親鸞に学ぶ幸福論

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釈迦もトルストイも泡沫の人生で果たさなければならない使命を問題にされた【一生参学の大事(3)】

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無始久遠、悠久の過去から

輪廻を繰り返し、

永遠の未来へと連なっていく生命において、

人間が生を受けて、

滅するまでのこの肉体は、

滔々と流れるガンジス川に浮かぶ

一抹の泡のようなものだ

と釈尊は説かれました。

 

日本語にも

「水泡に帰す」

「泡沫の夢」

「水の泡になった」

という言葉がありますが、

この仏教思想が浸透したものです。

 

トルストイの大作

『アンナ・カレーニナ』

のリョーヴィンは、

トルストイ自身の分身とも

いわれる人物ですが、

以下は、そのリョーヴィンの台詞です。

 

「私とは何者であるか、

 なんのために私はここにいるのか、

 ということを知らないでは、

 とても生きていくことはできない。

 

 (中略)

 

 無限の時間の中に、

 無限の物質の中に、

 無限の空間の中に、

 泡粒のようなひとつの有機体が

 つくりだされる。

 

 その泡はしばらくのあいだそのままでいて、

 やがて消えてしまう。

 

 その泡が-----このおれなんだな

 

 (中略)

 

 それは、この方面における人間の思索が、

 数世紀にわたる苦心の末に到達した、

 唯一にして最後の結論であった。」

 

出来ては、矢継ぎ早に消える

水の泡のような命。

 

その泡を少しでも長く保とうとして

 

【医学】は懸命になる

 

【政治】や【法律】も

その泡が何かにぶつかって壊れないように

対処しているものといえましょう

 

【文化】や【娯楽】は

この泡が楽しめるように

尽くしているということになります

 

泡のごときの人生、

その泡でなければ

果たせない使命はあるのでしょうか。

 

あるとしたら、それは何でしょうか。

 

これは釈尊出家の原点でした

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