【釈迦御一代記(5)】
シッダルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、
日に日に強くなっていきました。
ある日、父・浄飯王に手をついて、
「城を出て、まことの幸福を求めさせて下さい」
と、頼まれたのです。
驚いた浄飯王は、
「一体何が不足でそんなことを言うのか。お前の望みは何でもかなえてやろう」。
「それではお父さん、申しましょう。私の願いは三つです」
「三つの願いとは何か」
不審そうに浄飯王が聞かれると、
シッタルタ太子は、こう言われています。
「私の願いの一つは、
いつまでも今の若さで年老いないことです。
望みの二つは、
いつも達者で病気で苦しむことのないことです。
三つ目の願いは、
死なない身になることです」
それを聞かれた浄飯王は、
「そんなことになれるものか。
無茶なことを言うものではない」
と、あきれかえって立ち去られた、といわれます。
【老い】と【病】と【死】。
「これだけはどうにもならない。」
「考えないようにするしかない。」
「なんとかしようなんて、
無茶なことを考えるものではない。」
浄飯王のみならず、
みんな目を背けている問題でしょう。
ところがどんなに言葉で元気なことを言っていても
「老いるのは嫌だ、考えると憂鬱だ。さびしい。」
「突然の病がこんなに幸せを踏みにじってしまうなんて。
これ以上進行したくない。」
「死は絶対いやだ、暗くなる、考えたくない。」
と心の底は、叫びをあげています。
目を背けるのは解決ではない。
「臭いものにはフタ」
でごまかしているにすぎないからです。
フタをしても臭ってくるものはごまかしきれません。
人類の幸せを脅かし、
崩していくこの一大事に立ち向かわれたのが
二十九歳の二月八日、
お釈迦様の『入山学道』でありました。
これが仏教の原点です。
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