親鸞に学ぶ幸福論

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「去る者を追わず」とは異なる阿弥陀仏の慈悲「願力無窮にましませば」

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【慈悲(1)】


「去る者は追わず」と聞かれると、どんな感じを持たれるでしょうか。

自分の元を去っていった彼女のことを

いつまでも追いかけ回して復縁を迫る男があれば、

情けなく思います。

そこは辛くとも「去る者は追わず」と泰然自若としている方が

誇り高く、立派に思います。

 


しかし見方を変えれば、愛する気持ちが薄いから追わない、ともいえます。

去る者を追っても仕方ない、また次の人を探せばいい、

と割り切れるくらいの気持ちだったともいえます。

 


親は子供が離れても、一時として忘れられません。

「子は親を忘れがち、親は子を思いがち」といわれるように、

子供がどれだけ親のことを忘れ、疎んじ、離れようとも、

親は子供のことを忘れられず、子の幸せを念じてやみません。

 


「去る者は追わず」とは、

“去っていく者は放っておけ”

“慕って近づいてくる者には心をかけるけど、

去っていく者など助けようとは思わない”

ということですから、どこか冷たい感じがします。

 


「慈悲」とは“苦しんでいる人を助けたい、幸せになってほしい”という心です。

人間も慈悲の心を持っていますが、人間の慈悲は「去る者は追わず」の慈悲です。

自分を慕って近づいてくる人はかわいく思い、力になりたいと思いますが、

自分に背を向け避けようとする者には、

「勝手にしろ」と冷たい気持ちになってしまうのが、人間の慈悲です。

 


阿弥陀仏の大慈悲心は、人間の慈悲心とは違います。

「逃げる者を追って追って、最後ガチッとおさめ取って絶対に放さない」慈悲です。

どれだけこちらが逃げても、裏切っても、

絶対にあきらめきれず、見捨てることができずに

「助けてやりたい」と願い続けてくださる慈悲です。

 


その阿弥陀仏の大慈悲心に救い摂られた親鸞聖人は

「願力無窮にましませば 罪悪深重もおもからず」

と感激されています。

“阿弥陀仏が絶対にあきらめられず、逃げる私を追いかけ続けて下されたから、

罪が深く、悪の重い親鸞のような者が救われたのだ”

と弥陀のご恩に感泣された親鸞聖人のお言葉です。

 

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