親鸞に学ぶ幸福論

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妄語が人を悪道に引っ張る

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【妄語(1)】

 

自信を持てなくさせる最たる行動は「うそをつく」ことです。

うそはその人から自信を失わせます。

 

仏教ではうそのことを「妄語」といいますが、

仏教で教えられる「十悪」の一つに数えられており、

不幸を引きおこす十の悪い行い、とお釈迦様が説かれた一つに数えられています。

 

うそをつけば悪因悪果は歴然で、

やがて発覚し信用を失うという悪い結果が引き起こりますし、

たとえうそがばれなくても、

その「うそをついた」という後ろめたさが

その人の自信を失わせる、という悪い結果がおきます。

 

いつかばれるのではなかろうかとビクビクしているので、

どこか表情も声もおどおどして、目線も弱々しく、

全体的に自信なさげな雰囲気を醸し出すようになってくるので、

結果的に人から信用されなかったり

好かれなくなるという形となって、その人の人生に表れます。

たとえ人にバレてないと言っていても、

何か直感的に感じるものがあるということです。

 

大岡越前の名裁きの中に「起き上がりこぼし」という話があります。

「起き上がりこぼし」とは、ひょうたん型の形をした人形なんですが、

下に重しがあるので、

横から指でつついて人形を倒そうとしても、

いったんはごろんと転ぶものの、

グラグラしながらも結局また起き上がってくる、

指で突くたびにグラグラグラグラ揺れるのですが、

バタンと倒れることなく、

最後はピタッと元の位置に戻る、

そういう人形を「起き上がりこぼし」と言います。

 

さて大岡越前の「起き上がりこぼし」とはどんな話なのかと言いますと、

ある事件に二人の容疑者がいた。

仮にA助・B助としますが、

A助は一般庶民、容疑をかけられてオタオタしています。

アリバイの説明もまどろっこしく、

受け答えにもいちいち目が泳ぎ、

声も震えて、狼狽している。


一方B助はというと、実はこちらが犯人なんですが、

アリバイも用意してあり、

どんな質問にも淀みなく答えられるように

周到な準備をして臨んでいる。

 

A助はいろいろ尋問すると、

アリバイが不完全で頼りない。

たとえば「その時はちょうど家にいて寝てた」とか。

「誰か証明できる人はあるか」と聞くと

「いや証明と言っても一人だったんで....」

とオタオタしてる。

 

一方B助は

「その時間何やってたか」の問いに

「その時間はどこそこでこうしてました」とよどみなく、

「証人は一緒にいたあの人です」と全部用意している。

 

尋問は最初こそA助が頼りなく、あやふやな答弁が多いのに対し、

B助は淀みなく答え、表情も笑みさえ浮かべ、問う人の目を見て、自信を持って答えている。

これはA助の方が怪しいな、という気持ちになるのですが

そういう時に大岡越前は

次から次へと細かい質問を重ねていくという。

「それでどうなった」

「それだとこれはどうなんだ」

「あれはどうしたんだ」

矢継ぎ早に質問を重ねてくとA助はオタオタしながらも

正直にそのまんまのことを言ってるので、

辻褄が合うのですね。

ところがB助は自信を持って答えてるのですが

じょじょに辻褄が合わない所が露呈してくるのです。

うそをついてますから、つじつまが合わないことを言ってはならないと緊張し、

ウソが発覚しそうになると、

さらにウソの上塗りをするのです。

そうこうするうちに

「あれ、だととしたらさっきのあれはどういうことだ?」

とだんだん矛盾点が浮き彫りになっていきます。

だんだんB助はうろたえ始めてくる。

 

A助はというと、思い出すのに時間がかかり、

とつとつとしゃべり、もたもたしながらも

言ってることに一貫性があるので、

だからどんなに突かれても

起き上がりこぼしのように最後は元の所に戻ります。

 

B助はそれに比べてレンガを立てたみたいなもので、

ドシリと重く、ちょっと指でつついても微動だにしないのですが、

つつき続けるとある瞬間、突然バターンと倒れてしまい、

二度と起き上がってこれないようなものです。

 

うそをついている人は、一見頼りがいのあるように見えても

それは見せかけであり、自信のなさがどこかに透けて見えてくるのです。

そしてやがてそのうそが露呈し、バタンと倒れてしまうのです。

倒れる不安を常に抱えて生きているので、

常にどこか挙動不審なのです。

 

またうそをついている人は、そのうそを隠そうとうその上塗りをするので

どこまでがうそでどこまでがうそじゃないか、

本人自身もわからなくなってきます。

 

さらにはうそを隠すことに余計な神経使ってますから、

本当に自分がやらなきゃならないことに集中できないのです。

 

そして結末は、

やがて必ず発覚し、余計自分の人生に自信を失っていくのです。

 

田村正和さんの代表作のドラマ「古畑任三郎」はまさにそんな内容のドラマだったと思います。

犯人は完全犯罪を計画し、色々なアリバイを用意周到に準備してるのですが、

何かちょっとした些細な綻びから、

「あれ、それはちょっとおかしいですね」と切り出していって、

どんどん質問していって、

やがて犯人が自らバターンと転ぶと、

こんなパターンでした。

 

うそをつかずにいれば、古畑任三郎の前でも誰の前でも、毅然としておれます。

実は「嘘をつかずに生きる」というこの生き方ほど、

自信を持てる生き方はない、といえます。

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