親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

定年退職した後に襲う寂しさ、むなしさ

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【人身受け難し(1)】


名古屋で仏教講座をひらいた際のことです。

おだやかな笑顔が印象的な、紳士というイメージがぴったりくる50代の男性が参加されました。

ネット上の講座案内にあった「なぜ生きるのか」の一言が気になったそうです。

どうして気になったのか、お訊きすると

50歳になった時、

「今まで一生懸命働いてきたのは、いったい何のためだったのか」

との思いに強くかられたから、とのことでした。

講座の後にカフェで1時間ほどお話ししましたが、

そこでお話しされたことが、

おそらく多くの中高年の男性が共感される内容ではないかと思ったので、

一部、紹介いたします。

 

20代、30代の頃は夢中になって働き、

収入が増え、子供が大きくなることに生きがいを感じられたそうです。

「それがいつ頃からだったですかね。40代も後半にさしかかった頃か、と思いますが」

その頃になると、金に不自由しないようになり、

人を使うようになり、商売も安定してこられた、とのこと。

それは自分がずっと望んでいた生活であり、

満足していいはずなのに、

なぜかその頃くらいから、やることをやってしまった虚脱感のようなものを感じるようになり、

もう50代か、と人生が折り返し地点を過ぎた時、

いよいよそれがはっきりしてきたそうです。

 

子供を育てたり、金を貯めて会社を広げることの他に、

何かやることがあったような気がする。

しかし、それが何だったのかわからない。

わからないが、時々自分が何か大きな忘れ物をしているような気がする、との思いを強くされたのです。

 

そんな時にNHKの『100分de名著』で紹介されていた太宰治の『人間失格』の

「ただいっさいは過ぎていきます」の言葉が胸に刺さり、

この言葉をネットで検索して私のブログ記事を読まれ

「妙に気になることを書いている」と読み進むうちに

やがて名古屋で勉強会があることを知られ、一度行ってみようと思った、

と言われていました。

 

時の経つのは早いもので、もう今年もあと1ヶ月ちょっと。

年賀状が発売され、今年の流行語とか、10大事件とか話題になっています。

まもなく新しい元号となり、平成は過去となります。

東京オリンピックもすぐやってきて、瞬く間に「終わってしまった」となるでしょう。

 

目の前のことに追われながらバタバタと月日は流れ、

ふと振り返り見ればもうこんな年になってしまったのか、と黄昏る、

そして「いったい私はどこへ向かっているんだろう」と、

来し方行く末にため息をつく。

この人間のむなしさに目を向け、解決を迫るのが、仏教です。

 

 

 

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哲学者・三木清は、浄土真宗の信仰によって死んだか

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【親鸞聖人(1)】


こうしたメルマガにせよ何にせよ、情報発信している人は、

聞き手、読み手の心を考えて言ったり、書いたりすることに努めているものです。

私も文章を書きながら、読み手のことを考えます。

読者から「それでもか」との声も飛びそうですが、

すみません、これでもそうなんです。

 

読み手の気持ちになって自分の文章を読むと、

声なき声がいろいろ聞こえてきます。

「もっと核心を書けよ」

とか、逆に

「こんな難しいこと書いても読者は共感しないよ」

とか、

「こんなことを書いてて、ひまだなあ」

などなど。。。

 

そういうサイレントクレームを、

ものを書く人は背中で感じて書いています。

「書くことは恥をかくことだ」と、

書いている本人は自覚しているのです。

 

時にはサイレントではなく、回り回って私の耳に届く批評もありますし、

匿名で批判してくる人も度々です。

いただく批判の中には図星もあれば、的外れな指摘もありますが、

いずれも向上の糧になりますので、有難く拝聴しています。

 

一方で「じゃお前、同じことやってみろよ、そしてオレと同じくらい結果出してみろよ」

と思わないでもありません。

 

書いてて一番悩むのは、「どこまで書くか」です。

読んでおられる一般の人がわかる内容でなければ書いている意味がないですし、

さればといってどこにでもある無難な内容になってしまうと、

仏教、親鸞聖人の教えの核心を鮮明にもできません。

 

そういうことをいつも悩んでいるせいか、哲学者・三木清の

「表現者は、表現の機会に言わなかったことに対する責任がある」

との言葉が心に残りました。

 

大臣の失言が国会で問題になり、辞職を迫られたり、

テレビでのコメンテーターの発言が物議を醸したり、

ブログの記事が炎上したりするので、

つい情報発信者は、角が立たず一般受けする無難な言い方ばかりに終始するようになります。

 

それは「言ったことへの責任」を気にしているのですが、

それよりも問題とすべきは「言わなかったことに対する責任だ」と、三木は言います。

表現の機会を与えられながら、

言うべきことを言わない、

声を上げなければならない時なのに、

責められるのを嫌って声を上げようとしない、としたら

表現者としての責任を果たしていない、と彼は言っているのです。

 

軍部と皇道右翼を批判し、治安維持法違反で投獄された三木清は、

劣悪な衛生状況の刑務所内で疥癬を患い、獄中死しています。

守らねばならない家族もいながら、

思想や信条を理由に殺されたようなものです。

その彼の「表現者の言わなかったことの責任」との言葉は重いですね。

 

自分も親鸞聖人の教えを説く親鸞学徒の一人として、

言うべきことは言わねばならない責任があります。

どれだけその自覚を強く持っているか、

突きつけられたような気がした三木清の言葉でした。

 

三木清は晩年、親鸞聖人の著書『教行信証』に心酔し、

「『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である」

と、感嘆しています。

また「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と友人の本多顕彰氏に語り、

「私はほんとうにびっくりした。合理主義の理論家三木が、私の抵抗しつづけてきた、あの地獄極楽の浄土真宗の信仰によって死ぬなんて!」と驚かせています。

遺稿となった未完の原稿のタイトルは『親鸞』でした。

 

 

 

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一切は自因自果、自業自得。相手を罵るな

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【因果の道理(3)】


「あの女のせいでオレの人生、無茶苦茶にされた」

と離婚した妻のことを悪し様に罵る男がいます。

母親に、いかに自分の妻が悪かったか、を延々としゃべり、

聞く母親も母親で、「お前が気の毒だ」と一緒になって元妻を罵る。

こんな会話は聞き苦しいものがあります。

 

確かにその人の言うような奥さんだったのでしょうが、

それでもこんな男は「見苦しい」の一言です。

自分のことを棚に上げて、

相手のせいばかりにしているのですから。

 

だいたい「あの女のせいでこんな目に」と言っていますが、

そんな人を選んだのは、どこの誰か。

その彼女がどんなにひどかったとしても、

その人を好きになったのも、結婚しようと決めたのも、

自分が決めたことでないですか。

 

その女と結婚しなければ良かっただけのことです。

その女がどんなにひどくても、他の男は苦しんでいません。

苦しんでいるのは「その男」だけです。

なぜか。

他の男はその女を選ばなかったからです。

選ばない方がいい、と判断したからでしょう。

しかし自分は選んだ、

だから自分だけがそんな目にあった、

それが原因です。

ならば選んだ自分の頭を叩かなければならないところでしょう。

 

結婚するなら、すべて自己責任と、覚悟を決めるべきです。

もっと言えば、結婚したその女性も、

その男でなければ、悪妻とならなかった可能性もあります。

選んだのも、悪妻にさせてしまったのも、

結局その男の力量だった、ということです。

 

先回は仕事での左遷、今回は家庭の離婚、

いずれも人生の苦難に際して、

「一切は己のまいた種、自因自果ですよ」

と説かれるお釈迦さまの教えを話しをしてまいりました。

苦難の時に人のせいにせず、

自因自果の仏説を確と受け止めるのは、

とても難しいことです。

しかしそこで覚悟を決め、因果の道理を受け止め、

己の選択、決断に責任を持つようになれば、

人生は必ず好転していきます。

 

 

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うらむ心を「回れ右」すると、人生は一変する

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たいてい人は左遷させられたり、閑職に回されると

「オレがこんな目に遭うのはあいつのせいだ」と誰かをうらみ、

仕事にもやる気を失い、投げやりになるものです。

 

仏教は、こんな時、いや、こんな時だからこそなお、

一切は自因自果と説く因果の道理を深く受け止めなさい、と教えられます。

あいつのせいだ、こいつのせいだ、と人をうらむ心を「回れ右」して、

そうなる種まきをしてきた自己に原因があることを受け止めよ、

とお釈迦さまは諭されます。

 

こう聞かれて「仏教は厳しい教えですね」

との感想を持たれる方もあると思います。

失敗した時、上手くいかない時には、誰しも

「お前のせいではない、全部あいつのせいだよ」

と慰めてもらいたいですし、

一緒に「あいつ」の欠点を言い合う人を求めるものです。

 

そんな時にも仏教では、

一切は自因自果、自業自得、と受け止めよと迫るのですから、

確かに、なんと厳しい教えか、と思います。

 

しかし仏教は厳しい教えではありますが、

決して冷たい教えではありません。

 

『まかぬ種は生えぬ まいた種は必ず生える』

『仕方なや まいた種なら 生えるもの』

ここを受け止めることができれば、

受け止めたその瞬間に、

職場の苦しみの半分は解決したようなものです。

 

「あいつのせいだ。あいつは許せない」

「こいつだけがなぜ。理不尽だ」

と怒りとねたみを燃やして、私たちは苦しんでいます。

「そうか、なんだ。自分に原因があったのか」と思えた瞬間に

心がすっと軽くなり、

今まで自分を苦しませていたのは「あいつ」や「こいつ」ではなく、

自分の心だったのか、と思い知らされるでしょう。

 

怒りとねたみ、不満やうらみの心でくすぶり続ければ、

職場で会う人会う人とぶつかり、息苦しい環境となり、

やがてそこに居づらくなっていくだけです。

その心を「回れ右」して

「このたびの挫折は、自分を良くする学びだ」

「この辛酸も、人生を好転させるきっかけだ」

と思えるようになるかどうか、に

人生の幸・不幸はかかっています。

 

【その毒を 薬に変えて 立ち上がれ】

いかなる苦難も

「これも貴重な人生経験だ、しっかり学ぼう」

と心を切り替えれば、

すべては勝縁(勝れた縁)になります。

一切は無駄にはならない。

無駄にしてはならない。

こうなってよかった、と後で振り返って思える時がきっとあります。

 

 

 

 

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自因自果の智恵と他因自果の愚痴

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【因果の道理(1)】

 


仏教で『他因自果』と『自因自果』という言葉があります。

『他因自果』とは、

他者(自分以外の誰か、何か)が原因で、

自分に幸・不幸の結果が起きる、ということ。

『自因自果』とは、

自分のやった行いが、

すべて自分の幸・不幸となって現れる、という教えです。

 

仏教は、常に『自因自果』を説きます。

「自らの身に起きる一切は、自分のまいたものばかり」

これには万に一つ、奥に一つも例外はないと教えられています。

そして『自因自果』を受け止め、発想し、行動できる人を『智恵ある人』といい、

『他因自果』と、人のせいにし、恨み、ねたむ人を『愚痴の人』と説かれます。

 

この仏教の『自因自果』は、

たとえ仏教の教えを知らない人であっても、

経験則から、人生観の柱に置いている人は

ことのほか、多いのではないかと思います。

 

ある大学教授と仏教の『自因自果』を話している時に

「俺が認められないのは世の中がだめだからだ、と思っている研究者は相当いる」

と言われ、

「そうした傾向は自分にもある」と苦笑されてもいました。

またその教授は

「そんな中、本当に優秀な者が少ないけどもあって、

それは二通りで、

世の流れを正しくつかんで飛躍していくタイプと、

一切言い訳をせず、自分の信じる道を行くタイプ、

彼らは道を切り開いていく」

と言われていました。

 

「まかぬ種は生えぬ。まいた種は必ず生える。刈り取らねばならぬ一切は、自分のまいたものばかり」

厳粛な因果の道理は万分の一、億分の一も例外はない、と説くのが仏教です。

 

 

 

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「みんな言っている」には気をつけよう

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【悪口(1)】

 


「あの人のこと、みんなそう言っているよ」

こういう言い方は悪口の常套文句です。

気をつけて聞かねばなりません。

よくよくその人の言う「みんな」を検証してみると、

その人の友人の○○さんと△△さんだけだった、

ということがよくあるので。

 

しかもその友人たちとて、

その人の言う悪口の勢いに話を合わせているのであって、

実は悪口言っているのは「みんな」ではなく、

その人だった、というのが、

「みんなそう言っている」の、たいていの実態なのです。

 

私たちは嫌いな人のことを誰かに話すとき、

「みんな言っている」

「あの人がいるとみんな迷惑する」

「あの人がいる限り、職場がよくならない」

と言いがちですが、それは

「私が言っている」

「あの人がいると私が迷惑する」

「あの人がいる限り、私がよくならない」

の場合がほとんどです。

 

少なくとも、その人の言う「みんな言っている」の「みんな」の中に、

その人自身が入っていないことはまずない、

熱を込めた主張ならなおさら、

その人の好き嫌いの感情、利害打算がからんでいるものです。

 

これは誰かを良く評価するときにも同じことがいえます。

「あの人のおかげで職場のみんながとてもやりやすくなった」

と言っているのも

「みんながやりやすいのではなく、あなたがやりやすくなったんだろう」

というケースが多いものです。

 

会議の際でも同じです。

自分の主張を後押しするような「データ」や「お客様の声」は議題に上げ、

説得力ある数字をそろえ、声を大にして宣伝する。

一方、自分の主張に水を差すような「データ」や「声」や「数字」は不問にし、

会議のメンバーの目に触れさせないようにします。

 

「正も邪も 勝手に決める 我が都合」

善悪正邪の判断も、どうしても好き嫌いと利害で決めてしまうのが人間なのです。

 

「いや、おれはそんな好き嫌いで判断することはない」

と言い張る人があれば、

それはまだ自身のことをよくわかってないのです。

 

私利私欲と好き嫌いで善悪正邪を判断する身勝手な自己を反省してこそ、

自戒しようと努めるようになるのに、

自惚れていたら反省も自戒もできっこありません。

どこどこまでも自分の正義を押しつけてしまい、

結果その人は絶えず人間関係でぶつかることになり、

人もあきれて離れていきます。

間違っても権力を持たせてはならない人です。

 

 

 

 

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「生きるために生きている」我々人間の哀れさ

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【出世本懐(1)】


生きるのは大変です。

生きるときの基本となる「衣食住」を確保するには、まず先立つ物はおカネです。

カネがなければ服も買えない、

栄養のあるものが食べられない、

家賃も払えない、

生活には、とにかくカネが必要です。

 

カネを手に入れようと思ったら、働かなければなりません。

みんなおカネを欲しがり、そのための努力を怠りませんから、

カネを自分のものにしようとするのが、楽でないのは当然です。

そんな辛い思いまでして、そんな恥ずかしい思いをしてまで、と

端から見ていても気の毒になるくらいの中、働いている人もあります。

どうしてそこまでするのか。

「生活のため」です。

 

芥川龍之介は友人に宛てた遺書の中でこう書いています。

「僕はゆうべ、ある売笑婦と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ『生きる為に生きている』我々人間の哀れさを感じた」

 

世間中が

「生きる、それが大事なんだよ」

「一歩でも進もう」

「がんばって生きよう」

と「生きよ、生きよ」と叱咤激励します。

職場でも、家庭でも、学校でも、病院でも、ここかしこで、

生活を続けるため、生き続けるための涙ぐましい努力がなされます。

それはいったい何のためなのか。

なぜ生きるのか。

 

その問いに対しての答えが

「生きるためだよ」では、

あまりに問う人の心に鈍感だと言わざるを得ません。

 

「生きるために生きる」のテーマをマンガにしてみました。

https://siawasenatta.com/?p=686

 

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