【御同行(2)】
20代の日本の商社マンがロシアの貿易商アレクセイ氏との商談に臨むにあたり、
『ロシア人との交渉入門』を読み込んで準備したものの、商談は失敗。
落胆する彼に百戦錬磨の上司はこうアドバイスしたと言います。
「君はロシア人を勉強するよりアレクセイ氏を勉強して臨むべきだった」
交渉の際、ロシア人の好きな食べ物、ロシア流のあいさつ、礼儀作法、常識、ロシア語の挨拶など学んでいくのも大切ですが、
ロシア人とはこういうものなんだ、と決めつけてかかると、失敗します。
同様にアメリカ人はみな自己主張が強く、日本人はみな協調性があると思い込んでいたら、やはりうまくいきません。
私たちが交渉にあたるのは、みな、さまざまな嗜好、趣味、性格、思想を持つ「個人」なのですから。
これは自分のことを考えてみたらわかります。
あなたに接する時「庶務課の社員の一人」として接してくる人と
「○○さん」として接してくる人とでは、どうでしょう。
あなたの心はそうとう変わるのではないかと思います。
私たちが常に接しているのは、「個人」なのです。
人種や民族、血統などで枠に括り、
二言目には「これだから中国人は~」「これだから黒人は~」と発言する人がありますが、
その狭い思いこみで相当損をしていることを自覚すべきでしょう。
親鸞聖人は京都の貴族として生を受け、
9歳より当時の最高学府であった比叡山で20年間過ごされ、
その後法然上人のお弟子となられますが、
35歳で流刑となられ、当時京の人々から虎狼の住む地とされた越後に赴かれました。
当時は方言も地方によって相当違い、食べ物も風習もあらゆるものが異なり、
親鸞聖人も戸惑われることが多々あったろうと拝察しますが、
文字も知らず、学もないその地に住む農民や漁民と囲炉裏をかこんで親しく話をされ、
当時虐げられていた猟師、商人、遊女の元にも飛び込んでいかれ、
漢字を使われず、わかりやすい言葉を選ばれ、
ただただ懇切ていねいに仏法を説き続けていかれました。
ではなぜ親鸞聖人は偏見の壁を軽々と乗り越えられ、
「御同行・御同朋(兄弟よ、友達よ)」と、
文化も習慣も方言も相当異なる越後の人たちと親しく接せられることができたのでしょうか。
それは聖人が、いつの世、いずこの里であろうと、もう変わることのない人間の実態を熟知されていたからでした。
そしてそんなすべての人になんとか弥陀の本願を伝えたい、と常に慈愛の目を向けられていたからでした。
それは流刑の地、越後に赴かれる親鸞聖人の心境を言われたこのお言葉でも知らされます。
「もしわれ配所に赴かずんば、何によりてか辺鄙の郡類を化せん。是れなお師教の恩致なり」
(もしここ越後に来ることがなければ、どうして越後の皆さんに阿弥陀仏の本願をお伝えすることができたであろうか。
これこそ、越後の人々に、本願をお伝えせよとの、如来のご方便であり、法然上人より賜った勝縁である)
かくして厳寒深雪の越後路は御法の春を迎えたのでした。
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