学から始めなければならないのは

ハッキリしています。

 

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生まれては苦海、死しては浄閑寺

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生死の苦海(1)】


江戸時代、吉原で働いていた遊女たちが口にしていた言葉に、

「生まれては苦海、死しては浄閑寺」

というのがあります。

浄閑寺は吉原の近くにある寺ですが、別名、投込寺といいます。

吉原の遊女が亡くなると、荒ムシロに包まれ、

この寺に投げ込まれたからだそうです。

 

家が貧乏なので身売りされ、吉原で働くようになり、

病気になるとろくに看病をしてもらえず、亡くなれば葬式もなく

粗むしろにくるまれていく・・・

まさに苦海の波に翻弄される一生で、

死んでなお、投げ込み寺に荒むしろで投げ込まれるその悲哀を

「生まれては苦海、死しては浄閑寺」

と言われたのでした。

 

自己の運命をうらんだ遊女も多かったでしょう。

「何のために生まれてきたのか」

「苦しむために生まれてきたようなものだ」

「なぜこんなに苦しいのに生きねばならないのか」

生きる意味を心底悩んだ人もあったことでしょう。

 

その昔、法然上人が土佐に向かわれる途中、

船中である遊女が、仏教を聞きたいとお願いした

という記録があります。

70を越えられた老上人でしたが、

親身に弥陀の救いを切々と説法され、女は感泣したとあります。

 

『仏の慈悲は苦あるものにひとえに重し』

苦しみ悩む人が仏の正客です。

 

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ブラックバイトとパワハラの報道に家康の忍従を思う

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精進(1)】


コンビニのバイトで、恵方巻きのノルマの責任を取らされ

自腹を切って買い取りさせられることが問題になっていましたが、

あのニュースを聞いて、思ったことを今日はお話しします。

 

コンビニであんなことを強要されたら、

「知ったことか」「嫌だ」「It's not my business!」

と断ればいいだけのことで、

なんなら「出るとこ出ましょうか」でもいい。

人間関係悪くなって居心地悪くなるなら、

バイトを辞めれば済むことです。

 

しかしこれが会社のサラリーマンとなると、

そんなわけにはいかず、理不尽なノルマを課せられても、

責任を取れ、と怒鳴られても、簡単に辞職できませんから、

「嫌だ」とも言えない、

「It's not my business!」という威勢のいいことも言えず、

「出るとこ出ましょうか」というわけにもいかず。

大人になり、家庭を守る立場にもなれば

理不尽なこと、屈辱的なことにも耐え忍び、

その中したたかに生きていく力も身につけなければなりません。

 

しかしそれも、戦国武将の苦悩を

小説や大河ドラマなどで見たり読んだりすると、

まだまだ現在のサラリーマンは幸せだな、と思わされます。

戦国武将というと、一見武骨で気の荒い、

神経の太い者のイメージがありますが、

歴史を学んでみると、こまめに隣国、遠国、上司に、部下にと

贈り物をしたり、手紙を書いたり、その家族にまで愛想良く接し、

実に細かい配慮をしている姿が見えてきます。

それだけ厳しい世界だったということだと思います。

主君に好かれたら、その鶴の一声で領土が倍増したり、

一族郎党、大切に扱われますが、

軽んじられたり、信用を失えば、

家族を人質に差し出せと言われたり、

切腹を命じられるのですから。

 

ちなみに徳川家康は今川家の人質だった頃は

戦の際は常に一番犠牲が出る城や砦攻めの先鋒を命じられ、

独立して三河の領主となってからも、

信長に睨まれ、命じられるまま、

断腸の思いで我が子を切腹させています。

 

現代では上司に好かれず、信頼されなければ

出世が遅くなったり、左遷されることはあっても、

殺されることや人質に取られることはありません。

あまりにブラック体質の会社なら、

国の法律で守られていますから、

「出るとこ出ましょうか」もあり、です。

戦国武将のさらされていた過酷さと比べたら

何ということもありません。

 

戦国武将たちが、不条理な運命の怒濤にさらされながら

屈することなく、細い糸をたぐり寄せていくように、

勝利に向けて進んでいくあの執念、忍耐、繊細さ、剛胆さ

などからは、重い責任を背負って生きる者の強い覚悟を感じ、

時に襟を正され、励まされもします。

 

 

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どんな先見性のある人でも見落としている「人生の死角」とは

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生死の一大事(1)】


私は毎日のメルマガを、朝8時に配信されるように、

前日に書き上げ、配信予約しています。

今から約6年前、東日本大震災のあった3月11日も、

午前中に、翌日の朝8時に配信されるメルマガをセットしてから

昼に浦安で人と会い、その浦安で地震が起きました。

 

交通機関が麻痺する中、なんとか帰宅したのが夜中の1時。

翌朝、配信予約していたメルマガが、

読者の方に一斉に配信されました。

その内容は夫婦間の人間関係の内容でしたので、

配信された後、何人かの読者の方から

「こんな国難の時期にあなたはこんなことしか書くことないのか」

とお叱りいただきました。

確かにご指摘の通りで、夜中に帰宅した後、

配信予約解除しなければならなかったと反省いたしました。

 

配信予約は便利なのですが、予約した後に

思いも寄らぬ大事(全てのテレビがその報道一色になるようなこと)

が起きて、国民の関心がそれ一つになったような時に、

不適切な内容を配信してしまうこともありますので、

気を付けなければなりません。

 

場合によっては、配信予約してから、

みなさんのお手元にメルマガが届く翌朝8時までの間に

私が不慮の事故などで「死ぬ」ということもあり得ます。

そうなると、死んだ人から、

「おはようございます、菊谷隆太です」と届き、

「最近、何々に凝ってます」とか

「今月はこんなことに心がけます」とか、

近況などの書かれた内容をみなさんは読まれることになるのです。

 

縁起でもないことを、と思われる方もあるかも知れませんが、

一億総情報発信時代で、SNS、ブログで自らの日常を

発信する時代ですから、今後そういうことは

「よくあること」になっていくでしょう。

 

以前、ガンにかかった人から聞いたことですが、

その方は治療していた時期、励みになるからと、

ガンの闘病患者のブログを読み始めたそうですが、

ブログが突如終わったりすることがあったそうです。

その後、家族が代筆して本人の死を書き込んだりすることがあり、

怖かった、と言われていました。

 

つい先日も18歳のアイドルの急死が報道されましたが

亡くなる前日もSNSで近況をアップしていたとのこと。

毎日「どこへ行った」とか「何食べた」とか、

「今度こんな仕事します」とか、「今後の目標はこうだ」など

アップして、彼女の日常が連綿と流れていたそのSNSは、

突然ぷつんと断ちきられました。

 

SNSには、その人の言葉と写真とで、その人の日常が綴られ、

一人一人に、人生のドラマが次々と展開されていき、

時にそれを見て応援したくなったり、憧れたりします。

ただ映画やテレビのドラマと違うのは、ドラマなら、

クライマックス、エンディングと進んで一件落着ですが、

現実の人生の場合はそうではない、

何の前触れもなく、死によって突然終わるのです。

没頭して観ていた映画が、突然の停電で終わってしまうように、

テレビで観ていたドラマが、突然、誰かにコンセントを抜かれて

終わってしまうように、

「今からいいとこだったのに」といった、こちらの都合は

全くお構いなしに、人生は終わるのです。

その突然の瞬間はいつやってくるか、誰も予測が立ちません。

 

昨日から今日、今日から明日、

昨年から今年、今年から来年と

私たちが進む人生行路の前途には、目先のことでも、

やりたいこともあれば、やらねばならないこともある、

長期的展望に立って、目指す目標や準備している案件もあり、

あれこれ智恵を絞って進んでいくのですが、

その私たちの背中に「死」が隠れています。

ぴたっと後ろに寄り添って、ある瞬間に、

それは突如眼前に現われるのです。

しっかり先を見据えて真摯に人生行路を進んでいる人でも

見落としている、いわば、人生の死角です。

だから皆、全くの想定外の事態に、

ただ呆然自失するしかないのです。

 

シッダルタ太子(のちのお釈迦さま)が、

人生の死角となっている「死」の大問題に驚き、

その解決の道を求めて城を出られたのが29歳の時でした。

そして35歳、その生死の大問題を解決されて

ブッダとなられ、説かれた教えが仏教です。

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キリスト教の神と、仏教の仏とは、どこがどう違うのか

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【仏(1)】

 

仏教講座でよく聞かれる質問に

「神と仏はどう違うのですか」というのがあります。

「神仏」という単語もあるので、

同じようなものだろうと思っている人が多いようです。

「神」と「仏」はどう違うのか、これを知ることは

仏教を学ぶ上で大切ですから、大事な質問です。

 

仏教では「仏」といい、キリスト教では「神」といい、

いずれも「大宇宙の偉大なパワー」に名付けられたんだよと

訳知り顔で語る人もいますが、そんなことを言うのは

「私は仏教にもキリスト教にも無知です」

と告白しているようなものです。

仏教をきちんと学んだ人はそんなことを断じて言いませんし、

キリスト教をきちんと学んだ人もそんなことは言いません。

仏教で説かれている「仏」とは何か、

キリスト教の言う「神」とは何か、

基本的な理解を知るだけでも、

神と仏は全く違うことは明らかです。

似ても似つかぬほど違います。

 

ではどう違うのでしょうか。

仏教では一口に「神」といっても、三通りあると教えられています。

【1】天地創造の神

【2】鬼神

【3】諸神

 

【1】の「天地創造の神」とは、この世の創造主であり、

一切の運命を司る存在として語られる「神」です。

旧約聖書にある「神」、

キリスト教、イスラム教の「神」はこれですから、

今日の人類の多くが「神」と言っているのは

この「天地創造の神」を指していう場合が多いでしょう。

ちなみに仏教を説かれた釈迦は

この「天地創造の神」を否定されています。

この世界もだれかが作ったものでもなけれは

支配しているものでもない、と説かれています。

 

【2】鬼神とは、死んだ人間や動物の霊魂が

生きている人間に禍福を与える力があるとし、

神として崇められ、恐れられているものです。

それらの霊魂が社や大木や巨岩などに鎮座しているとされ、

どうか恵みがあるように、祟られないように、と祀られるものです。

日本神道の「神」はこれにあたります。

ちなみに仏教では、この「鬼神信仰」も否定します。

 

【3】「諸神」といわれるもので、

仏教を守護する存在として仏典に説かれている神で、

帝釈天や梵天などいろいろあります。

【1】【2】と違い、お釈迦さまが教えられている神です。

ただし、私たちに禍福を与える存在でもないし、

手を合わせ礼拝する対象ではないと説かれています。

 

これら「神」についてくわしく話すると時間がかかるのですが、

今日世界で最も大きな影響を与えている三大宗教の二つ、

キリスト教やイスラム教の「神」である【1】について、

ちょっと詳しく語ってみようと思い立ちました。

「神と仏の違い」と題して、

10回分にわたる動画をアップしました。

1回分が5~8分です。

http://u0u1.net/BsEC

簡潔に神と仏の違いが分っていただけるのではないかと思います。

 

仏教の布施の一つ、言辞施とは

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【布施(2)】


仏教で教えられる『布施』の一つに『言辞施』があります。

優しい言葉をかける布施の行です。

 

大学時代、ある友人と相談してアパートの部屋をシェアして

生活することにしました。

つまらん理由から、その友人と仲が険悪になることもあり、

最初のころは「寝食共にするのはきついな」とよく思ったものです。

 

そんな生活の中から会得したのは、挨拶の大切さです。

朝、始めて顔合わせたら「おはよう」

帰ってきたら「ただいま」

それに対して「おかえり」

寝るときは「おやすみ」

何か取ってくれたら「有難う」

これが大事です。

家庭でも職場でもきわめて大事なポイントだと思います。

 

そんなの基本的なことで簡単じゃないか、

と思われるかもしれませんが、

分別つく社会人でもできない、難しい事です。

「○○ちゃん、こんにちは、は?」

と幼稚園のときに最初に学ぶことですが、

大人になっても身につかない、なかなかできないことです。

「こんにちは」が「こんちわ」それが「ちわっす」に

やがて「首をふるだけ」

しまいには「何も言わない」となりがちです。

 

何かむかつくことがあっても、口げんかしても

最低限あいさつだけは死守しなければ

何事もキツイ環境になっていきます。

 

挨拶が交わされる日常はとても心地よいものです

仏教では「言辞施」といって、優しい言葉をかけることが

布施の一つとして教えられています。

まず、あいさつから。

相手への目線を忘れて自分本位の話ばかりしてしまう

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【布施(1)】


新任教師が初めて赴任した小学校で、

最初に担当したのが6年生のクラス、

次の年に担当したのが1年生のクラスだったそうです。

1年生のクラスの最初のホームルームの時間に

「分かった人は挙手して下さい」というと、誰一人反応がない。

どうしてかと戸惑い、ハッと気付いたその教師、

「分かった人は手を上げて下さい」と言い直すと、

今度は皆、手を上げたとのこと。

6年生に分かる言葉でも、1年生には分からないことを

わきまえていなかった失敗です。

 

私はホームページや動画を作成する際、

わからないところをネット上のマニュアルを読んで

勉強することがありますが、

何しろ説明の文章に特殊用語が次々と出てきて、

よく分からず、イライラします。

これ、わざと読むの諦めさせるために書いているのかな

と邪推したくなるほどです。

おそらくそれらの専門用語も、書いている人には、

日常的に使っている一般用語なので、なじみすぎてしまって

分かりにくい思いは全くないのでしょう。

 

私も仏教の教えを伝える際、それが説法であれ、

こうしたブログやメルマガの文章であれ、

よくよく気を付けねばならないことは、このことです。

ついこちらが知っている仏教の言葉や教えを、

皆知っているかのように錯覚して、話を進めてしまうのです。

相手の立場に立てば、この言葉は適当か、

ここまで話して大丈夫か、配慮が及ぶのでしょうが、

ついつい自分本位の話をしてしまうのです。

 

仏教に教えられる善行の第一に挙げられるのが『布施』です。

『布施』とは、相手に与えること。

常に相手の立場に立って言動を考えるのも『布施』です。

仏法を伝える時は、相手が受取りやすいように

常に相手に慮り、話していく『布施』の精神に

心がけていけるよう、反省していきたいと思います。

 

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