「手作りのクッキーを娘が焼いたんで
隣の家におすそ分けと娘に持って行かせたけど、
翌日、隣の家の○○さん、私と庭先で顔合わせても
“ありがとう”の一言もないのよ。」
とぼやいている奥さんがいます。
「こんな思いするくらいなら、持ってゆかねばよかった」
「そうだ、あんな人に持ってった自分が悪かったんだ。」
と独り合点している。
それでも後日
「あァ、こないだのクッキー、固かったでしょう?ごめんなさいね。」
と、みえみえの礼の催促を始めます。
どこにでもあるような風景ですが、この奥さんだけでなく、
人に親切したときに私たちは
どうしてもお礼を期待する心が出てきます。
だから相手がうっかり〝ほめもせず〟〝感謝もしない〟と
とたんに腹が立ってくるのです。
こんな時に多くの人は
「持って行かねばよかった」
と思ってしまいがちですが、
お釈迦様は、それは間違いだよ、と説かれています。
「持っていく」こと自体は、
『布施』といって仏教では善行の一つに数えられています。
焼いたクッキーを全部一人で食べたいところ
食べてしまわずに
「このクッキーどうぞ」
と人にあげるのは布施の実践であり、
その行為はしあわせになるタネです。
ともすれば私たちの心は
「~してくれ」の要求ばかり出てきます。
本性は欲の固まりだから。
つい何かと「~してくれない」と不平ばかり
職場の上司や部下、家族などににぶつけてしまします。
その心を“回れ右”と切り替えて
この職場で自分のできることは何だろうか。
どうすれば家族が明るく笑顔に暮らせるだろうか。
与えることのみを考えてみたらどうでしょう。
きっと自分の心も明るくなり、
周りの状況も好転していくことでしょう。
それは『布施』という、
しあわせの花が咲く種まきだからです。
クッキーを持っていくこと自体が
その人を不幸にしたのではありません。
それはいいことです。
クッキーのお礼を相手に求める心が問題だったのです。
ここにお釈迦様は
『見返りを期待する心を忘れなさい。』
と三輪空を教えておられます。
次回に続きます。