親鸞に学ぶ幸福論

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ドストエフスキーが『白痴』で論じている「死の恐怖」とは

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【生死の一大事(3)】

 


「死は一瞬だから怖くない」

「肉体の苦痛がなければ、死は恐ろしくない」

という人があります。

 

痛みを伴わず死ねるという点で、まことに人道的なものに、

実は「ギロチン」が挙げられます。

このギロチンを考案したのは、ギロチン博士という医師でした。

ギロチン博士と聞くと、名前からして、

とても残酷な風貌がイメージされることと思いますが、

実は慈悲深い、聡明な貴族だったそうです。

 

ギロチンができるまでのヨーロッパは

処刑の際は、サーベルで首を切り落とされていたのですが、

一撃で人間の首を切るのは大変でした。

人体でいちばん太い骨がある個所ですし、

囚人も動揺して首を引っ込めたりしますので、

一撃ではなかなか殺せず、

時には剣先が頭や肩に当たり、

のた打ち回って苦しんでいるのを何度も剣で切りつけて

処刑していく、という目を覆う惨劇だったそうです。

 

ギロチン博士は、そんな光景がかわいそうで、

残酷で見ておれない、せめて痛みを感じさせず、

一撃で確実に殺せるように、とギロチンを考案したのです。

首が完全に固定されていますし、重いギロチンの刃が高い位置から

スピードを伴って落ちてきますので、

屈強な男の首でも一撃でストンです。

 

そういう点から言うと、刃が後ろの首筋に触れて

「痛い」と感じたか否やの瞬間には

首は落とされているのですから、

痛みを感ぜずに死ねるという点では、

首吊りや電気椅子よりずっと優れているのです。

 

しかしこのギロチンの恐ろしさについて、

ロシアの文豪、ドストエフスキーが

「白痴」という小説で語っていますが、実にリアルです。

その一個所を引いてみましょう。

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断頭台までの道々きっとこんなふうに考えたんじゃないでしょうか。
『まだ長い、まだ通り三つ生きていられる。これが過ぎても、それ
からまだあれが残っている、それからまだあれが、そこはパン屋が
右側にあって・・・パン屋まで着くのはまだいつになるか!』
まわりには群集、叫び声、ざわめき、一万の顔、一万の視線、これ
らすべてに耐えなければなりません、そして何より、『ここに一万
の連中がいて、彼らは誰一人処刑されないのに、この私は処刑され
る!』という考えです。
(中略)
その時にはもう頭を断頭台にのせて、そして待っている、そして・
・・知っているのです、と、突然上に聞こえる、鉄が滑ってきた!
これは間違いなく聞こえます!僕なら、もしもそうなったら、僕は
わざわざ耳を澄まして聞くでしょう!それは、もしかしたらほんの
一瞬間の十分の一かもしれませんが、間違いなく聞こえます!

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確かにギロチンで死ぬ時は一瞬ですが、

▼処刑の宣告を待つ日々、

▼処刑の日の朝食、

▼ギロチン台まで連れられるまでの歩み、

▼ギロチン台の階段を上ること、

▼ギロチン台に首を固定されること、

▼ギロチンの刃が落ちてくる時の音、

これら全てが「ギロチンの恐怖だ」と

ドストエフスキーは言っています。

 

死のもたらす肉体的な苦痛は一瞬でも、

死に至るまでの精神的な苦悶は、決して一瞬では済みません。

その恐れは計り知れません。

そしてそれは、死刑囚だけでなく、

全人類の「生」全体に覆っている不安です。

 

この生死の一大事が解決され、

死が障害にならなくなった自由な世界、

心の幸せがあることを

歎異抄では『無碍の一道』と説かれています。

 

 

 

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