親鸞に学ぶ幸福論

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人生で想定される最悪の事態とは何か

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【生死の一大事(1)】


台風19号の際、二階幹事長が

「まずまずには収まったと感じている」

と述べたことが、不謹慎だと世論に叩かれましたが、

ああいう立場の人ですから、荒川決壊、福島原発事故など国難ともいえる最悪のシュミレーションも想定していたのだと思います。

それが起きなくて良かった、と安堵のあまり、

ついあのように口を滑らせてしまったのでしょうね。

公の発言としてはまことに不適切でしたが。

 

自分の人生、生活においても、あらゆる事態を想定し、

平時から備えておくことは大事です。

こんな事態が起きても自分の人生は破綻しないだろうか、

家族の生活を守れるだろうか、と検証してみることです。

たとえば

・経済恐慌(株暴落、ハイパーインフレ)

・天変地異(地震や噴火、台風の長期停電、原発事故)

・戦争(核ミサイルやテロ)

・パンデミック(鳥インフルエンザなど)

あくまでも可能性ですが、いつこんな歴史的な惨事がおきるかわからぬ時代です。

 

また世界中どこでもあることであっても、

それが一個人にふりかかったら人生を揺るがす大事であることもいろいろあります。

・病気・怪我(半身不随、死にいたる病)

・家族の介護(認知症、寝たきり)

・犯罪被害

・解雇、失業、事業継続不能、
 
・ローン返済不能

・人間関係の破綻(離婚、友人の裏切り)

・社会的信用を失う言動、ミス

・精神を害する(うつ病など)

これらはいつ何時我が身に降りかかるかわからぬことですが、

その時に人生に致命的なダメージを負わないよう、

乗り切れるだけの備え、対策を立てておかねばなりません。

まさかこんなことはおきないだろうと高をくくって油断していると、

そのまさかが起きた時、対処のすべはなく、被害は甚大になります。

 

防災の鉄則は「最悪の事態を想定して備える」。

最悪の事態に対応できる万全の準備があれば、

どんな事態があろうとも「備えあれば憂いなし」で、安心できます。

人生もまた然り。

この世は無常の世界、何が起きるか分かりません。

だからこそ仏教という教えは、常に最悪の事態を想定し、その備えを訴えます。

 

では私たちの人生にとって最悪の事態とは何でしょうか。

それは「死ぬこと」です。

それで仏教では「死ぬ」という人生の最大事を

「生死の一大事」と説き、その解決を目的としているのです。

 

 

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子への執着も愛欲の一つと説く仏教

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【愛欲(1)】


親鸞聖人は『教行信証』に『愛欲の広海に沈没す』と書かれています。

「愛欲の心が広い海ほどあり、沈みきっている親鸞だ」との告白です。

海面に顔を出したり沈んだりアップアップしている、というのではない、

完全に沈みきってしまっている親鸞だ、ということですが、なんとも赤裸々な告白です。

 

「愛欲」と聞くと、男女間の欲のことだと思いますが、

仏教の「愛欲」とはそれだけではありません。

自分の子供に対する執着も愛欲の中に入ります。

 

お隣の韓国で現職の大臣が、自分の子供を一流大学に入らせるために権力を濫用したということで辞任に追い込まれました。

日本でも2年前くらいだったか、医大に多額の献金をしたのが、

実は医学部受験をする自分の子供の裏口入学の賄賂目的だったという事例が相当数発覚し、問題になりました。

親の気持ちとしては、医者になりたいという子供の夢を叶えさせてやりたいのはわかります。

そして子どもに自己肯定感の強い、しっかりした社会人になってほしい、というのもわかります。

(まあそれも子供の夢というよりも、実態は親の強い願望なのかもしれませんが・・・)

 

しかしやっていいことと悪いことがある。

それはまっとうな社会人なら誰でもわかっていることです。

先の韓国の大臣なら法律の専門家だから、

自分のやっていることが道理に反していることくらいわからなかったはずがない、

それでも子どもかわいいという執着の前ではやってしまうのです。

自分の子供を一人、大学に押し込むということは、

その分、本来は受かっていた子供を不合格にすることになります。定員枠があるのですから。

理不尽にも落とされたその子だって医者になりたくて一生懸命勉強していたに違いない、

そして本来なら受かるはずだった。

それを自分の子供を無理矢理入れるために、金の力で努力している他の子どもを蹴落とした、ということです。

落とされた子の人生が変わってしまうかもしれない、

それでもいい、自分の子供さえ受かれば、という親のエゴ、

仏教ではその「自分さえよければ他はどうなってもいい」という心を『我利我利亡者』といいます。

『我利我利亡者』とは自分さえよければ他の人がどうなってもいい、という心、

『欲』の本性は『我利我利亡者』なのです。

 

親鸞聖人は「愛欲の広海に沈没している」自己の姿を恥じておられますが、

愛欲の広い海に沈没しているのは親鸞聖人お一人だけのことではないでしょう。

愛欲のために道理を踏み外し、他人を傷付け、

その報いで醜態をさらしている実態は枚挙にいとまがありません。

 

 

 

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沢尻エリカは「自分も危ないかも」と思っていたらしい

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【因果応報(1)】


『心配事の9割は起こらない』という本が25万部突破のベストセラーです。

もし病気だったら、もしリストラされたら、もし別れ話だったら、

と何かといろいろ考えすぎてストレスを抱えることが私たちにはあるので、

取り越し苦労はやめましょう、とアドバイスするこの手の本が

気持ちを和らげる一助となるという人も多いのだと思います。

 

その気持ちも分かりつつも、

反面、私たちはいつも自分の都合のいいように解釈しがちであり、

『心配事の9割は起こらない』よりもどちらかといえば

カエサルの『人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない』との言葉の方に私は共感しますので、

あえて今日の内容です。

 

心配事の9割は起こらない、とは、

言い換えれば、心配事の1割は起きてしまう、ということです。

だとしたらやはり放置しておけないのではないでしょうか。

そんな事態が10%でも起きる可能性があるのなら、

たとえ起きても、自分の人生が「詰んだ」「オワタ」とならないよう、

何かしらの準備は必要になります。

準備しようがないことなら仕方ないですが、

己を律すれば対処できることなら、

「まさか」の事態に備えておくのが賢明です。

 

沢尻エリカが警察庁の調べで

「これまでに有名人が薬物事件で逮捕されるたびに、私も危ないんじゃないかと注意していた」

と語ったそうですが、やはり彼女も

「いつかは不意打ちの事情聴取、薬物検査があるのでは」

と心配する思いがあったのだと思います。

おそらくマスコミが薬物事件を取り上げ、賠償額や違約金が話題になるたびに、

「止めよう」との気持ちになったでしょう。

しかしどこかで「大丈夫だろう」と高をくくる心もあったのかと思います。

止めようとは思っても、禁断症状が出たりして無性に欲しくなると、

「ピエール瀧もASKAも20年以上捕まらなかったのだし」

「今だってこの人もあの人もまだ捕まっていないんだから」

「心配事の9割は起こらないのだから」

と決意もなし崩しにしてしまい、ずるずると続けていたのでしょう。

 

飲酒や無免許で運転する人、不倫を続ける人、虚偽とごまかしを重ねる人なども、

同じところがあると思います。

最初こそビクビクしていても、やがて慣れていき、

何とはなしにできるようになっていき、

そんなある日突然発覚して顔面蒼白。

すべてを失うという現実の結果に直面して初めて

「我ながら何を血迷っていたのか」と過去のタネまきを全身で悔やむものです。

 

 

 

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占いを否定された親鸞聖人

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【因果応報(1)】


親鸞聖人は「卜占祭祀をつとめとしている」ことを

「かなしきかなや」“嘆かわしいことだ”と書き残されています。

「卜占(ぼくせん)」とは占いのことです。

昔も今も占いにすがる人はあとを絶ちません。

「今日の運勢」や「ラッキーカラー」「星占い」「タロット」「手相」「墓相」など、

色々な種類があります。

 

「この人は自分にとってどんな存在なんだろう」

「この人と結婚したら私は幸せになれるのかなあ」

「もっと違う運命の人が実はいるのかなあ」

「どの株の銘柄が上がるんだろう」

「今、起業するタイミングだろうか」

このように先のことをみな知りたいと思います。

見通し明るくなれば、安心しますから。

でも先のことだから、誰もよくわかりません。

そこに断言口調で、確信に満ちた目で、将来を言い切る人がいると

つい選択権をそこにゆだねてしまうのでしょう。

 

わたしはこのメルマガで時々占いを否定する内容を書きますが、

そうするとメルマガを解約する方が現われるので、

占いをよりどころにしている人が多いのは感じています。

 

同じ未来を予測するのでも、天気予報や株価予想は占いとはいいません。

天気予報なら気象衛星の情報により計算して予測しているのであり、

株価予想もチャートの変動、過去の情報、世界情勢などのデータを基に予測する合理的な判断が重視されますが、

占いは誕生日や星座、手のしわ、その時ひいたタロットなど、

因果関係のないものを未来の運命に関係づけるもので、学問的な根拠を持ちません。

 

ではお釈迦様は運命についてどう説かれているでしょうか。

「あなたが自分の未来の運命を知りたいなら、現在の自己の心の向きと言動に注視しなさい」と言われています。

以下はその文証です。

「未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」(因果経)

未来の果(将来どんなことが我が身の上に起きるか)は、現在の因(今の私の心がけ、そして言動)が造る


みな未来を知りたい、そしてよい未来であって欲しいと願っています。

そう願うなら、現在の自己を見つめなさい、そして幸せの花が咲くよい種をまきなさいよ、

と説かれているのが仏教です。

その仏教の教えに基づき、

「手相」「墓相」「誕生の月日」「くじ」などの卜占(うらない)を迷信と否定されたのが親鸞聖人でした。

 

 

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神信心の不拝を強調された親鸞聖人

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【かなしきかなや(2)】

 

親鸞聖人は「天神地祇をあがめている」ことを

「かなしきかなや」“嘆かわしいことだ”と書き残されています。

「天神」とは天の神、「地祇」とは地の神です。

 

日本人は何しろ「神」と名が付くものがあると、

手を合わさないとバチが当たる、とでも思うのか、

毎年正月になると神社に行って頭を下げ

クリスマスには教会で神を称える賛美歌を歌い、

ちょっと形のいい岩や大木があると神が宿っているとし、

しめ縄貼って、これまた頭を下げています。

 

中には仏教の僧侶でありながら「神仏一体」なる経典にはない言葉を振り回し、

「神社に祀られている神も仏と一緒」と吹聴し、

「何であれ手を合わせることはいいことだ」と放言する始末です。

 

お釈迦さまは仏教を学ぶ者に対して

「天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ」

と般舟経にて諭されています。

それで親鸞聖人も

「天神地祇をあがめるな」「天地の鬼神を拝するな」

と教え、徹底されました。

おそらくこう書くと、「えっ、親鸞聖人がそんなことを言われているって、ホント!?」と

今でも多くの人が問い質したくなるでしょうが、

神の不拝の厳しさは、親鸞聖人晩年の善鸞義絶事件でも明らかです。

神に仕えて祈祷し、他人の吉凶を占ったりして人々を迷わせた長子・善鸞を決して許すことはできぬと、

聖人は悲憤の涙とともに義絶なされています。

「あさましさ、申すかぎりなければ、いまは親ということあるべからず。子と思うこと、おもい切りたり、悲しきことなり」

断腸の思いで記された義絶状が今に遺ります。

 

この親鸞聖人の教化は、500年後の江戸中期の親鸞学徒にも浸透していたと見られ、

有名な儒者・太宰春台が、著書でこう驚嘆しています。

「一向宗の門徒は、弥陀一仏を信ずること専にして、他の仏神を信ぜず、

如何なる事ありても祈祷などすること無く、

病苦ありても呪術・符水を用いず、

愚なる小民・婦女・奴婢の類まで、皆然なり、これ親鸞氏の教の力なり」

当時はコレラやはしかなどの疫病は、悪霊、鬼の仕業だと信じられていました。

ウィルスの存在など毛頭知らなかった時代ですから無理もありません。

かかったら最後、かからないようにするための魔除けの札を家に貼り、神頼みの祈祷をしていました。

また気象衛星もなかった時代ですから、干ばつも天の神によるとに信じられ、雨乞いの祈祷をし、

台風は風神、雷神が暴れていると信じられ、これまた祈祷。

そんな時代に祈祷や呪術にたよらぬ浄土真宗の門徒の暮らしぶりは、

大変希有だったようで、驚きの目で見られたことがわかります。

 

ところが今の時代、この情報社会でどうしたわけか、

浄土真宗の門徒は神社への初詣や合格祈願、交通安全の祈願、厄年の厄除け、家を建てる時の地鎮祭などのオンパレードで、

まったくと言っていいほどこの親鸞聖人の教えが伝わっておりません。

「かなしきかなや」と親鸞聖人が嘆かれたのは、

決して当時の人だけではなく、今日の私たちに向けられている、といえましょう。

 

 

 

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陰陽道と仏教・浄土真宗の違い

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【かなしきかなや(1)】


「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」(悲歎述懐和讃)

親鸞聖人のお歌です。

最初の「かなしきかなや」とは、

“なんと悲しいことだろう、情けないことか”ということですから、

親鸞聖人が悲嘆なされて詠まれた歌であることがわかります。

 

では聖人は何を悲嘆されたのでしょうか。

続けて読んでみましょう。

「道俗」の「道」とは僧侶、出家の人。

「俗」とは俗人、在家の人。

よって「道俗」とは、僧侶も、在家の人も、ということです。

この歌で親鸞聖人は、僧や門徒の実態を嘆かれていることが分かります。

 

では僧侶や門徒のどんな実態に嘆かれたのか、こう続きます。

「良時吉日をえらんでいる」

「天神地祇をあがめている」

「卜占祭祀をつとめとしている」

こういった行為を親鸞聖人は「なんと情けないことか」と嘆かれているということです。

では、これらはどういうことでしょうか。

 

まず「良時吉日えらばしめ」、

これは日の善悪で吉凶を占うことです。

先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口などの六曜思想は

カレンダーにも記載されていることからもわかるように、

現代でも信じている人がけっこう多くあります。

「今日は友引だから葬式を出してはいけない」とか、

「今日は大安だからお日柄もよく結婚式にいい」とか耳にされることもあるかと思います。

六曜の一つに「仏滅」とあるので、仏教由来かと思っている人がありますが、仏教は何も関係ありません。

もともと六曜は中国の陰陽道(おんみょうどう)からきており、

戦の際、今日は先勝だから先に攻めよう、明日は友引(共引)だから引き分けだろう、と

為政者が陰陽師に吉凶を占わせた俗信です。

 

他にも「金星人は今日は大殺界だから」と気にしている人もありますし、

「天中殺」だの「三隣亡」だの、西洋では「13日の金曜日」が忌み嫌われ、

朝のニュースでも「今日のラッキーカラーは...」「今日のラッキーアイテムは...」と言っています。

 

これら日の善し悪しを気にする一切を、釈迦は「すべて迷信だ」と一刀両断されています。

『如来の法の中に吉日良辰をえらぶことなし』(涅槃経)

“仏教は日の善悪を論じない”とお釈迦様自身が説かれている通りです。

 

それなのに釈迦の弟子を自認する僧侶の衣を着る者が

「今日は災いがくる悪い日だから・・・」などと脅し、

それを聞く大衆も惑わせれているのですから、

「なんたることか」と僧の実態を親鸞聖人が嘆かれ、

「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ」といわれているのです。

 

次に「天神地祇をあがめている」とはどういうことでしょうか。

次回、お話しいたします。

 

 

 

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おカネを手に入れる方法よりも大事な問いとは

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【財欲(1)】


おカネを「どうやって手に入れるか」に悩む人はあっても、

おカネを「何に使うか」に悩む人はほとんどありません。

人類の知りたいこと、求めてやまないこと、古今東西変わらぬニーズは

「どうしたらおカネを自分のものにできるか」です。

手替え品替え、金儲けの方法が語られ続け、

今も書店の表紙にはそのテーマの本が並ぶことからもそれはわかります。

ところがお釈迦さまは「どうやっておカネを手に入れるか」よりも

「おカネを何に使えばいいか」の方がずっと難しい、と教えられています。

そして「ここを間違えると幸せになれるどころか、不幸、破滅を招きますよ」

と説かれています。

実は私たちの幸福に直結する問いは

「おカネをどう手に入れるか」ではなく「お金をどう使うか」なのです。

 

47歳のビリー・ハレルJr.は宝クジで3100万ドル(約33億円)当選しました。

妻と3人の子供を養っていくのがやっとの彼の慎ましい生活はその日を境に一転しました。

仕事を辞め、ハワイに引っ越し、車や家を買いあさり、親戚にもカネをばらまき、

寄ってくる慈善団体に法外な額を寄付し、

やがて何の関係も無い連中が群がるようになり、

電話番号を変えねばならなくなります。

またある会社ととんでもない契約を交わす大失敗をやらかします。

当選から1年も経たずしてビリーは妻と離婚。

さらにその一年後、自宅で自殺しました。

彼は死ぬ直前、ファイナンシャルプランナーに、

「宝くじの当選が、人生で最悪の出来事だった」

と語ったといいます。

 

こんな話を見聞きするたびに私たちは

「それは愚かな男だったからだ、オレは大丈夫だ」と思いますが、

これは誰にとっても、他人事だと言える人はありません。

お釈迦さまはカネを毒蛇にたとえられています。

それはカネのために身を破滅させる人が実に多いからです。

大臣や総理まで務めた者もこの毒にあてられ、獄舎につながれています。

目の前のカネのために節を屈し、志を捨て、堕落していく者もいかに多いことか。

毒蛇の被害者は、周囲に満ちています。

私たちは、おカネを手に入れる方法がわかれば幸せになれると信じ込んでいますが、

そもそもそれが大いなる迷信だと釈迦は説かれているのです。

 

 

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