親鸞に学ぶ幸福論

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誰からも必要とされない孤独地獄の苦しみ

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【孤独地獄(1)】


「It's automatic 側にいるだけで、その目に見つめられるだけで

 ドキドキ止まらない Noとは言えない」

宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」です。

当時15歳の宇多田ヒカルが、恋する少女の心情を等身大で歌って、

センセーショナルともいえる大ヒットとなりました。

君が必要なんだ、と訴えかけてくる目、

そんな目で見つめられると、ドキドキが止まらない、という歌です。

 


人から必要とされた時、私達は力みなぎり、元気がわいてきます。

自分を必要としてくれる人との出会いには、人生を変える力があります。

 


世のお父さんたちが満員電車に揺られ、夜は残業し、

疲れた身体に鞭打って頑張れるのも、

奥さん、子供にたよられ、必要とされているからです。

 


会社でも「わが社には君の力が必要なんだ」と励まされれば、

勇気百倍みなぎる気持ちになります。

 


自分を必要としてくれた、この喜びは

「焼肉食べ放題」といった、刹那的、肉体的快楽とは比べようもありません。

 


逆に「お前、いたんか?」という扱いを受けると、意気消沈してしまいます。

家庭でも相手にされない、

職場でも、いてもいなくてもいい存在、となると

辛く、さびしくなり、死にたくなってきます。

 


自殺者の主な要因は、ここにあるといえましょう。

ある学者が多くの自殺者の遺書の内容を研究したところ、

借金や病気、人間関係のトラブルや絶望は、

自殺者にとって重大な要素ではないことがわかりました。

遺書から明らかになったのは、自殺者が、

「自分が周りの人たちにとってお荷物である」

と感じていたことでした。

彼らは、自分はいない方がいい、と考えていたのです。

この孤独感が人を死に誘うのです。

 


カネやモノに恵まれ、美味しいものを食べたり、旅行に自由に行けても

「誰からも必要とされない」孤独は、もう癒されるものではありません。

 


だから誰しも人は、必要とし、必要とされる人との絆を、命としているのです。

そんな人との出会いを必死に求めて、大人も子供も、男も女も、

「さびしい、さびしい」と、さまよい続けています。

これを仏教では「孤独地獄」といわれています。

 

 

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「今回だけだから」の悪魔のささやきが身を滅ぼす

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【忍辱(3)】

 


ボルネオ島の人々が、オランウータンを捕らえる方法は奇抜です。

なみなみと満たした水ガメに、アリックという強烈な酒を数滴垂らし、

オランウータンの巣の下に置くと、

香りに引き寄せられ、オランウータンが飲みにくる。

その翌日から少しずつ、酒の量を増やしていくと、

いつしか彼らは酒の味を覚え、好むようになっていく。

やがては生のアリックをもガブ飲みするようになり、

酔っ払って、石を投げたり木を折ったり、

散々乱暴した揚げ句、ゴロリ高鼾で寝てしまう。

そこを難なく、捕らえるというのです。

 


人間もオランウータンを笑えません。

最近も芸能界でありましたが、酒で人生を棒に振る人は跡を絶ちません。

「酒は百薬の長」「酒は人間関係の潤滑油」

と言われるように、ほどほどの嗜みなら効用もありますが、

怖いのは、ほどほどで終わらない、ところにあります。

 


「飲み過ぎないよう自制してます」と言っても、

その自制心を緩ませてしまうのが酒です。

「一杯だけなら」が命取りになるのは、そのためです。

飲むと気が大きくなり、「もう一杯」「あと一杯」と杯を重ねてしまい、

飲んでいたつもりが、いつの間にかのまれてしまう。

そこに酒の怖さがあるのです。

 


酒だけではありません。

ギャンブル、不倫、借金、薬物・・・

「ちょっとだけ」「一回だけなら」と気が緩み、

結果、人生を台無しにする人がどれだけいることでしょう。

 


「しない」と決めたことはしない。

「やめる」と誓ったことはやめる。

この忍辱(忍耐)の積み重ねが、人生を好転させていくのです。

 

 

 

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自暴自棄になるか、人生の資産となるか、の分岐点

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【忍辱(2)】


gooランキングのよると「自暴自棄になる瞬間」の第1位は、

「努力が無駄になった時」でした。

家の都合で進学をあきらめたとか、

怪我をして引退勧告を受けたとか、

起業した会社が立ち行かなくなったとか、

それが人一倍努力を重ねてきた人ほど、喪失感はひどく、

すべてを投げ出して、どこかに消えてしまいたい気持ちになるものです。

 


先回は、そんな時一番大事なのは「忍耐」だと、釈迦の教えを通して話をしました。

忍耐が、その挫折、失敗を、人生の財産に変えるのです。

 


映画監督、脚本家、役者、作家、ミュージシャンなど、表現する世界に生きる人なら、

「よし、この経験やこのときの心情を表現しよう」

となりますから、間違いなく財産です。

 


教育界に進む人なら

「いつか失望している人にアドバイスできるように、ここは前向きに乗り越えよう」

と自分の資産となります。

 


子を持つ親なら、

「子供にも、自分と同じような挫折がある時もあろう。

そんな時、“お父さんはこうしたんだよ”と、子供に恥ずかしくないような行動をとろう。

子供に“お前もこうするんだよ”と、模範を示せるような決断をオレは今するんだ」

と受け止められます。

 


一見ムダと思える経験をどれだけしてきたか、

実らなかった努力をどれだけ積んできたか、

それもその人の人生の財産といえます。

 

苦境は人生の分岐点に立つ危ないとき

 

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【忍辱(1)】


苦境に立たされる時、理不尽な思いに駆られる時は

どんな人にでもあります。

そんな時は、自分が非常に危険な分岐点に立っていることを、

よくよく自覚すべきです。

 


そこで急斜面を転がり落ちるのは簡単です。

難しいのは平坦な道を歩くことです。

ちゃんと朝起きて、目の前の仕事をこなし、

家に帰れば妻や子供の話を聞き、知人に会えば笑顔で挨拶する、

そうした当たり前の日常をこなしていくのも大変に困難な時ですが、

とにもかくにも忍耐して、その平坦な道を歩き続けること。

やがてその日々の積み重ねが、事態を好転させていくのです。

 


釈迦は「苦しいときに忍耐せよ」と教えられています。

「忍耐」を幸せの花が咲く6つの善い種の一つと説かれ、

「蒔きなさい、幸せになれるから」と勧められています。

 


人間がダメになるのは「失敗して挫折した時」ではありません。

どんな失敗や挫折があっても、人はダメにはなりません。

その失敗や挫折で「腐ったり、投げ出したりした瞬間」に、ダメになるのです。

腐らない限り、自暴自棄に走らない限り、必ず未来は開けます。

「忍耐はすべての道を通す」のです。

 

 

 

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今のパートナーと末永く仲良くしたい人が知っておきたい恋愛の研究結果とは

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【慈悲(1)】


恋愛に関する面白い研究があります。

研究のタイトルは「物事がうまくいったとき、あなたはそばにいてくれますか」というものです。

仕事が評価されたとか、テストでいい点を取ったとか、何か良いことがあり、

それを恋人に伝えた時の反応をデータに取った研究です。

結果は顕著でした。

相手のうれしい出来事に関心を示さなかったカップルは、

ことごとく別れていたのです。

【物事がうまく行った時に共に喜んでくれないのは破局の予兆】と、

データは雄弁に物語っていました。

 


失意の時に支えてくれるパートナーは、大切でかけがえのない存在ですが、

もしかしたら私たちはそれ以上に、

良いことがあった時、一緒に喜び、祝ってもらえるパートナーを

欲しているのかも知れません。

 


お釈迦さまは「慈悲の心で接する人は幸せになれる」と説かれています。

『慈悲』とは『慈』の心、『悲』の心、ということです。

『慈』とは、「抜苦(ばっく)の心」、『悲』とは、「与楽(よらく)の心」です。

苦しんでいる人を見てじっとしておれず、

なんとかその苦しみを抜いてあげたいと思うのが『慈』の心です。

相手が喜んでいるのを見ると自分もうれしくなり、

いつまでもその笑顔を守りたい、

ずっと相手が幸多い人生であってほしいと願う心が『悲』の心です。

特にこの研究結果は『悲』の心の大切さを改めて知らされるものですね。

 


私はかつて師事する仏教の先生から

ーーーーー

“何か自分に出来ることはないか。”

“他人のために出来ることはないか。”

“自分が楽をしようというのではなく、人のために尽くそう、とできないか。”

“常に人の喜べることは出来ないか。”

これを十年続ける人には、周りに人垣ができる。

ーーーーー

と教えていただいたことがあります。

 


つい私たちは「どうすれば認められるか」「どうすれば儲かるか」と

自分の喜びばかりを追いかけてしまいがちですが、

その発想を「回れ右」して、周りに喜びを与えることだけを考えていくと、

それが結果的に我が身自身が最も堅実に、かつ速やかに

幸せを手に入れる道であったと、身体を通して知らされるのです。

 

 

 

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キリのない道をキリがあると思って歩き続ける悲劇

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【流転輪廻(1)】


仏教では、迷いを重ねる私たちの姿を、

『流転輪廻(るてんりんね)』といいます。

ゴールのない円周を「がんばれ」「がんばれ」と連呼され、

ひたすら回り続けるランナーさながらに、

生きる目的を知らないまま、ただ「生きろ」「生きろ」と言われて

生きる姿が『流転輪廻』です。

 


しかもその悲劇的なことは、同じところをグルグル回っていながら

本人に同じところを回っている自覚がなく、

前に向かって進んでいるように思い込んでいることです。

 


ちょうど一本の直線がある方向に果てしなく続いているのを見て、

一人の男が、この直線に沿って進んでいけば、その先には何があるのだろう

と辿っていったとします。

ところが実はその直線に見えたその線は、大きな円だったのです。

人間サイズから見ると、円の一部は直線にしか見えないので、

直線だと思い込んだ男はどこどこまでもまっすぐ辿って行く。

その結果、男はどうなるか。

やがて反対側から元の位置に戻るだけなのですが、

そのことに気づきません。

男はゴールなき円周を回り続け、

やがては行き倒れになるだけです。

 


平らな面がどの方向にも果てしなく広がっているのを見て、

一人の男が、この地平線のその先には何があるのだろう

と一方向に歩いて行った。

ところがその果てしない平らな面に見えたのは、

実は大きさの球の表面だったのです。

人間サイズから見ると、球の一部は一見、平面にしか見えないので、

平面だと思ってひたすら男は歩いていった。

その結果はどうなるか。

やがては反対側から元の位置に戻ってしまうだけで、いずれは行き倒れです。

 


「前向きに頑張って進もう」

「あきらめなければこの先に必ず何かあるんだ」

「せっかくここまで進んできたんだから、ここであきらめられるか」

「必ず何かあるはずだ」

と人間はひたすら前進しているつもりですが、

高所大所から俯瞰している仏の眼からすれば、

実は同じところを回っているだけ、なのです。

こんな人間の実態を「流転輪廻」と説かれています。

 


この流転輪廻からの出離が仏教の目的です。

 

 

 

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カースト制度を否定されたブッダの真精神を受け継ぎし人

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【御同行(1)】


悪名高き「カースト制度」は、インドにはびこる身分差別です。

その歴史は古く、約2600年前のお釈迦さまの時代からあり、

今日にいたるまでインドの多くの人々の心に根深く巣喰っています。

カースト制は大きく分けると

「婆羅門(バラモン)」「刹帝利(セッテイリ)」「吠舎(ベイシャ)」「首陀羅(シュダラ)」

という4つの社会の階級があり、

婆羅門(僧侶)と刹帝利(王族)は、ほとんど同等の尊い身分とされますが、

吠舎(庶民)はそれらに対して、婚姻はもちろん、交際から職業までも禁じられ、

首陀羅(奴隷)に至っては、直接それらと言葉も交わされぬほど蔑視されています。

 


現代のインドでは、表向きには法律でカースト差別は禁じられているものの、

今もインドで発生する事件の多くが、カーストなどの階級差別による事件です。

「カースト越しのラブレター事件」では、

15歳の少年が自分よりも下位の階級の少女にラブレターを送ったところ、

相手と同じ階級のメンバーに拉致され、髪を刈られ、市内を引きずり回された後、

少年の母の命乞いも空しく、線路に投げ込まれ少年は死亡しました。

 


カーストでは違う階級同士の結婚が許されておらず、

違う階級の人と駆け落ちをしたり恋をした場合、

「名誉殺害」といって、自分の家庭の名誉を守るために、

自分の親や親族によって殺されてしまうこともあります。

 


今日の日本でも、民族や人種差別の不快な情報を目にしますが、

インドと比べればかわいいものです。

ましてお釈迦さま当時のインドは、どれほどのものだったでしょうか。

 


お釈迦さまのおられた当時、このようなことがありました。

お弟子の一人である阿難が、ある夏の暑い日、祇園精舎に帰る途中、

あまりにのどが渇いたので、木の陰で一人の若い女が手桶に水をくんでいるのを見て、一杯の水を求めました。

阿難に言葉をかけられた娘は、赤面しながら小さな声で、

「私は卑しい素性の女です。あなたのような尊い身分の方に上げられません」

と、断ったのです。

娘は、カースト制で最下層の「首陀羅」であったのです。

 


阿難は、優しく娘を慰めて、

「人間は、生まれながらに貴賤が定まっているのではない。

仏の教えは、一切の人々は生まれながらに平等であり、自由だと教えられているのです。

どうか遠慮なさらずに、私に水を一杯布施してください」

と少女を励ましています。

 


今日もなお、インドの社会に強い影響力を持つカースト制は

お釈迦さま当時は、まさに絶対的なものでした。

その時代にあって「人間は生まれながらに貴賤が定まってはいない」と

お釈迦さまが万人平等を宣言されたことは、

どれほど世に衝撃を与えたことでしょう。

 


このお釈迦さまの真精神を受け継がれたのが、法然上人・親鸞聖人です。

当時の日本の仏教は、奈良・平安時代を通じて、

権力者の政治体制の安泰を祈るのが役目となっていました。

大仏で有名な東大寺は、国家を護るために時の天子が造ったものです。

奈良の興福寺も藤原家の繁栄を祈る寺でした。

比叡山の延暦寺も、京都に都を移すときに、京の都を護るために創建されています。

いずれも支配階級である貴族のための教えで、庶民は救済の対象から外れていたのです。

極楽浄土へ往けるのは戒律を守る修行僧か、

寺に財物を寄進する貴族だけ、とされていました。

肉を食べ結婚生活する平民は、戒律を守ることはできません。

貧しくて寺に納める物もありません。

庶民は、最初から切り捨てられていた、存在だったのです。

 


そんな中、それは決して真実の仏法ではないと宣言されたのが

法然上人であり、親鸞聖人でした。

両聖人は、当時虐げられていた猟師、商人、遊女など

社会の底辺に生きていた人たちにも、一切分け隔てなく接せられ、

弥陀の救いを切々と説法され、万人救済の道を切り開かれたのです。

 

 

 

 

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