人生の目的は?と問われて、
「好きな人のために生きることだ」
と答える人は相当あるかと思います。
人は真に大切にしたいという人と巡り会ったとき、
その人生は大変わりします。
以前勉強会に来られた方が言われていたことですが、
その方は印刷会社に勤めている20代の方で、
数年前は酒とナンパとギャンブルで荒れた生活を送り、
借金を抱えていたそうです。
そんな折に、今の奥さんと出会い、
この人と一緒になりたい、大切にしたいと、
生活をガラッと改めたそうです。
ギャンブルをやめ、借金を返し、今は子供もできて、
「仕事もっとがんばらないと。頼られているから」
とぼそっと言われていたのはかっこよかったです。
人は心底から「この人を守りたい」と思ったとき、
強くなります。優しくなります。充実感が胸にあふれます。
これぞ生きる意味だ、と多くの人が思うのもうなづけます。
ドラマでも映画でも、常にこのテーマで語られるのも共感を得やすいからでしょう。
「生きる目的は好きな人と共に生きることにある」と信じて、
ソウルメイト、運命の人を探します。
「ああ、私を待っている人はどこにいるの」と
一日千秋の思いで待ち続けている人は多いようです。
しかしこの幸福はたしかに大きいものではありますが、
果たして人生の目的といえましょうか。
仏教に愛別離苦 という言葉があります。
お釈迦様が私達の苦しみを8つに分けられた『四苦八苦』の中の一つです。
『愛別離苦』とは、文字通り、
愛する人と別れなければならない苦しみ、のことです。
スイスの哲学者ヒルティは
「愛は心の底にしみとおる幸福ではあるが、
あらゆるものを破壊する不幸ともなりかねない」
と忠告しています。
その愛する心が純粋であればあるほど、
その愛する人を失う痛嘆は深さを増すからです。
だから辛く悲しい体験をした人は、
「あんな思いはもう嫌だ」と恋人が現われるのが怖くなることもあるのです。
太宰治は
「臆病者は幸せさえも恐れるのです」
と言っていますが、このことです。
好きな人との出会いは私たちに喜びを与え、
幸福を支えますが、同時にそれらは不幸や涙の元にもなります。
「どうして笑っているの?」と聞けば、好きな人がいるから笑っているのですし、
「どうして泣いているの?」と聞けば、好きな人が原因で泣いているのです。
幸せになりたいと、ライバルと争ってまで好きな人を手に入れたのに、
あれは不幸や涙の元を必死に我が物にしようとしていたのか、
と嘆くことさえあるのです。
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