【禅定(1)】
仏教で教えられる六度万行の一つに『禅定』があります。
「禅」は「しずめる」、「定」も「定める」こと。
散乱する自分の心をしずめ、定めることをいいます。
人のことばかり「あいつが悪い」と非難する心をしずめ、
自分の問題点や失態を反省することです。
たいてい私たちは人の問題点やミスには厳しくあたりますが、
自分の問題点やミスとなると、なかなかメスが入らないものです。
自己を反省し、悪いところを認め、謝罪するのは
口で言うほど簡単ではなく、大変難しいことですが、
それはお釈迦様が勧められた、良い種まきですから、
やがて幸せな花が咲きます。
今から話すことは事実を基にして創作したフィクションです。
場所は小学校の放課後。
A君は、友人B君とサッカーをしていて、
教室の花瓶を割ってしまいました。
その花瓶はみんなの寄せ書き入りの大切な花瓶だったのです。
怖くなった2人は、すぐその場から逃げました。
翌日の放課後、サッカーボールと壊れた花瓶の状況証拠から
誰がやったのか、緊急のホームルームの時間になりました。
正直に申し出る者が出るまでホームルームは続行だ、という教師に
教室中「やった奴、早く言えよ~」という雰囲気です。
いたたまれなくなったA君が、B君の方に目をやると、
ちょうどB君と視線があいました。
B君は真摯な顔もちで、ゆっくり静かにうなづきました。
「あー、これは自分達がやったのを告白しようと
B君は言っているんだな」とA君は判断し、
静かにうなづき返しました。
一呼吸置いて覚悟を決めたA君、
「はい、自分がやってしまいました」と手を挙げました。
当然、後に続いてB君の手をあげる声が聞こえるかと思いきや、
なんとB君は知らん振りしています。
結局、教師から叱られたのはA君だけでした。
B君のうなづきは
「とにかく黙っていようぜ、どうせわかりっこないんだから」
というサインだったのです。
ホームルームが終わり、B君がやってきてA君に言いました。
「お前、馬鹿だな。黙っていれば俺たちってわかるわけないだろ、
なんで言うんだよ、ば~か」と耳元で言います。
こんなときに「あ~、格好悪い・・」
と悔やんだ、ということですが、
これは本当にA君は格好悪いといえるでしょうか。
A君一人謝り、叱られ、恥をかき、
B君は謝ることなく、誰からも叱られず、
A君は損をし、B君は得をしたように見えますが、
それは近視眼的な見方です。
もっと高所大所から見れば、本当は謝罪したA君は得をし、
B君は損をしているのです。
もしあなたがこのときの小学校の教師でしたら、
申し出たA君に対して、どんな気持ちを持たれますか。
決してマイナス評価にはならないのではないでしょうか。
むしろ「人間的に見込みがあるな」と、
好印象を持つのではないかと思います。
失態を正直に申し出て謝罪するのは基本中の基本ながら、
大人でもなかなか実践できないことですから、
正直に申し出たA君を立派だなと思うと思います。
もちろん立場上叱りはしますが、心の中では、
A君の正直さを好ましく思うのではないでしょうか。
クラスメイトとて、A君のことを格好悪いと思わないでしょうし、
すぐ忘れてしまいますし、成熟した生徒ならかえって
「あいつ、まっすぐな奴だな」と、
別の意味で記憶してくれるでしょう。
一方、ごまかしたB君はどうかといえば、
教師やクラスメイトの記憶にも残らず、
もしあとで目撃者の発言で、B君も共犯だったと発覚したときには
教師からもクラスメイトからも著しく信用を失い、
悪い意味で記憶に残り、それこそ「格好悪い」結果を招きます。
その場その時の事象だけ見るのではなく、
長いスパンで視野を広げれば、
どちらが幸せになるか、明らかでしょう。
さらにいえば、人がどう思うかどうかに関係なく、
謝罪のできる人は、やがて問題点を克服し、向上していきますが、
謝罪せずごまかす人は、向上できず、
同じ失態を繰り返し、
ごまかしを重ねなければならなくなります。
慢性化したごまかしは、裏表のある人格になり、
顔つきや態度口調にも、それはにじみ出て、
ごまかしきれないものとなっていきます。
「まいた種は必ず生える」の仏説通りです。
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