親鸞に学ぶ幸福論

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「この人は理想のパートナーだ」と人が思う瞬間とは

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独生独死独去独来(3)】


「理想のパートナーは?」という談義になると

けっこうみんなスラスラと自分の意見を言います。

このテーマは、定型文のように、

自分の中で答えを決めているんでしょうね。

よくある想定内の会話なのでしょう。

 

しかし男性でも、女性でも、「理想の人は?」と問われたら、

言いはばかるので、あまり口にこそしませんが、

本当のところは「自分をわかってくれる人」と

なるのではないでしょうか。

 

女性なら、自分の素の姿をそのまま全部受け入れてくれて、

深く理解してくれて、それでいて、

「そんな君が好きだよ」と包み込んでくれる男性。

そんな人がいれば、心から安らげるのではないでしょうか。

別人のように化粧して、経歴も詐称して、

見栄と体裁でうそ半分の会話をして

その結果、好かれたところで、いつまで関係が続くか不安ですし、

自分を飾るのも疲れますし、寂しくなるものです。

 

男性でも、自分の等身大のすべてを知った上で、

「そんなあなたが大好きです」と

心からついてきてくれる女性があればいいなと思います。

 

そんな人とめぐり合えたら、私達は孤独から救われます。

「そんな人、いるわけないじゃん」と口では言っても

心の中はやはり求めてしまっています。

私達は「わかってほしい」「わかってほしい」と

寂しさに心が渇き、魂の理解者を求めているといえましょう。

 

(おっ、この人、相性いい。わかってくれる人だ!)

と結婚するのですが、結婚してしばらくたつと、

(この人は私のことを全然わかっていないし、

わかってくれようともしない)

と、愕然とさせられます。

一つ屋根の下で暮らしながら、寂しくなります。

 

不倫も「わかってほしい」の渇望感から始まるようです。

「妻はぼくのことなんかちっとも理解しようとはしないんだ」

「わかってくれるのは君だけだよ」

「夫は少しも私のこと、わかってくれない」

「私を理解してくれる人はあなただけなの」

という会話のやりとりがここかしこでなされます。

不倫をやめるのも、

「あっ、この人、わかってくれてないんだ」

と知らされて、冷めていくようです。

 

近づけば近づくほど、生活を共にすればそれだけ、

「わかってくれない」寂しさと不満が強くなっていくのは

皮肉なことです。

哲学者の三木清は、

『孤独は山になく、街にある。

一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にある。』

といいました。

山の中で一人の時は、里に出れば寂しくない

という希望がありますが、

町の中で、大切な人に囲まれていても、

わかりあえない寂しさこそ、真の孤独を感じるときです。

 

釈迦は魂の理解者がいない孤独を『独生独死独去独来』といわれ、

酒やゲームや薬物で埋め合わせようとしても埋められない、

底の知れない寂しさである、と説かれています。

ところがその釈迦が、その底知れないほど寂しい人生が

無限に楽しい人生にガラリと転回する絶対の幸福があることを

明らかにされているのです。

親鸞聖人は、その世界を「無碍の一道」といわれています。

親は子供の住んでいる世界をのぞき見ることさえできない。カルマの生み出す世界とは

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【独生独死独去独来(2)】

 


「夫は夫の生み出した世界に住んでいる。

妻は妻の生み出した世界に住んでいる。

同じ屋根の下で暮らしていても、世界は違う」

先回、そんな話をしましたが、これを仏教では

業界(ごうかい)』といいます。

 

『業』とはインドの言葉で『カルマ』、

日本の言葉では『行為』のことです。

・思ったこと ・しゃべったこと ・やったこと

この3つを『三業』というのですが、これは各人異なります。

育った環境も、受けてきた教育も、経験してきた仕事も、

付き合った人も、休日にしている趣味も皆違います。

それら各人の業(カルマ)の生み出した世界に

一人一人住んでいる、その世界を『業界』というのです。

 

夫の業と妻の業は違います。

だから同じ屋根の下で二人で住んでいても、世界は違います。

己の業の生み出した世界に、ぽつんと独りぼっちでいるのです。

 

夫は部下との人間関係で悩んでいます。

その悩みを奥さんに「理解してくれ」と要求しても、

それは難しいでしょう。

奥さんは、その会社に勤めた経験もなければ、

その役職についたこともないのですから、

夫の苦しみはわかりません。

よく一日署長といって、アイドルが警察官の格好しますが、

奥さんがちょうどそのように

「一日会社員、一日課長となって、

夫の会社の大変さを体験してみましょう」

と取り組んだところで、わかるものではありません。

何十年も勤めてきてこそ、感じている悩みなのですから。

 

一方、妻の苦しみを夫がわかってやりたいと思っても

これもわかってやれません。

奥さんは、姑のことで悩んでいる。

それをわかってもらいたいと思って妻は一生懸命話するのですが、

夫からしたら、実のお母さん、ですから、

「何で母とうまくやってゆけないのか。ちっともわからん」  

となります

 

親子でも同じことです。

親は親の世界に住んでいて、子供は子供の世界で生きています。

夫婦の場合、本質的には赤の他人ですが、

親子は同じ血を分けた仲ですから、わかり合えると思っています。

特に母親はわが子を自分の分身のように思う人もあります。

しかし現実はお互い、もう分かり合えない。

 

子供は親に

「親はぼくの気持ちなんかちっともわかってくれない」

と腹を立てます。

親は子供に

「なんで親の気持ちがわからないの」

と苦しんでます。

「わかってくれない」

「わかってくれない」

と自分を理解しようとしない相手に、

怒りのつぶてを投げつけてしまっています。

しかし、わからないのは当然ではないでしょうか。

昭和40年代生まれの親と、平成生まれの子供とでは、

育った環境、学校や親からの教育、影響受けたマンガや本、

ずいぶん違いますから、同じものを見ても、同じものと見ません。

 

『一水四見』という仏教の言葉もこのことを説いたものです。

一つの水を

○人間界は飲み物と見る

○畜生界の魚は住処と見る

○餓鬼界の者は炎と見る

○天人はルリと見る

という意味ですが、『業界』をいわれたものなのです。

 

相手の世界を「お前の業界、どうなの?」

と覗き見ることさえ、許されません。

独生独死独去独来」(釈尊)

最初は「わかりあえる、この人となら」と歩み寄るのに、

皮肉なことに、近づけば近づくほど、

わかりあえていないことだけが知らされていくのです。

 

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分かってくれない旦那にいらつく妻。実は旦那もそう思っている

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【独生独死独去独来(1)】


仏典に『独生独死独去独来

(どくしょう・どくし・どっこ・どくらい)

(独り生まれ、独り死す、独り来たりて 独り去る)

とあります。

「人間はみな生まれてから死ぬまで連れのない一人旅だ」

と釈迦は説かれています。

 

こう聞くと

「そんなことないよ。おれには親も友人もいるし、恋人もいる。

けっして一人ぼっちじゃない」と反論される方もありましょうが、

ここで釈尊が「連れがいない一人旅」といわれているのは、

「心の連れがいない」ということです。

兄弟や恋人や家族などの「肉体の連れ」は、私たちにあります。

しかし「心の連れ」がいない、とお釈迦さまは説かれたのです。

 

「心の連れ」がいない、とは

【お互い心の底から分かり合える人がいない】ということです。

同じ屋根の下に住んでいる夫婦でも、住んでいる世界は違います。

夫は夫の生み出した世界に住んでいる。

妻は妻の生み出した世界に住んでいる。

 

夫が会社で辛いことがあり、ふさぎこんで家に帰ってくる。

どうせこの苦しみを妻に言ったって、わかりっこないと黙ったまま、

メシ、フロ、ネルで寝てしまう。

 

奥さんは、奥さんで、姑とのことで悩んでいる。

それを、夫に相談しようと思っていたのに、

夫が不機嫌そうにしてすぐ寝てしまうので、

やりきれない気持ちになる。

「私のことなんか、ちっともわかってくれない」と心が叫ぶ。

 

夫は夫で、「妻なんかおれの気持ちを分かってくれない」

妻は妻で、「夫は私の気持ちなんか分かってくれない」

お互いに悩んでいます。

わかってくれない、わかってくれない、と

相手に怒りをぶつけています。

 

しかし、心を反転してこう自問してみたらどうでしょう。

「あなたがわかってくれないと苛立っている相手の悩みを、

あなたはどれだけわかってあげられていますか?」

「相手の悩みをわかってあげようと努めてますか?」

 

自分は相手のことをわかってあげられていない、

なんとかわかってあげたいと悩んでもいない、

向こうに悩みなんかあるんかい、程度にしか考えていない。

それでいて自分だけが、

「わかってくれない冷たい人だ」

と怒りの刃を向けているとしたら、ムシがよい話しです。

 

同じ屋根の下、共に暮らす夫婦も、

やはり『独生・独死・独去・独来』

心の連れではない、と説かれています。

 

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今村復興相の辞任に「楽は下にあり」を思う

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【娑婆(1)】


復興相が「東北でよかった」との発言の責任を取り、辞職しました。

前後の文脈からすると

「首都圏で震災が起きたら、より甚大な被害だった」

と表現したかったのでしょうが、

一部分だけ切り取られて問題にされ、世間中から

「恥ずかしい」「情けない」「開いた口がふさがらない」

「絶対に許せない」

と批判の大合唱です。

 

確かに軽率な失言でしたが、別に

「死んでよかった」「震災が起きてよかった」

という意味での発言ではないですし、

まるで彼が「人でなし」かのように

寄ってたかって辛辣に責めなくていいではないか、

と思えてきます。

 

もっと人の心を踏みにじるひどい犯罪は毎日ありますし、

犯罪とまでいかなくても、最近のネットなどで目にする、

芸能人や外国人への露骨なヘイト発言の方が

「悪意」という点からいうと、ずっと問題ですし、

さらに言えば周りだけでなく、自分の心の中をのぞけば、

とても人に言えないようなことを思うこともあるのですから。

 


とはいえ同情はしますが、擁護する気持ちにもなれません。

現職閣僚の発言ですから、こう言われても仕方ないと思います。

批判にさらされなければならない立場だと覚悟して、

本人も立候補したのだろうし。

 

このたびの一連の不祥事も大臣ではなく、近所のおじさんなら、

「口が悪い、すぐ怒鳴るおやじ」くらいで済んだでしょうし、

その評価の後に「でも人の良いところあるよ」と

つけてもらえるくらいの分別のある人かもしれません。

ただ現職の大臣のいうことではなかったということです。

発言の重みが違うということでしょう。

 

よって、この一連の報道で私が思ったことは、

一言で言うと「楽は下にあり」ということです。

上に立つ人ほど責任が重くなり、

苦境に立たされることが多い、ということです。

 

それでもなお、人は上の立場を目指すのはなぜでしょう。

ちょうど夏の夜の殺虫灯のようなものです。

虫がバチッと音を立てて死んでいく殺虫灯。

バチッと音を立て自分の仲間が死んでいるのを見ているのに、

次の虫もまた殺虫灯に飛び込んでいくようなものです。

国会議員になりたい、今度は大臣になりたい、

今度は首相になりたい、と

より重い荷物を背負いたがる人が世の中には多く、

その重い荷物のために悲鳴を上げ、挫折する人もまた多いです。

 

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今、東アジアで最も緊張にさらされているのは、金正恩だろう

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生死の一大事(1)】


緊張するにらみ合いが長期化しそうな東アジア情勢ですが、

おそらく他の誰よりも、最も緊張を強いられているのは、

北朝鮮の指導者、金正恩ではないかと想像します。

米軍は、金正恩が極秘に転々とどこへ場所を変えようとも、

すべて把握している、と豪語しています。

さらに、どんな地下に隠れようともピンポイントで

根こそぎ爆撃して殺傷するという「斬首作戦」は準備完了、

と言っています。

 

こういう情報を詳しく入手しているであろう金正恩は、

今こうしている間にも、空から自分めがけて

爆弾が降ってくるかもしれないのですから、

どんな気持ちでしょう。

自分だったら、と想像してみて下さい。

「緊張」どころではない。

「パニック」「ノイローゼ」になってもおかしくない

あるいは薬物で不安から逃れるしかないほど

精神が追い詰められている可能性もあります。

 

つくづくあんな立場にだけはなりたくない、と思いますが、

考えてみれば、たとえ米軍の爆撃ではなくても、

私たちも「いつか必ず死ぬ」という点では、

金正恩と同じです。

私の「斬首作戦」もすでに準備完了している、といえましょう。

「今日か、明日か、次の一瞬には終わるかもしれない命」

であることは、金正恩も私も変わりません。

 

「人は皆死ぬ。いつかもわからぬ。

だから人生には、本当の安心がないのだ」

この厳粛な事実に驚いた時が、仏教を求める心の出発点です。

以下はシッダルタ太子(釈尊)が出家の際、

必死に止めようとする家来に対して

太子が言い放たれた言葉です。

「お前達には判らないのか。

あの激しい無常の嵐が、未だわからないのか。

ものはみな常住しないのだ。

いずれの日にか衰え、いずれの日にか亡ぶのだ。

快楽のかげにも無常の響がこもっているのだ。

美女の奏ずる絃歌は欲をもって人を惑すのみだ。

三界は悩みのみ、

猛き火の如く、浮べる雲の如く、幻や水泡の如し。

若きを愛すれど、やがて老と病と死の為に壊れ去るのだ」

火の玉の如き太子の菩提心に家来はみな絶句するのでした。

 

真面目に観つめれば、生きている者にとって

【死ぬ】以上の大事はないことはわかります。

龍樹大士、曇鸞大師、法然上人、そして親鸞聖人、

歴代高僧の出家の原点も

実にこの一大事に驚かれてのことでした。

そしてこの一大事を解決して、

絶対の幸福になる教えが、親鸞聖人の教えです。

 

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怒濤の運命に翻弄されている人に速効で効く釈迦の智恵を

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【日々是好日(6)】


仏教では日の善悪は問わない、『日日是好日 』と説く、

と5回にわたって、話をしてまいりました。

 

今までのことをふまえて、

今日はある浪人生の独り言を紹介しましょう。

(フィクションです)

=====

《8月1日》

今日の予備校の模試の結果、志望校はE判定だった。

何だよ、浪人までしたのに、未だにこんな結果は。。。

予備校からの帰り道も、見るもの聞くもの全てが灰色に見える。

最低の気分だ。

そういえば、朝のニュースの占いコーナーでも

射手座の人は運勢の悪い日だ、っていってたよな、やっぱりか....

=====


この浪人生は占いからこのたびの試験結果を納得していますが、

もちろん実際はその日が悪かったから、

試験の結果が悪かったのではありません。

そもそも模試の当日が、正答が書けなかった悪い日だったのであり、

ひいては、その試験がうまくいかなかったのは

今までゲームばかりして、勉強をサボってきたからであれば、

その怠け続けた日々こそが、「悪い日」だったといえます。

 

しかし、この浪人生、このE判定でさすがに尻に火がつき

「二浪はできない」と本気モードになり、

この日を境にゲームを絶って、真剣に勉強を始めた、としたら、

猛勉強のキッカケとなった《8月1日》は

「良い日」だったことになります。

 

その後の手記

=====


《10月1日》


今日は、模試の結果が返ってきた!!

やった!A判定だ!

教師も、友人も、電車を歩く人も、小鳥のさえずりさえも

ぼくを祝福しているような気がする。

なんてうれしい日だ。

そういえば、朝のニュースの占いコーナーでも

射手座の人はラッキーデー、っていってたよな、やっぱりか。


=====


またもこの浪人生、占いに納得していますが、

その日が良かったから、模試の結果が良かったのではない。

この2ヶ月間、ゲームを絶ってまで、

必死に勉強を続けてきた努力が実を結んだということですから、

その努力を重ねた日々こそが「良い日」だったのです。

 

しかしその浪人生、この判定結果に安心して、

慢心を起こし、絶っていたゲームを始めて、

それにのめりこんでしまい、勉強をしなくなってしまった・・・

としたら、10月1日は「悪い日」となるのです。


=====


一つの判りやすい例でお話しました。

こんな例を聞けば誰でも分かりますが、

けっこう、自分のこととなるとわからなくなるものです。

あなたはどうでしょう。

 

桜咲く新学期、新たなスタートの4月も、

早25日が経過しました。

人によってはこの4月、悪い運命が引き起こり、

七転八倒している人もあります。

・女性問題で自民党を追われる代議士

・請求書偽造で約10億円を着服した不正が発覚した会社役員

・不倫報道で窮地に追い込まれる大物俳優

・粉飾決算が露呈して会社が破綻した経営者

当事者たちはこの4月に我が身に起きたこれらの出来事により、

今まで10年、20年かけて築いてきた社会的信用、

家族友人の信用が崩壊する憂き目にあっています。

そんな人にとっての2017年4月は

「悪夢のような月だった」といえましょう。

 

しかしこれも、先ほどの浪人生同様、

2017年4月が運勢の悪い月だったからではありません。

たまたま発覚したのが今年の4月だったということで、

今年の4月自体に良いも悪いもない、

その原因となる後ろめたい行いをし続けた日々、

多くの人を欺いてきた日々が、「悪い月日」だったのです。

 

しかしそのようにこの4月、大きな挫折を味わっている人たちも、

このたびのことを深く反省し、心から謝罪し、

生き方を改め、行動を変えていけば、

これからの人生を大きく変える転機となりましょう。

そうなれば2017年4月は、人生において忘れられない

「良い日」となるのです。

 

その日が良い日になるか、悪い日になるか、

それはその日一日の「行い」が決めます。

これを「自業自得」「因果の道理」といいます。

「行い」といっても、その根本は「心の向き」です。

心の向きによって、「良い日」にも「悪い日」にもなる、

と説かれているのが仏教です。

そういう視点に立つ人にとって

方角や仏滅など何の関係もありません。

『日々是好日』「毎日毎日を良い日にしていこう」

と呼びかけておられるのが、お釈迦様であり、親鸞聖人です。

 

6回にわたってお話ししてきた『日々是好日』の土台をなす

仏教の教え「自業自得」「因果の道理」について

解説した動画があります。

こちらからご覧下さい。

↓↓↓↓↓↓

http://kikutaniryuta.com/koza/2-1/service18.html

挫折、失敗したときこそ「日々好日」と受け止める釈迦の智恵とは

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【日々是好日(4)】


「しまった!」

仕事で大きな失敗をして、顔面蒼白になる時があります。

ミスの報告に身の縮まる思いをし、お詫びと対処に追われ、

人のせいにして腹を立てたり、自己嫌悪で落ち込んだりと、

そんな「最低」な一日が終わり、自宅に帰ればくたくたです。

 

カレンダーを見て思う。

「そういえば運勢が落ちていて、特にこの2,3日は厄日だと

占われたなぁ。あの占い師、ただもんじゃないなあ」

と独り合点して、

運勢をあげるにはどうしたらいいか、アドバイスをもらおうと、

またその占い師に予約の電話を入れている、そんな人もあります。

 

こんな「最低な日」とどう向き合うか、で人生は大きく変わります。

お釈迦さまはどう教えられるでしょう。

仏教では「その日が悪いのではない」と説かれます。

「大きな失敗をする原因をつくった過去の言動の数々、

その過去の日々こそ真に反省すべき、悪い日々だった」

と教えられます。

 

ミスをしたことで、日ごろの仕事振りを反省し、

二度と同じミスをしないよう対策を立て、

向上のきっかけとできれば、五年、十年後には、

「あの日はオレにとって忘れられない日だ」

「あの日がなかったら、今の自分はいないよ」

と、あなたの「最低」の日は、

人生の中で「素晴しい良い日」と記憶されることでしょう。、

 

アメリカで各界の成功者70人に、

雑誌社がインタビューをした結果、

自分が犯した間違いを『失敗』と考えている人は

1人もいませんでした。

彼らは間違いとは言わずに、

『人生経験』

『授業料』

『回り道』

『成功のチャンス』

と言っていました。

 

失敗する日はあります。

しかしすべての日は「日日是好日

その日が自分にとって、良い日になるか、悪い日になるか、

これからの思いと言動が決定していくのです。

 

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