親鸞に学ぶ幸福論

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「死ぬのが怖い」わらじ医者の偽らざる告白

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医者は患者にがんの宣告をし、

余命何か月と家族に伝え、

死におびえる患者の話を聞き、

患者の死を看取ります。

 

一般の人よりも死を見つめる機会が多いので、

かっこたる死生観を持っているだろうと思いきや、

どうもそうではなく、むしろ当たり前になってしまって、

死に鈍感になってしまうケースが多いようです。

 

患者に余命を告知した日も、死亡した日も、

日常の一コマになっていくのですから、

仕方ないのかもしれません。

 

その点、「わらじ医者」こと早川一光さんの、

ご自分の姿を正直に見つめられての、

真面目な死生観に共感しました。

 

老いや死を取り上げた著書も数多く、

多くの人の死を語ってきた方ですが、

死にゆく人を温かく接しておられたのは、

その死生観からも伺えます。

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死が他人のものではなく自分のものなのだと考えて

「自分はどうするんだ」と問い返してみると、

実はドギマギしているんだね。

人の死はたくさん見てきたけれど、

いよいよ己の番かと思うと

「えらいこっちゃなぁ」というのが今の心境です。

(中略)

僕はね、「死ぬのは怖くない」と言う人がいれば、

それは元気な人、常の時だけだと思う。

全然分からないところに足を踏み込んで行くのだから、

いざという時はおののき恐れるものよ。

それは当然。ただ、年を取れば取るほど

それがどう変わっていくのかは見ものだと思っている。

僕の場合も、87歳の僕が思うことと

100歳を超えた僕が思うことは違うんじゃないかなぁ。

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こう語られたのは87歳の時。

老いも進み、死も近くなったことを自覚されての発言です。

 

その早川さんは現在91歳、最近の新聞に、

ご自身がガンになって、改めて死と向き合っての正直な告白に

心を打たれました。

昨年10月に血液がんの宣告を受け、

自宅で闘病生活を送っておられるそうです。

京都新聞の記事の一部抜粋です。

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多くの人をみとり、老いや死について語ってきたはずが、

病に向き合うと一変、心が千々に乱れた。

布団の中では最期の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。

食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。

「僕がこんなに弱い人間とは思わなかった」

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早川さんの新聞記事を読み、

他人の死を己の死とでは同じ「死」でも

受けとめ方はまったく違う

と説かれる仏説の重さを知らされます。

 

死を遠くに見ているときは

「死んだら死んだときだ。」

「死は一瞬だから怖くない」

「さっさと生きてさっさと死にたい」

と思っていますが

いよいよ今日を限りに

この世を去らなければならないとなったとき、

すべてと離れ離れになって、

一人どこ行くんだろう?

と根深い不安が渦巻きます。

孤独な魂に震えるのです。

 

人の死を他人事にして眺めているときにはわかりません。

自己の死が眼前に突き付けらて
 
初めて知らされる孤独な暗い心です。

 

仏教はこの暗い心の救済をその目的とします。

 

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