親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

シッダルタ太子の出城入山に見る仏教の原点とは

f:id:kikuutan:20150821205944j:plain

 

【釈迦御一代記(5)】

 

シッダルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、

日に日に強くなっていきました。

 

ある日、父・浄飯王に手をついて、

「城を出て、まことの幸福を求めさせて下さい」

と、頼まれたのです。

驚いた浄飯王は、

「一体何が不足でそんなことを言うのか。お前の望みは何でもかなえてやろう」。

「それではお父さん、申しましょう。私の願いは三つです」

「三つの願いとは何か」

 不審そうに浄飯王が聞かれると、

シッタルタ太子は、こう言われています。

「私の願いの一つは、

 いつまでも今の若さで年老いないことです。

 望みの二つは、

 いつも達者で病気で苦しむことのないことです。

 三つ目の願いは、

 死なない身になることです」

 それを聞かれた浄飯王は、

「そんなことになれるものか。

 無茶なことを言うものではない」

と、あきれかえって立ち去られた、といわれます。

 

【老い】と【病】と【死】。

「これだけはどうにもならない。」

「考えないようにするしかない。」

「なんとかしようなんて、

 無茶なことを考えるものではない。」

浄飯王のみならず、

みんな目を背けている問題でしょう。

 

ところがどんなに言葉で元気なことを言っていても

「老いるのは嫌だ、考えると憂鬱だ。さびしい。」

「突然の病がこんなに幸せを踏みにじってしまうなんて。

 これ以上進行したくない。」

「死は絶対いやだ、暗くなる、考えたくない。」

と心の底は、叫びをあげています。

 

目を背けるのは解決ではない。

「臭いものにはフタ」

でごまかしているにすぎないからです。

フタをしても臭ってくるものはごまかしきれません。

人類の幸せを脅かし、

崩していくこの一大事に立ち向かわれたのが

二十九歳の二月八日、

お釈迦様の『入山学道』でありました。

これが仏教の原点です。

=======================

仏教を分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。