【無常(1)】
日露戦争における日本の勝利は、
世界が驚嘆した「大番狂わせ」「ジャイアントキリング」であり、
戦勝を知った日本国民の狂騒ぶりは、「半端なかった」そうです。
W杯勝利の渋谷のスクランブル交差点のニッポンコールのようなかわいいものではなく、
戦勝の号外が出るやその夜、東京では10万人以上の大々的な提灯(ちょうちん)行列となり、
夜が昼に一変する大騒ぎとなり、その熱狂の混乱で、20人の死者までもが出ています。
その日露戦争勝利までの推移を小説にしたのが、
司馬遼太郎の『坂の上の雲』です。
あの長編歴史小説のクライマックスは、
連合艦隊とバルチック艦隊の激突、日本海海戦です。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」
決戦を前に、総司令官東郷平八郎はこう各艦に打電しました。
『坂の上の雲』では、これを聞いた兵士の気持ちをこう記してます。
「伝声管の声はカン高く、しかも文語であるため意味はよくわからなかったが、
この海戦に負ければ日本は滅びるのだというぐあいに理解し、わけもなく涙が流れた」
今日も日露戦争は、日本人が欧米列強に対して起こした奇跡としてたびたび語られますが、
司馬遼太郎の視点は、日本の誇りを謳い上げたものでもなければ、英雄たちの武勇伝でもない、
あの作品の底に流れるのは、仏教の教えに相通じる『無常観』だと私は感じます。
それが色濃く出ているのは『坂の上の雲』最終巻のあとがきに司馬遼太郎の文章です。
そこで司馬氏は、日露戦争後、日本の国民と国家が勝利を絶対化し、
神国日本は負けないと慢心し、太平洋戦争に突入していく過程を述べた上で
「敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民を狂気にするとすれば、
長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものは、誠に不思議なものである」
と綴ってます。
屈辱や敗北も、いつの日か「あれがあったればこそ」と喜びに転じることもあれば、
成功や栄光も、いつしか「あれは何だったんだろう」と失意に変じてしまうこともある。
勝った負けたと狂騒したのも「夏草や 兵どもが 夢の跡」ではないか、と
語りかけてくる、印象的な締めくくりでした。
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