【口業(2)】
「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬよう気をつけるがいい」
とは、ニーチェの言葉です。
他人の欠点をずけずけと批判する人は、どこにでもいるものです。
そんな人は教師や店員から、
モンスターペアレント、モンスタークレーマーと恐れられます。
それらモンスターたちに、むきになって非難中傷の応酬となれば、
いつしか自分の心も荒み、
自分もまたモンスターに変貌してしまうでしょう。
お釈迦さまにこんな話があります。
あるとき、外教徒の若い男がお釈迦様の所にきて、
さんざん、悪口を言った。
黙って聞いておられた釈尊は、
彼が言い終わると、静かにたずねられた。
「おまえは、祝日に、肉親や親類の人たちを、
招待し、歓待することがあるか」
「そりゃ、あるさ」
「親族がそのとき、おまえの出した食べ物を
食べなかったらどうするか」
「食わなければ、残るだけさ」
「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、
その悪口雑言は、だれのものになるのか」
「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」
「いや、そういうのは与えたとは言えない」
「それなら、どういうのを受けとったといい、
どういうのを受けとらないというのか」
「ののしられたとき、ののしり返し、
怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。
闘いを挑めば闘い返す。
それらは与えたものを受けとったというのだ。
しかし、その反対に、なんとも思わないものは、
与えたといっても受けとったのではないのだ」
「それじゃあなたは、いくらののしられても、腹は立たないのか」
釈尊は、おごそかに、偈(うた)で答えられた。
「智恵ある者に怒りなし。
よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」
「私は、ばか者でありました。どうぞ、お許しください」
外道の若者は、落涙平伏し帰順した、といわれています。
=========
仏教を分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。