親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

幸福になるのは一瞬で事足りる、と説く仏教

f:id:kikuutan:20170204214552j:plain

 

【平生業成(1)】


仏教は一貫して

【結果には必ず原因がある】

【原因なしに起きる結果は絶対にない】

と教えます。

平たい言葉で言えば、

「まいた種は必ず生える。まかぬ種は絶対生えぬ」

ということです。

これが「因果の道理」という、仏教の根幹を成す教えなのです。

 

結果が異なるのは、原因が異なるからです。

一方はスイカ、一方はメロン、と実った果実が違うのは、

まいた種が違うから。

「まいた種」という原因が異なるのですから、

生じた結果が異なるのは当然です。

 

「なんであいつは恵まれるんだ」

「どうしてオレだけこんな目に」

と受ける運命の違いに首をかしげる人はありますが、

その差は、その人その人の種まき(行為)が違うからです。

十人十色、みな種まき(行為)が一緒ではありませんから、

一人一人違った運命が生じるのです。

 

「ではオレが不幸なのは、不幸になるような種まきを

 オレが過去にしてきたからというのか」

と訊いてくる人があれば、

「その通りです」

と仏教は答えます。

 

「じゃあもう過去に戻ることはできないから、

 そんな種まきをしてきたオレは、ずっと不幸なのか」

と訊かれれば、

「それは違う」

と仏教は説きます。

 

なぜなら、これから先ずっと不幸かどうかは、

今からの種まきによるからです。

これを『因果経』には、

「未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」

と説かれています。

 

過去は変わりませんが、

未来は現在によって変えることができます。

特に仏教では、現在ただ今

「ある心」が「ある心」にガラリと変われば【原因】、

その時その場で、壊れることのない絶対の幸福になれる【結果】

と教えられています。

 

また先ほど、「過去は変わらない」と言いましたが、

「過去の持つ価値を変える」ことはできます。

過去に流した悲しみや後悔の涙の一切も、

この身になるための出来事だったのか、と

真珠の玉となって戻ってきますから、一切の過去に感謝できます。

自分の過去にかけがえのない価値が生じるのです。

だから【現在】こそ、

【過去】と【未来】を輝けるものにする鍵なのです。

 

私たちは過去からずっと

「私を幸せにさせない心」を抱えています。

その心が現在ただ今、闇が晴れるように

ぱっと無くなったとき、

絶対の幸福に心が生まれ変わります。

これを親鸞聖人は「平生業成(へいぜいごうじょう)」

といわれました。

【平生】生きている現在に、【業】「人生の目的」が

【成】完成する、ということです。

仏教は生きている現在の教え

幸福になるのは一瞬で事足りるのです。

 

=========

親鸞聖人の教えられた幸福になる方法を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

モンスタークレーマーへの対処法を釈迦が説かれている

f:id:kikuutan:20060201034058j:plain

 

【口業(2)】


「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬよう気をつけるがいい」

とは、ニーチェの言葉です。

他人の欠点をずけずけと批判する人は、どこにでもいるものです。

そんな人は教師や店員から、

モンスターペアレント、モンスタークレーマーと恐れられます。

それらモンスターたちに、むきになって非難中傷の応酬となれば、

いつしか自分の心も荒み、

自分もまたモンスターに変貌してしまうでしょう。

 

お釈迦さまにこんな話があります。

あるとき、外教徒の若い男がお釈迦様の所にきて、

さんざん、悪口を言った。

黙って聞いておられた釈尊は、

彼が言い終わると、静かにたずねられた。

「おまえは、祝日に、肉親や親類の人たちを、

招待し、歓待することがあるか」

「そりゃ、あるさ」

「親族がそのとき、おまえの出した食べ物を

食べなかったらどうするか」

「食わなければ、残るだけさ」

「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、

その悪口雑言は、だれのものになるのか」

「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」

「いや、そういうのは与えたとは言えない」

「それなら、どういうのを受けとったといい、

どういうのを受けとらないというのか」

「ののしられたとき、ののしり返し、

怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。

闘いを挑めば闘い返す。

それらは与えたものを受けとったというのだ。

しかし、その反対に、なんとも思わないものは、

与えたといっても受けとったのではないのだ」

「それじゃあなたは、いくらののしられても、腹は立たないのか」

釈尊は、おごそかに、偈(うた)で答えられた。

「智恵ある者に怒りなし。

よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。

怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」

「私は、ばか者でありました。どうぞ、お許しください」

外道の若者は、落涙平伏し帰順した、といわれています。

 

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

笑う者も続けて転ぶ雪の道

f:id:kikuutan:20170202203638j:plain

 

【口業(1)】


今の季節、積もった雪や凍った道に

足をとられることも多いです。

北国の冬を私もまだ慣れているとは言えませんので

転ばないよう、気を付けたいと思います。

 

「笑う者も 続けて転ぶ 雪の道」

という歌があります。

雪道を歩いているとき、目の前で転んだ人を見て、

ああ、転んじゃって。気をつけないから……

と笑った人が、やはり同じところですべって転ぶ、という歌です。

 

首相や大臣の失言により、辞任に追い込まれるのを

もう何度繰り返し見ていることでしょう。

「○○大臣の発言は人間としての品格にかける」

とコメントしていた政治家が

やはり閣僚になって、同様の問題発言をしている。

 

転びやすいところでも、自分は大丈夫とうぬぼれて、

続けて転んでいる雪の道さながらです。

 

いや、そのようにニュース見て大臣の問題発言を笑ったり、

非難している私たちも、

問題発言をして職場での支持率が落ちたり、

家庭での失言で家族から辞任勧告を受けたりしますので、

これまた他人ごとではありません。

自戒してまいりましょう。

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

甘すぎず、コクもあり、キレもあり、見た目もよく

f:id:kikuutan:20170201211148j:plain

 

【渇愛(1)】


チョコレートパフェの名前の由来は、

アイスクリームに、チョコ・生クリーム・果物が

添えられたこのデザートが考案されたときに、

これ以上完全なデザートを作ることはできないだろうと、

フランス語で「完全」を意味する(parfait)と

命名されたそうです。

 

ところがパフェ(完全)どころか、

それからのスイーツも、もっと美味しくと、

研究工夫が重ねられ、今に至っています。

 

ケーキの不二家は、より美味しい味を求めて

研究開発に年間3億円かけているそうです。

「ホームパイ」は、よりさっくりとした食感、なおかつ、

さらなる口どけのよさの両立の追求がテーマだそうです。

 

セブンイレブンの人気商品「とろりんシュー」は

開発社員が何十回と試食し、客のデータを分析し、

「とろりん」具合を毎年変え、

クリーム粘度を専用センサーで測定し、

常に改良を怠らないとのこと。

 

今日のお菓子は甘すぎず、コクもあり、

キレもあり、見た目もよく、

あったかいのから冷たいのまで、

新食感も毎年のように発売され・・

ところがどこまでいっても、スイーツに「完成」はありません。

 

スイーツを引き合いに出しましたが、食のすべてそうですし、

衣類も、住居も、はたまた政治、経済、医学、科学・・・

欲しいものを次から次へと獲得している人間の営みですが、

際限なくひろがる欲望に、どこまで走っても満たされず、

渇しているのが私たちといえましょう。

これを『渇愛』と、仏教ではいわれます。

 

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

人生は後戻りできない選択の連続

f:id:kikuutan:20170131201751j:plain

 

【遇法(2)】


元日のテレビに、この寒いのに、

滝行する修験道の行者がでていましたが

元旦だけでなく、一年中、山にこもって山伏のような格好をして、

修行に励んでいるそうです。

そのテレビを見たとき、ふと私自身、高校時代に、

将来は比叡山か高野山に登って修行でもして心を鍛えれば、

何事にも動じない強い心になれるのかなと考えていたのを

思い出しました。

 

もし一歩間違えれば、今ごろ同じように滝行して、

「冷てえな、嫌だな、でも俗世の人より相当鍛錬しているからな」

とわけのわからない自負心だけ持って、

結局一生、何が幸福なのかも曖昧模糊としたまま、

虚しい一生を終えていたことでしょう。

 

あなたは人生の岐路に立たされた時、

もしこちらを選ばず、あちらの道を選んでいたら、

今頃自分はどうなっていただろうか、

と考えられたことはありませんか。

「もしあの時、あの人と結婚していたら」

「あの時、あちらの会社を選んでいたら」というように。

今さら「もし」はないよ、と言われればそれまでですが、

ふと考えてしまうものです。

 

大きな人生の岐路もありますが、

考えてみれば毎日が小さな選択の繰り返しの連続です。

何を食べるか、どこへ行くか、誰としゃべるか、

あなたもいつも選択しているのです。

【人生は証明ではなく、選択の連続である】

この人と結婚できたら幸せになれると証明してから、

プロポーズすることもできず、

この職場で満足できると証明されたから、

この会社に入るというわけにもいきません。

私たちは選択するしかないのです。

たった一度しかないかけがえのない日々を、

取り消すことのできない選択を繰り返して

私達は生きている、ということです。

 

私なら大きな選択だったと思い返すのは、あの時です。

友人から「仏法の講演会あるけど行く?」と誘われた18歳の時。

「ひまだからいいか」と何気なく選んだ「いいよ」の一言が

私の人生の決定的な岐路でした。

どうして期せずして人生の師とお遇いすることができたのか、

親鸞聖人の教えに遇えたのか、

どうして自分なのか、ただ不思議です。

 

親鸞聖人は 教行信証に『遠く宿縁を喜べ』といわれています。

遠い遠い過去世から結ばせていただいた仏縁なんだよ

と教えられています。

 

 

 

=========

親鸞聖人の教えられた生きる意味を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

大久保利通の暗殺された年齢を知って思うこと

f:id:kikuutan:20170130212812j:plain

 

【遇法(1)】

 

■大久保利通が暗殺されたのが48歳だったと知り、

「そんなに若かったのか」と新鮮な驚きがありました。

大久保暗殺の年齢については、歴史の資料や小説などで

受験生時代にも、その後も何度も目にしたはずですが、

その時には気にも留めませんでした。

今になって驚きを覚えるのは、

自分がその年に近づいたからでしょう。

明治政府の重鎮で、国策を強力に牽引し、

西欧列強とも渡りあった威厳、迫力から

明治の大久保にはいつしか老成したイメージを持っていましたが、

「そんな年齢だったのか」と思った次第です。

 

■当然ながら、この驚きは「お前はどうだ」という

自己批判を伴うものです。

大久保の能力、努力、胆力、いずれも

自分とあまりにもかけ離れていることに

忸怩たるもの、絶望感に似た思いがあります。

 

■自己啓発では、よく聞かれる質問、

「あなたは自分を好きですか」との問いに

「好きです」と答えられないようでは、

まだまだわかっていないと、失格の烙印を押されるのでしょうが、

私は自惚れた男ではあっても、

「自分が好きだ」とはちょっと言えません。

尋ねられれば、いささかな躊躇を覚えながら、

「嫌いですかね」と言ってしまうでしょう。

 

■しかし自分の遇えた環境、今生で巡り遇ったご縁については、

「これ以上はないです」「二度とやり直したいとは思えません」

と答えます。

我が身に起きている不思議な身の幸にいつも感泣しているからです。

何度生まれ変わっても、こんなご縁はありえないと確信しています。

 

■親鸞聖人は主著、 教行信証

「極悪最下の親鸞が、

 どうして遇い難きインド、中国、日本の高僧方の

 ご教導に遇えたのか」

とあふれる喜びを語っておられます。

仏の教えに遇うとは、「身の幸何にたとうべき」。

大変な、大変なことなのです。

 

 

 

=========

仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

「未来が見えないから死にたい」と自殺を思い詰める女性への親鸞聖人の答え

f:id:kikuutan:20170129194417j:plain

 

【生死の苦海(2)】


親鸞聖人は人生を海に例えられて

「生死の苦海ほとりなし」といわれています。

「人生は、苦しみの波が次々と襲う海のようなもの」

と言われています。

「海」には大波、小波あれども、波の絶える時がないように、

人生は、死にたくなるほど大きな苦しみが襲う時もあれば、

何もない時でも、目覚まし時計で起こされるとか、

車の渋滞とか、小波ほどの苦しみは毎日あります。

 

「湖」なら風の吹く日には波が立ちますが、

無風の日には鏡のように静かです。

人の一生は、不安、不満が何一つないという時はないので

「湖」ではなく「海」に例えられるのでしょう。

 

しかもその海は、見渡す限り空と水ばかりですから

「ほとりなし」と言われています。

あそこまで行けば波がなくなる、という陸地は見えません。

湖なら、陸地が視界に入りますが、

生死の苦海は、水平線しか見えない大海の真ん中なのです。

 

親鸞聖人が人生を海に例えられたのは、

当時の時代背景や環境で言われたのではありません。

いつでもどこでも変わらぬ人生の実態を例えられました。

 

今日の日本でも、人生を海に例えられた親鸞聖人の教えに

共感する人は多いのではないでしょうか。

 

自殺を思い詰めたという27歳の女性。

彼女は大学を卒業後、非常勤で教育関係の仕事をしています。

月収は13万円。実家暮らしで生活に不自由はありません。

しかし、自立できていない自分にふがいなさを感じ、

死にたいと思うようになったといいます。

「もう未来が見えないから死にたいですね。

こんなんだったら自分は生きている価値がないなっていうふうに

考えてしまうことがあります。

やっぱり社会に出たからには、一人で生きていかなきゃいけない、

社会の役に立たなきゃいけない。

というのに自分はまだ到達できていないし、

これからできるのかって言われると、すごく不安ですね。

夜の海にバッと放り投げられた感じ。

冷たいし暗いし、先分からないし、

ここはどこだか分からないし…。

どっちに向かってったらいいのか分からないし。

必死にもがくんですけど、

結局それがいいのか悪いのかも分からない。

だったらもう、諦めて沈んでいっちゃったほうがいいのかな」

 

果てしない苦海で、

どこへ向かって泳いだらいいのか分からない

という遭難者の不安が、人を自殺に誘うのでしょう。

 

親鸞聖人は「生死の苦海から乗せる救助の大船」のあることを

終生教え続けられ、その大船に乗せていただくまでは

頑張って生き抜きなさいと励ましておられます。

 

=========

親鸞聖人の教えられた生きる意味を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。