親鸞に学ぶ幸福論

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恩師・法然上人との痛恨の別れの際、詠まれた親鸞聖人の歌とは

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【愛別離苦(2)】


親鸞聖人は35歳の時、越後(今の新潟県)に流刑になられました。

時同じく、75歳の恩師・法然上人は、土佐(高知県)に流罪となっておられます。

遠く分かれて西・東、親鸞聖人は生木引き裂かれる痛恨の思いを、

一首の歌でしたためられています。

「会者定離 ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり」

短いお歌ですが、親鸞聖人の身の置き所のない悲しみが伝わってくるようです。

 


「会者定離」とは仏教の言葉で、出会いには必ず別れがある、という意味です。

好きな人とはいつまでも一緒にいたいのはやまやまですが、現実はそれを許しません。

会者定離の世の中、必ず別れが訪れます。

だから人は生きる限り、愛別離苦の悲しみからは逃れられません。

 


9歳にして仏門に入られ、かねてより「会者定離」の仏説をよく聞いておられた親鸞聖人ですから、

「会者定離 ありとはかねて 聞きしかど」と言われているのですが、

あまりにも法然上人との別れはつらく、

とても会者定離の現実を受け止めきれなかったからでしょう、

そのあとに「昨日今日とは思わざりけり」と、痛恨の思いを詠まれています。

「覚悟していたことではございますが、あまりにも……、あまりにも、早すぎます……」

聖人にとって、法然上人との別れは断腸の思いでした。

 


親鸞聖人はこの時の別れ以降、再び恩師と会われることはありませんでした。

流刑の5年後、法然上人は亡くなられます。

訃報を耳にされた親鸞聖人は大地に泣き崩れられ、

悲しみのあまり吐血されたという伝承もあります。

 


「会者定離 ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり」

大切な人との別れを経験された方の中には、

この親鸞聖人のお歌にしみじみと共感される方もあるかと思います。

 


別れの中でも、特に辛いのは、死別です。

散った桜は来年には咲きますが、消えゆく命は二度と戻りません。

もう一度会いたいと、どれだけ遺体にすがって泣き叫んでもかなわない、

その冷厳な事実が、さらに人を涙の谷底に突き落とします。

 


考えたくないですが、死は万人の将来です。

大切な人ともやがて必ず別れがくることを、

誰しも覚悟しておかねばなりません。

しかしどんなに覚悟していても、大切な人との別れは

「昨日今日とは思わざりけり」、

まさかこんなに早くその時がやってこようとはと、

今起きている現実が受け止められず、

「早すぎる、嫌だ、嫌だ」と悲泣せずにいられないものなのでしょう。

 

 

 

  

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