親鸞に学ぶ幸福論

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実は恐ろしいのが、調子のいいとき

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【順境と逆境(2)】


先回「沈んで屈するな」について話しました。

沈んでいる時、苦境に立たされた時は、

よけい自分で自分の首を絞めるようなことを思ったり、言ったり、やったりしてしまうので、

大変危険なときだと話をしました。

しかし実は沈んだとき以上に気をつけねばならない危険なときが人生にはあります。

それは「浮かんだとき」、物事が上手くいっている時です。

それで今回は「浮かんでおごるな」をお話しします。

 

成功した時、褒められた時、大金を手にした時など、

舞い上がるような事態は気を付けねばなりません。

「好事魔多し」と昔からことわざにあるとおりです。

 

調子いい時、私たちの心にムクムクと出てくるのは「慢心」です。

これが怖ろしい。

仏教では六大煩悩の一つに「慢」があげられていますが、

108の煩悩の中でも特に私たちを煩わせ、

悩ませる6つの中の1つなのです。

慢心がどのように現われ、人生をダメにしてしまうか、

これも先回同様、6項目にまとめました。

 

▼調子いい時は、道を踏み外しやすいです。

気が大きくなり、「これくらいしてもいいだろう」と思ってしまうのです。

 

▼調子いい時は、横柄になります。

周りの人を傷つけるようなことを言ったり、やったりして、

人間関係に溝ができるのですが、それにも気付けません。

 

▼調子いい時、自慢します。

人が呆れるような、みっともない自慢話をひけらかしてしまいがちで、ひんしゅくを買います。

 

▼調子いい時は、自分を過信します。

慎重さに欠き、ふだん気付く危険もわからなくなります。

仕事でもリスク管理の感覚が乏しくなります。

車の事故、忘れ物なども、こんな時によく起きます。

 

▼調子いいと、人の意見も聞けなくなります。

そして自分の意見を押しつけようとします。

意見を聞かない者に腹が立ち、自分を指摘する者にも腹が立ってきます。

 

▼調子いいと、向上できません。

これで大丈夫と思い、気が緩み、現状に安住してしまいます。

 

先回は「沈んで屈するな」苦しい時(逆境)に気を付けよ、

今日は「浮かんでおごるな」調子いい時(順境)に気を付けよ、

と話しました。

順境、逆境、共に「ここだなあ」と

奥歯かみしめて事に当たらなければならない時だと

仏教では説かれています。

 

いずれも無常の世。

調子いい時は続きません。

苦しい時も続きません。

そう思いましょう、ではなく、それが揺るがぬ事実です。

良くなるのは悪くなる前兆、

悪くなるのはよくなる前兆なのです。

「沈んで屈するな 浮かんでおごるな」

順・逆、共に心していきましょう。

 

 

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苦境に立たされた時に知っておかねばならないこと

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【順境と逆境(1)】

 


『沈んで屈するな 浮かんでおごるな』という言葉があります。

人生には浮き沈みがありますが、

沈んだときにも、浮かんだときにも、それぞれの時に気をつけねばならないことがあります。

 

「沈んだ時」、苦しみ悩みが次々と襲いかかり、生きるのも嫌になってしまう時、

そんなとき大切なのは「沈んで屈するな」、屈しないことです。

沈んだとき、苦しいとき、屈してしまうポイントを6項目でまとめてみました。

 

▼苦しい時、腹が立ってきます

イライラが募り、あげくの果てに暴言を吐いたり、手をあげたりして、今の立場を失う事態が起きます。

 

▼苦しい時、人を妬みます

「なんであの人ばかり」と、人の幸福が妬ましく、人の成功を素直に喜べなくなります。

 

▼苦しい時、人を憎みます

「あいつのせいだ」と人を憎み、余計に苦しみます。

自分を苦しませる者がよくわからないときは、犯人捜しをはじめ、やはり誰かのせいにして、苦しみます。

 

▼苦しい時、大切なものを捨ててしまいます

「こんなにがんばったのにこんな目にあった」となれば、投げやりになり、逃げ出したくなります。

あとちょっとで道が開けるところを、今の苦しみが台無しにしてしまうのです。

 

▼苦しい時、何かに依存します

酒やドラッグに溺れたり、異性やギャンブルにはまったり、買い物にのめり込んだりして、今の苦しみを一時でも忘れようとします。

それがよけいその人を苦しみに追い込みます。

 

▼苦しい時はだまされやすいです

「溺れる者はわらにもすがる」で、早く楽になりたいあまり、とんでもないものにすがってしまいます。

それを嗅ぎつけて、苦しんでいる人、寂しい人を狙ってだまそうとする者が近寄ってきます。

 

このように苦しいときには、落とし穴がたくさんあるので、気を付けなければいけません。

ほおっておくと、苦しみが転がる雪の玉のように大きくなっていく、とても危ないときなので、

「沈んで屈するな」と言われるのです。

 


では次に気をつけなければならないもう一つの時、

「浮かんでおごるな」とはどういうことか、次回お話しいたします。

 

 

 

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源氏物語、桐壺の歌に見る生死の一大事

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【生死の一大事(2)】

 

『かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり』

源氏物語の主人公、光源氏の母である桐壺が、

三歳の幼子であった光源氏を遺し、病でこの世を旅立つときに遺した歌です。

(今日を限りと死出の山路に赴かねばならぬとは...

 私が行きたかったのは命ある道です。

 生きたい。生きていたい。

悲しみの中で気づきました)

 

死を前にした人間が感じる底知れない不安を、

千年前の小説には、このように記されているのですが、

これはいつの時代、どこの国の人も共通した根本的な不安であり、、

古今東西の人類にとってこれ以上の大事はない、とお釈迦様は説かれています。

 

がんとの闘病生活の末、20代でこの世を去った20代の漫画家がツイッターにこう遺しました。

ーーーーーーーーーー

何だか最近情緒不安定でよく泣くようになってしまった。

薬が効いてるのかもわからないし、

もうすぐ余命宣告された半年が経つ。怖い。

ああ、怖いな。最近本当に情緒不安定だ。

怖い。生きてくのが怖い。死ぬのも怖い。もう嫌だ。

主治医との面談が終わった。

また一つ薬が減った。残念ながら終わりが見えてきてしまった

辛い……。一年持たないのかもしれない。嫌だ死にたくない。

怖い、辛い、誰か助けてくれ……

俺も普通に生きる未来が欲しかったな。

ーーーーーーーーーーー

ネット上のつぶやきですが、

千年前の桐壺の詠んだ和歌と胸の内は同じです。

 


死はそれぞれの生涯の中で、違った時期に、違った形で、

人生の行く手に立ちはだかる大きな壁です。

突き当たって人は初めて、その威力を思い知ることになります。

死を前にしては、外国人も日本人もなく、皇族も平民もなく、共産主義者も資本主義者もありません。

何万年前の人も、今も、何万年後の人も、

生きている以上、万人が避けられない一大事なので、

仏教では「生死の一大事」といい、その解決を目的とします。

 

これは、いつか死ぬからこそ、かけがえのない生に気付こう、ということでもなければ、

死を見つめ、有限の命を知ることで、より人生が輝く、ということでもありません。

生死の大問題を解決することで、

生きてよし、死んでよし、の絶対の幸福に雄飛する、ということです。

 

 

 

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死は直前まで本性を隠す。「生死の一大事」とは

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【生死の一大事(1)】


東京都の病院で人工透析を中止し、死亡した患者が6年間で24人あったと報道され、物議を醸しました。

院長は「医師が積極的に透析見合わせの選択肢を示したことはない」、

「透析の再開を望む患者の意思に反して再開を行わなかった事実も一切ない」と強調しました。

いわゆる「本人の強い希望により、人工透析を中止したのだ」との主張です。

 

「回復が望めない終末期に透析を続けるかどうか」という

人工透析の見合わせ問題は、どの病院でも大小の差はあれ、直面している問題であり、

今後、まずます高齢化に向かっていく今日の日本の直近の課題であり、

しかもこのテーマは医学だけでは解決しない難しさを含んでいます。

 

大きく分ければ二つの意見があります。

一つは「医師が患者に透析中止の意思を尋ねるのは“死にますか”と聞くのと同じだ、患者に判断させるべきではない」という意見。

もう一つは「医師が治療に関する説明を尽くした上で、それでも患者が望むならば、その意思は尊重されるべきだ」という主張です。

 

ただここで問題になるのは、そもそも患者の意思といっても、

「死にたい」となったり、「死にたくない」となったり、

患者自身の精神状況が揺れ動くので、

そこをどう判断するか、ということです。

人間の心はころころ変わりますし、

自分の本心が自分でも分からない、ということはよくあるのではないでしょうか。

特に「死」においては、それが顕著に出てくると思います。

 

こんな笑い話があります。

寺参りを欠かさないお婆さんが、寺に安置されている阿弥陀如来の前に座って口癖のように言う。

「阿弥陀様、わしはつくづくこの世がいやになりました。今日も嫁が私をいじめるのです。早く今晩でもお迎えに来てください」

寺の小坊主は、

「あの婆さん、また、同じことを言っておる。よくもまあ飽きずに同じことが言えるものだ」

といたずらをかんがえた。

いつものようにお婆さんが寺にまいってぼやくのを見計らって寺の本尊の真後ろに隠れる。

お婆さんが「早く迎えに来てください」と懇願するのを聞いて、

小坊主、声色を変えて「わかった!婆さん、今晩迎えに行くからな!!」と叫んだ。

すると婆さん血相を変えて「ひえー、ここの阿弥陀様は冗談も通じんわい」とあわてて逃げたと言います。

 

このお婆さんのように、口先では、早くこの世とおさらばしたいと言っても、

本音は、死にたくないというのがよくあると思います。

「死んだ方がましだ」「死にたい」という声は多いですが、

それは本心かどうか分かりません。

「本心だ」と本人が思っていても、それが本心かどうかわかりません。

本人が「死」をまじめに見つめていないからこそ言えているだけの言葉かもしれないのです。

 

生きている人間にとって「死」ほどの大問題はありません。

「これができたら死んでもいい」「いっそ死んじゃいたい」「さっさと死にたい」

とふだん何気なく使っている「死ぬ」という言葉ですが、

本来「死」は決して軽々しく取り扱えることではなく、

仏教では、人間にとってこれ以上重いことはないので「生死の一大事」と説かれます。

 

 

 

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ベルグソンやユングを降霊術に迷わせたものとは

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【迷信(1)】


19世紀のヨーロッパでは降霊術が大流行し、

ベルグソンやユングといった著名な学者も熱を上げたそうです。

なんで世界的な学者があんな怪しいオカルト儀式にはまったのか、

と首をかしげる人もあるかもしれませんが、

何もおかしなことではありません。

知識や学問で迷信は払拭できないからです。

 

19世紀のヨーロッパでは、科学の進歩が著しく、

今まで聖書や教会が語ってきた真理が空想、妄想であったことをが次々と暴露されていきました。

その結果、科学は神に代わって真理の座につきましたが、

科学は人間の苦悩のすべて解決するわけではありません。

「なんで私ばかりがこんな目に遭うのか」

「死んだらどこへ行くのか」

「生まれてきた意味があるのだろうか」

こういった人生の本質的な問いを前に、科学はあまりに無力です。

科学だけでない、医学も、経済学も、心理学も、その他諸の学問は

人生の意義に対しては、何の答えも示してはくれません。

 

科学が神を葬り去った代償は恐ろしいものでした。

人間に埋めがたい巨大な虚無感をもたらしてしまったのです。

その虚無感がベルグソンやユングを降霊術に迷わせたとしても、

何の不思議なこともありません。

世界的な学者であろうと彼らも、

人生の荒波にもまれ、方角分からず遭難している一個の人間です。

これから先どうなるか、不安の中に生きているのですから。

 

21世紀の現代も一緒ですし、これからだってそうです。

宇宙ステーションで生活する時代になっても

AI(人工知能)がどう生活の中に入ってこようが、

人間がそこにいる限り、

占い師、預言者、霊能者の類は、

色を変え、形を変え、そこにいることでしょう。

 

 

 

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悩み相談はAIに訊け

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【布施(1)】


昨年あるAI(人工知能)が

経済、医療、社会など日本のあらゆるデータ30年分と、

15000人の生活を10年以上に渡って分析した追跡データを基に、

日本の未来予想をしたところ、その結果は衝撃的なものでした。

高齢化率が35%以上。出生率は2.0未満。

ガン死亡者数は今と比較して23%増。国民医療費は7.6兆円増加。

さらに85歳以上でも働き続ける人は54%増、

さらに自殺者と餓死者も増えるという暗澹たるものでした。

 

「ではどうしたらいいか」AIに分析させてみると、

自殺者数・生活保護費・出生率など日本の社会問題がことごとく悪化するその大きな要因として

AIが挙げたのが「40代ひとり暮らし」だったのです。

さらにその解決法として「家賃を下げれば40代ひとり暮らしが激減する」と導き出したのです。

次にAIに「いくら家賃を下げたら、ひとり暮らしの40代が減るのか」訊いたところ、

「1坪あたり家賃を1000円下げれば40代ひとり暮らしはおよそ38万人減る」

との答えでした。

 

このAIの出した結果がどれほど信憑性があるか、まだなんともいえませんが、

それでもそこらの首相への忖度だの、選挙で勝つために、団体への利益誘導の政策を推し進める政治家よりも

ずっと日本の未来への対策として適切だと思えてきます。

いずれにせよ今後の政策論議にAIによる分析結果が大きな影響を持つことは間違いないと言えます。

 

医学の世界でもAIの導入が急ピッチで進んでいます。

病気の診断も、医者よりもAIの方が誤診が少なく、信用される時代がもうすでに到来しているのです。

AIに医者が診断結果を仰ぐ時代、

もしくは患者自身が医者の手を借りずとも、

診断から治療法、生活のアドバイスまで全部AIが指示してくれる時代がもうすぐにやってきます。

 

このようにあらゆる分野でAIの導き出す答えを重視するようになっていくのは、

戻れない時代の流れのように思います。

 

では来たるべきAI時代に、こんなことが起きたらどうでしょう。

あくまで私の想像での話ですが、現実でも起こりうることでもあるかと思いますので、聞いてください。

 

ここに災害に見舞われ、命の危険にさらされている5人の子供がいるとします。

どうしたら救出できるか、AI(人工知能)の出した救出法は

「1人を殺して他の4人を助ける」というものでした。

この方法を選択しなければ24時間以内に5人とも死ぬ、というのが、AIの判断でした。

AIはこういう重い決断を、ものの「0コンマ数秒」でするのです。

 

人間はこんなに簡単に結論を出せません。

なんとか全員助けられないかと、もがき悩み、

どうしても他の4人を助けるには、1人を殺すしかないという結論に到っても

それを実行するには種々の葛藤があり、ためらい続け、すぐそれを実行することはできません。

他に方法は何かないか、と逡巡し、迷っているうちに

結果的に5人全員を死なせてしまう愚を犯すこともあります。

 

しかしそれを「愚」と簡単に割り切ってしまっていいのかとも思います。

助けることができない1人の子にも親がいる。

その親からしたら、AIがそう判断したからといって、

それが一番いい、と人々がためらいなく我が子を殺したら、

どんな気持ちになるでしょうか。

あるいはあなた自身が、その殺される一人の子供の立場だったらどうですか。

 

悩み、ためらい、それでもどうしようもなく、そうするに到った苦渋の決断ではなく、

0コンマ数秒でドライに、スマートにそういう決断をするAIの答えに

諾々と順うのがより良い社会を築くことになるのでしょうか。

 

人はみなそれぞれの悩みを抱えており、悶々と悩み、

時には誰かに相談します。

相談された立場の人も一緒に悩み、考え続けます。

私達は悩むとき、その一緒に悩んで考え続けてくれる人との心の通い合いをこそ、

求めているようにも思います。

相談した方も、相談された方も、一緒になって一生懸命悩み、

その苦悶の末、進むべき道が決まり、

成功したら共に手を取り合って喜び、

失敗したら共に泣く、

こういう人間の心の通い合いは、AIの出現によってどうなっていくのでしょうね。

「悩み相談はAIに訊け」となった社会では、

AIがその人の悩みにその最も適切な答えを0.数秒でポンと提供する、のでしょうが、

そんな時代を人類が望んでいるのかなと首をかしげます。

みなさんはどう思われますか。

 

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自利利他が人間関係を劇的に改善させる

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【自利利他(2)】


先回から仏教の『自利利他』について話をしております。

『自利』とは自分の幸せ、『利他』とは他人の幸せ、

『自利利他』とは、自分が幸せになるままが人を幸せにすることになり、

人を幸せにするままが我が身の幸せになる、ということです。

 

先回は、どうして自分の幸せが人の幸せになるのか、話をしました。

今回は利他(人を幸せにすること)がなぜ自利(自分の幸せ)になるのか、お話しいたします。

 

人を幸せにしようと努めることが、我身の幸せに連なっていくのは、

経験則からも、周りの人を見ていても、分かられる方も多いと思います。

周りの人がどうしたら安心・満足してもらえるだろうかと、常に思いやる人は、

周りから愛され、好かれるようになり、

この人のためなら、と力になる人も現われ、

いつしか与えているその人自身が、

安心でき、満足させられる生活が送れるようになります。

 

商売でも、「自利利他」が原点です。

利他の精神を忘れてのビジネスは、

どんなに研究工夫しても、努力を積み重ねても、上手くいきません。

一時は儲かっても、長続きはしません。

 

ビジネス、営業をしているとどうしても

「どうしたらもっと相手の財布のひもが緩むか」

「相手にどうやってこちらの商品を認めさせるか」

ばかり考えてしまいますが、

そうなると、どんなよい方法があったにせよ、

客のお金や時間や気持ちをこちらに引っ張り込もうとすることなので、

客からしたらおもしろくなく、結局上手くいきません。

 

お客さんにリピーターになってもらいたいのだったら、

口コミで他の人にも紹介してもらいたいのだったら、

まず「利他」に心がけることです。

何が足りなくて困っているのか、人々の悩みに耳を傾け、

何か自分にできることはないか、を考えることです。

この利他の精神(相手を思いやる気持ち)が、

古今東西変わらぬ商売の原点であり、成功の秘訣です。

それはまた釈迦の「自利利他」の教えの実践なのです。

 

これは商談だけではなく、一切の人間関係に通じる真理です。

人間関係は決して勝ち負けではありません。

どちらが上か、相手に認めさせなければと躍起になる人には、

いつになっても、どこへ行っても、幸せな人間関係はもう訪れないでしょう。

人付き合いは相手を納得させて自分の理想を押しつけるゲームではないのですから。

 

自分の考えを分かってもらおうと要求する心を捨てて、

相手の考えを分かろうと努めてみることから始めてみる。

自分の意に沿うよう相手に動いてもらおうと欲するのをやめて、

相手は何を望んでいるのか、をまず考えてみる。

自分の価値観を押しつけ、相手を批判することにエネルギーを割くのをやめて

異なった価値観を受け入れ、融和する努力をしてみる。

自分たちの派閥、組織、個人を守るのではなく、

世界、国、社会全体に目を向けてみる。

なかなかできることではありませんが、

このように心を180度回れ右しようと努めると、

今までとまったく違った世界が開けてくるので驚きます。

 

 

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