親鸞に学ぶ幸福論

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平家物語で「沙羅双樹」は何をたとえられているのか

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駐車場に咲いていたきれいなあじさいの花は、

すっかりしおれて汚くなってしまいました。

つい一ヶ月前は、鮮やかなあじさいに

行き交う人を感嘆させていたのが

今や見る影もありません。

一方、同じ駐車場のひまわりが、

大輪の花を咲かせ、多くの人の目を楽しませています。

その、さんさんと陽を受けて花咲かせるひまわりも、

秋風が吹く頃には枯れていき、

秋の花に主役を取って代わられることでしょう。

 

季節の移り変わりと共に、しおれたり、咲かせたりする花を見ると、

人間世界の縮図のように感じられてきます。

20代の頃はあまり思わなかったことですが、

40代にもなると、自分の周りでも、

あんなに自信に満ちていた人のあの変わり様はどうだろう、

と思うようなことや、

失敗の多い駆け出しの後輩と思っていたあの人が、

今や会社でなくてはならない存在となって、

多くの人を動かしている、ということを見て、

栄枯盛衰の世を、しみじみと実感させられます。

 

平家物語は平家の隆盛と衰退を描いた古典ですが、

冒頭にその盛衰を花にたとえて、

「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」

と書かれています。

 

一休も女性の一生を花にたとえて、

「世の中の 娘が嫁と 花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく」

と歌いました。

 

咲き誇ることはあっても、必ずやがてしぼんでいく、

そして散っていく、無常の人生にあって、

「何のために生まれてきたのか」

「なぜ生きるのか」

仏教は教えています。

 

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