【三業(1)】
仏教では、その人が善人か悪人か、心と口と体の三方向から判断します。
身体で何をやっているか、やっていないか。
具体的にいえば、人を殺したとか、物を盗んだとか、不倫したとか、親切したとか、裏表なく努力しているとか、などです。
口で何を言っているか、言っていないか。
二枚舌を使ったり、悪口言ったり、ウソをついたり、あるいは温かい言葉をかけたり、感謝の言葉を述べたりすることです。
心で何を思っているか、思っていないか。
これも具体的にいえば、あの人死ねばあれはオレの物になるのに、とか、あいつは何かひどい目に遭ってくれたらいいのに、とか、どうかあの人が元気になってほしいと切に思うとか、そういうことです。
この心と口と体の三つの行為から人間を判断します。
それでこの三つの行為を『三業』といいます。
中でも仏教が最も重視するのは心の行いです。
ここは世間一般と仏教の大きな違いの一つです。
世の法律では、一番重視するのは体の行いです。
実際にやったかやってないか、アリバイはあるか、白か黒か、
やったかやってないかで善人か悪人か裁きます。
一部、偽証罪や脅迫罪など、何を言うか、の口の行いも裁判等で問題になりますが、
主に身体で実際やったことが問題にされます。
口で言っていることが問題視されるのは、近所付き合いや職場での人間関係などです。
ウソをついたり、人の悪口を言えば、
法に触れないまでも道徳的に「悪人」となります。
このように法律でも社会生活でも、その人が善人か悪人かは、
体や口の行いが問題にされますが、心までは問われません。
こんなこと思っただろう、あんなこと思っていないか、と
心の中まで指摘されることはありません。
だいたい指摘しようにも指摘できません、心の中は他の人にはわからないですから。
わからないことだから
「心の中ぐらい何を思っていたって、別にいいじゃないか、誰に迷惑かけるわけでもないんだから」
と私たちは心の行いを軽視しがちです。
「口で言ったら人を傷つける、体でやったら人に迷惑かける、でも心で思ってるぐらい何だって言うんだ」
という人がほとんどです。
ところが仏教ではその「心で何を思っているか、何を思っていないか」ここをこそもっとも重視するのです。
なぜでしょうか。
それは心が口や体を動かす元だからです。
心で思ったことが口に表れ、心で思ったことが体に現れるからです。
次回に続けます。