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親鸞に学ぶ幸福論

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こわいほど幸せ、は幸せか

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ある女優が結婚の記者会見で

「こわいほど幸せです。」

と言ったセリフが話題になったことがありました。



あなたも今までの人生振り返ってみて、

「こわいほど幸せ」と感じられたことはありましたか。



私は何人かの方に勉強会の折などに聞いてみるのですが、

飛び上るほどの幸せは経験あっても

こわいくらい幸せだ、

とまでは・・

という方が多いようです。



「こわいほど幸せ」という言葉は、

その女優の大きな幸福感が伝わってくる表現ですね。



しかし『こわいほど幸せ』とは、

「幸せだけどこわい。」ということです。



好きで好きでたまらない人と結婚できた、

この人さえいれば他に何もいらない。

親から勘当されてもいい、

貧乏でも構わない、

この人と一緒に居れるなら、と

心の底から好きな人と結ばれた幸せは

どんなにか幸せなことでしょう。



ちょうど幸せという山があるなら、

その一際ずば抜けて高い山の頂にいるようなものです。

しかしそれは怖い気持ちが同時に起きてくるのです。



もしこの山から転落したら、

高い山であればあるだけ痛いです。

夫が浮気した、とか、夫が事故で死んだ、となれば

高い山から転げ落ちて、

深い谷のどん底に叩き落される、その痛みは耐え難いものでしょう。



太宰治が「臆病者は幸福さえも恐れるんです。」

と言っているのはこのことです。



幸せが大きいほど不安になっていく、というのは皮肉なものです。



低い山だったらこんな不安はない。

落ちても痛くないから安心です。

妥協に妥協を重ねて、この程度でもまあいいか、という人と結婚した場合、

夫が事故で死んだ、という訃報を聞いても

そんなに苦しまなくてもいい、気持ちの切り替えも早いことでしょう。

そういう意味ではそんな人との結婚はこわくはない、

安心しておれます。



しかしその場合は【不満】でしょう。



幸せの山が高いと【不安】。

低い山だと【不満】。

不安がいいか。不満がいいか。



どんな生き方を選択しても

そこにはそこの苦しみがある、

『生死の苦海ほとりなし』

と言われる所以です。

 

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