親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

心と口と身体の三つの行為、三業で人を判断する仏教

f:id:kikuutan:20200123105541j:plain

 

【三業(1)】

 

仏教では、その人が善人か悪人か、心と口と体の三方向から判断します。

身体で何をやっているか、やっていないか。

具体的にいえば、人を殺したとか、物を盗んだとか、不倫したとか、親切したとか、裏表なく努力しているとか、などです。

口で何を言っているか、言っていないか。

二枚舌を使ったり、悪口言ったり、ウソをついたり、あるいは温かい言葉をかけたり、感謝の言葉を述べたりすることです。

心で何を思っているか、思っていないか。

これも具体的にいえば、あの人死ねばあれはオレの物になるのに、とか、あいつは何かひどい目に遭ってくれたらいいのに、とか、どうかあの人が元気になってほしいと切に思うとか、そういうことです。

この心と口と体の三つの行為から人間を判断します。

それでこの三つの行為を『三業』といいます。

 

中でも仏教が最も重視するのは心の行いです。

ここは世間一般と仏教の大きな違いの一つです。

世の法律では、一番重視するのは体の行いです。

実際にやったかやってないか、アリバイはあるか、白か黒か、

やったかやってないかで善人か悪人か裁きます。

一部、偽証罪や脅迫罪など、何を言うか、の口の行いも裁判等で問題になりますが、

主に身体で実際やったことが問題にされます。

 

口で言っていることが問題視されるのは、近所付き合いや職場での人間関係などです。

ウソをついたり、人の悪口を言えば、

法に触れないまでも道徳的に「悪人」となります。

 

このように法律でも社会生活でも、その人が善人か悪人かは、

体や口の行いが問題にされますが、心までは問われません。

こんなこと思っただろう、あんなこと思っていないか、と

心の中まで指摘されることはありません。

だいたい指摘しようにも指摘できません、心の中は他の人にはわからないですから。

 

わからないことだから

「心の中ぐらい何を思っていたって、別にいいじゃないか、誰に迷惑かけるわけでもないんだから」

と私たちは心の行いを軽視しがちです。

「口で言ったら人を傷つける、体でやったら人に迷惑かける、でも心で思ってるぐらい何だって言うんだ」

という人がほとんどです。

 

ところが仏教ではその「心で何を思っているか、何を思っていないか」ここをこそもっとも重視するのです。

なぜでしょうか。

それは心が口や体を動かす元だからです。

心で思ったことが口に表れ、心で思ったことが体に現れるからです。

次回に続けます。

 

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

羽生善治名人の向上心に感銘を受けた

f:id:kikuutan:20200120200451j:plain

 

 

 

【精進(1)】


「AIが台頭して将棋界が進歩した今、残念ながら私のこれまでの経験はほとんど生きません」

これは通算勝利歴代一位の将棋棋士、羽生善治名人がインタビューで語っていた言葉です。

こう言えてしまうところに、

長年にわたってトップで居続けることができる羽生名人の非凡さがあるように感じます。

なにしろ国民栄誉賞を取るほどの棋士です、

ふつうなら「おれはできるんだ」と思ってしまいますし、

過去こうしてオレは勝ち続けてきたんだ、との自負心もあるだろうし、

なかなか新しいことに挑戦できなくなると思うのです。

 

ところが羽生名人は「これまでの経験はほとんど生きない」と自己の現状を受け止め、

「最新の研究結果を知る努力がすごく問われるようになりました。AIの手を自分なりに理解し、納得することが大事です」

と今なお、AIソフトを前に格闘し、現状を打破しようとしています。

 

「慣れない環境に極力身を置き、惰性で同じやり方を続けないようにしている」

とも語っていました。

10代、20代が台頭する将棋界で、49歳にして向上心を失わず、

自分を変えることのリスクを恐れず果敢に挑戦するその姿に

感銘を受けました。

負けておれないなと刺激を受けます。

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

人生の目的と人生の目標、生きがいとの違いとは

f:id:kikuutan:20200117165354j:plain

 

 

【人生の目的(3)】


前回と前々回のメルマガで、

人間が生きるには希望が必要であり、

その明かりを失うと生きていけない存在でもあることを、

種々の例を引いてお話ししてまいりました。

さてそのことを踏まえた上で、ここで考えていただきたいことがあります。

それはこういった「生きる明かり」「生きる希望」「生きがい」は、

「人生の目的」(人間に生まれてきた目的)と言っていいのかどうか、ということです。

 

江戸時代の農民は正月や村祭りの「ハレ」の日を明かりに「ケ」の地道な日常を過ごしましたが、

彼らがそうしてがんばって生きていった目的はどこにあったのでしょう。

私たちはGWの10連休の旅行や夏休みのコンサートを楽しみに目の前の仕事を乗り切りますが、

そのように働いて収入を得て生活しているのは、そもそも何のためなのでしょう。

晩酌しながら「これが楽しみで生きているようなものですわ」と言う人は、

晩酌を生きる力にしているのですが、そうしたもので力を得て生き続けるのはなぜなのでしょうか。

 

マラソンランナーが完走するための給水場のドリンクを必要とするように、

人間は生きる明かり、希望を必要としており、それなくしては生きていけません。

ではマラソンランナーなら42.195キロを少しでも早くゴールすることを目的としていますが、

人間は何を目的に生きているのでしょうか。

明かりや希望を力として生き続けている目的は何なのでしょうか。

そもそもなぜ生きるのでしょうか。

 

世に出回るほとんどの人生論では、

「人生の目的」と「生きがい」「生きる目標」をごっちゃにしています。

しかし仏教では「人生の目的」と「生きがい」「生きる目標」はまったく違うと説きます。

「生きがい」「生きる目標」「生きる明かり」は生きるために必要なものであり、

「人生の目的」は、なぜ生きるのか、やがて死ぬのになぜ生き続けるのか、という問いです。

明白に違います。

この違いを鮮明にし、真の人生の目的とは何か、を明らかにされた方が親鸞聖人という方でした。

 

その「人生の目的」とは何なのか、知られたい方のために書いた今の自分の精一杯の内容が以下の20回です。

https://shinran-mail.com/freemail/

 

 

 

アウシュビッツで人間が見せた精神力に感服

f:id:kikuutan:20190712035818j:plain

 

【人生の目的(2)】

 


人間は生きる明かり、希望をなくしては生きてはいかないことを

前回のメルマガでは、さまざまな例を引いてお話ししました。

今回は、明かりや希望など許されぬ極限状態であってもそれは同じであることをお話しします。

 

ナチスのアウシュビッツ収容所でも明りを見つけて懸命に生きる姿が

心理学者のフランクルがアウシュビッツ収容所での体験記を記した『夜と霧』に書かれています。

それは以前ブログでも紹介しました。

http://kikuutan.hatenablog.com/entry/010712ausyu

このエピソードは、人間がいかに『希望』を生きる力としているかを示しています。

 

では終わりの見えない収容所で、フランクル自身はどうして生き残ることができたのか、

彼の明かりは何だったのか、これが実に興味深いものでした。

それは彼自身が「トリックを弄した」と書いているように、

想像力という武器を持つ人間の強さを感じさせるものです。

ーーーーーー
むごたらしい重圧に、わたしはとっくに反吐が出そうになっていた。
そこで、わたしはトリックを弄した。
突然、わたしは皓々と明かりがともり、暖房のきいた豪華な大ホールの演台に立っていた。
わたしの前には坐り心地のいいシートにおさまって、熱心に耳を傾ける聴衆。
そして、わたしは語るのだ。講演のテーマは、なんと、強制収容所の心理学。
今私わたしをこれほど苦しめうちひしいでいるすべては客観化され、学問という一段高いところから観察され、描写される……
ーーーーーー

フランクルは、このトリックのおかげで

現在とその苦しみにどこか超然としていられ、

それらをまるで過去のもののように見做すことができ、

私、苦しみ共々私自身が行う興味深い心理学研究の対象とすることができた、

と書いています。

凍てつく大地で重労働を課せられている痩せこけた収容者の頭の中にこんな空想が繰り広げられていることを、

監視していたドイツ兵の誰が想像しえたでしょう。

人間の精神力の屈強さ、したたかさを思い知らされました。

 

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

生きる明かり、生きがいがなければ生きられない人間

f:id:kikuutan:20200113193104j:plain

 

 

【人生の目的(1)】


人間は生きる明かり、希望をなくしては生きていけません。

マラソンランナーが給水場で定期的に水分を補給しなければ42.195キロを完走できないように、

人間は未来に明かりがなければ生き続けられない存在なのです。

 

江戸時代の農村にも「ケ」と「ハレ」がありました。

「ケ」はいつもの日常、地道な野良仕事。

「ハレ」とは正月や村祭りの日、この日ばかりはごちそうを食べ、酒を飲み、無礼講では目を外す楽しい日です。

「もういくつ寝るとお正月」という歌があるように、

村人は「ハレ」の日を明かりに指折り数えながら「ケ」の日を過ごしました。

代わり映えのない「ケ」の日を黙々とこなすことができるのも、

「ハレ」の日を希望にし、明かりにしているからなのです。

 

「あー、疲れた」と今年もう何回つぶやいたことだろう、

人間は生きる明かり、希望なくしては生きていけない存在です。

生きるにはどうしても希望が必要なのです。

 

現代もそれは同じです。

満員電車で揺られ通勤する人の群れも、その一人一人の心中には

「もうすぐGWの10連休、東南アジアで旅行する予定で今から楽しみ」

「来月は嵐のコンサートで思いっきり発散する」

など、何かの明かりがきっとあるはずです。

 

これは短いスパンでもいえます。

月曜日から金曜日まで働き続けることができるのは、土日があるからです。

「明日は土曜日、ゆっくり寝れる、彼女と会える、ゲームできる」

と、そういった希望があるからこそ、今の仕事をこなせるのです。

毎日が「月月火水木金金」の繰り返しなら、

きっと今よりずっとうつ病や引きこもりは多いことでしょう。

 

もっと言えば、2時間勉強したらコーヒーブレイク、とか、

ここまで仕事したらおやつタイム、とか、

日々の生活にもこまめに明かりを持って生きています。

このように人間は生きる明かり、希望を持って生きているのであり、

そういう明かりなくしては生きていけない存在なのです。

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

若きアスリートたちに教えられること

f:id:kikuutan:20090429210701j:plain

 

 

【忍辱(1)】


以前オリンピックを見ていて思ったことですが、

柔道の判定でも、物言いがついて勝者と敗者が逆転してしまったり、

体操のポイントでも抗議により総得点が入れ替わったり、というのが結構あります。

審判団の問題、とまでいかなくても

極限まで研鑽を重ねたアスリートたちのしのぎ合いなので

本当にちょっとした判定のあやとか零コンマ零何秒の差で

歴然と結果が決められてしまっています。

何年もこの時のこと一つにかけてきたのですから

「こんなことのために」と

どんなにか悔しい事態もあると思います。

 

そんな中でも偉いなと感心するのは、

駄々をこねたり、仏頂面でになったりせず

終われば自分を負かした相手と握手し、

インタビューでは言葉少なに「負けは負けです」と言い、

表彰台に登ればどんなに悔しくても笑顔は作るところです。

 

自分を支えてくれたコーチ、

オリンピックに出たくても出れなかった選手たちのこと、

応援してくれた人

いろいろな人のことを思って自己を律しているのでしょう。

 

人生も同じで、

いや、オリンピック以上に

ほんの些細な差で成功と失敗が決まったり

理不尽としか思えない仕打ちもたくさんあります。

そんな時にもあのオリンピック選手たちのように

「まだまだです」と前向きに受け止め、前進できるだろうか、

身を正される思いがします。

 

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

進化して能力が拡張するのが人生の目的か

f:id:kikuutan:20200109185305j:plain

 

【人生の目的(1)】


人間の脳波と機械をつなげる研究が進んでいることに驚いてしまいました。

センサーを頭に装着し、腕を上げたいと念じるだけで、

脳波を検出して意図を分析して信号に変換し、

義手や義足を操作できるようになるというのです。

脳梗塞やALS(筋萎縮症)などの半身不随で苦しむ人の大きな希望となる朗報です。

他にもAI搭載の自動運転では、乗っている人が生きる危険を察知すると脳から車に信号が送られ、停止するようになるそうです。

また画面にタッチしなくても自己の意思を、パソコンやスマホの画面に文字で表示できるようにもなるとのこと。

電車に乗っている時に手がふさがった状態でも、遅刻だと思った時、

「電車の遅延で遅れます」と文章を作成し、メールで送れるようにもなる、のです。

 

大阪大学の工学博士でアンドロイドの研究で知られる石黒浩氏は、

かかる機械と人間の融合を「人間をさらに高みに連れて行く」と主張し、

「もし人間が技術を使わなかったらただの猿であって、人間でも何でもない」

「進化して能力を拡張させるのが人間の生きる目的だと思う」

と述べています。

 

私は脳波センサーの進化そのものには驚嘆しますが、

この石黒氏の意見にはどうかなと首をかしげます。

確かに人間はかかる進化でより多くの仕事を処理できるようにはなるでしょうが、

幸せになれるかとなると話は別だと思うからです。

そして幸せが人間の個としての目的である以上、

進化して能力を拡張させることが人生の目的とは短絡的です。

 

たとえば先程述べた脳波のセンサーにしても、

人間に恩恵をもたらす一方で、新たな火種の元になりそうです。

「あの人大嫌い」と思った瞬間、その脳波にセンサーが反応し、

それが文章となって相手にメールで送られることもあるかもしれない。

職場でも、あるいは夫婦や親子間であってさえ、

時に「嫌いだ」と思ったり、逆に「好きだ」と思ったり、

感情はころころ変わります。

それがそのまま文字となって相手に知られたら、

私たちはまともな社会生活は営めそうもありません。

それとも人間の本音の部分は、自動運転の急ブレーキのように、

自動制御機能でも付くのでしょうか。

その場合、自分でも本音かどうかわからない微妙な心はどうAIが判断できるというのでしょう。

 

もしくはこんな社会も想定できます。

各個人の暴かれた心の中のデータが国家に、会社に把握され、管理されたらどうなってしまうか、ということです。

国家が権力統制のために人々の心を覗き、

潜在的な危険思想の持ち主は社会の重要なポストに就けないように、

あるいは人々に影響を与えないよう、画策もできるようになり、

会社はそのデータを人事査定に利用するかもしれません。

 

こう考えていくと、とても「人間をさらに高みに連れて行く」ようには感じられず、

むしろ暗澹たる気さえしてきます。

科学が進歩しても、その科学を用いるのが人間である以上、

人間の心が変わらない限り、真の幸福は訪れないのではないでしょうか。

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。