親鸞に学ぶ幸福論

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越後に流刑になられた際の親鸞聖人の思い「これなお師教の恩致なり」とは

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親鸞聖人は35歳の御時、権力者の無法な弾圧により、

越後の直江津(今の新潟県上越市)に流刑となられました。

国家権力により、僧籍を剥奪され、流刑人として

雪深い越後へ赴かれたのでした。

 

当時「流刑」は、極刑である「死刑」に次ぐ刑罰であり、

今でいえば無期懲役にあたります。

流刑に遭った日本の歴史上の人物は多々ありますが、

たいていは社会的立場を奪われた失意と怨みの中で、

配流の地で無念をにじませ、没しています。

たとえば、国政で敏腕を振るった菅原道真、

太宰府に流された2年後、失意の中に亡くなっています。

崇徳上皇は配流先の讃岐で、屈辱的な目に遭わせた者達への

怨みの言葉を残して息を引き取っています。

雅やかな宮中、財産と名声に彩られ、万人の羨望を一身に浴び、

美しく着飾る女性に囲まれ、和歌や音楽などの文化を愛でた、

それら過去が輝いていればいるほど、

今の田舎の単調で簡素な衣食住の生活が

一層惨めに感じられたのでしょう。

 

天皇であっても、国を動かす有能な人であっても、

流刑にあって意気消沈してしまい、

そのまま歴史の表舞台から去って行くばかりです。

 

流刑とまでいかなくても、世の中には、

刑務所に入ったその前科のために、社会でも白眼視され、

自暴自棄な一生を送る人もあります。

人事で閑職に左遷され、やる気を失い、

愚痴とひがみの社員になるのもよくある話です。

挫折して今の立場を失うと、

「えっ、あの辣腕でならした人があんな姿になるなんて」と

傍の人がショックを受けるほどの変わり様だ

というのもよく聞きます。

 

ところが流刑に遭われた親鸞聖人はまったく違うのです。

流刑にあわれた後、歴史の表舞台から消えるどころか、

さらなる大活躍で、燦然とその偉業は今に輝き、

その大きな影響力は日本一国にとどまらず、

世界にまで広がっています。

それは親鸞聖人が、流刑の地に赴かれる時の心情が、

菅原道真や崇徳上皇とは、全く違っていたからです。

親鸞聖人は越後に流刑になられる際、

「おかげで越後の人たちに仏法をお伝えできる、

有り難い阿弥陀仏のご方便」

と合掌されています。

「都で布教がかなわぬならば、

ご縁の深いところで布教すればよい。

仏縁深き越後の人々が、

真実の仏教を聞きたいと待っているのだから」

と勇躍して彼の地に赴かれています。

 

親鸞聖人のご一生を歌にした宝尋の作『親鸞聖人のお歌』には、

「流罪の身をば方便と 都に散りし法の花

厳寒深雪の越後路に 御法の春をぞ迎いける」

とあります。

親鸞聖人の去られた都には、

どこにも真実の仏法を聞かせていただけるところがないことを、

「法の花が散ってしまった」と歌っています。

そして厳寒深雪の越後路は、親鸞聖人が来られ、

「御法の春を迎え、法の花が次々と咲き乱されている」

真実の仏法を知らされ、こんな教えが聞きたかったと

歓喜している人が次々と現れ、法の話で満ちていることを、

そのように歌われているのです。

 

親鸞聖人は国家権力や時勢や景気や、

そんなことに振り回される方ではなかったようです。

親鸞聖人が行かれるところに法の花が咲き、

去られるところは法の花が散っていく、

そんな方が親鸞聖人でした。

 

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