親鸞に学ぶ幸福論

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SNSいじめは、恥知らずの恥かかず

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【愚痴(1)】


最近では、小中高生の間でSNSいじめが横行していると聞きます。

LINEグループから一人だけ外す、

グループ内で悪口、噂を流す、

「裏チャット」で盛り上がる、などのいじめです。

以前なら学校では針のむしろであっても、

帰宅後は家が避難所となり得ましたが、

現今のいじめは学校から帰ってもSNSで続きます。

LINE上のクラスメイトのやりとりに自分だけ入れず、

勇気を出してたまに発言すれば、その発言だけはみなから無視され、

返ってくるとしたら、自分の出席番号を暗喩して「13うざい」などの反応。

朝起きてから夜寝るまでLINEの着信音、SNSのコメントが、

その人を追い詰めていくのです。

 

いじめの方法は時代に応じて形を変えていきますが、

いつの世も絶えて無くなることがないのは

これらいじめの根っこに、人間の心に巣くう「愚痴の心」があるからです。

 

「愚痴の心」とは、仏教で108あると説かれる煩悩の中でも、

特に恐ろしいと教えられる三毒の煩悩の一つです。

嫌いな人に何かトラブルが起きて困っているのを見て、おもしろがる心のことです。

「かわいそうに」と口では言い、

顔では気の毒そうな表情を見せながら、

心の中は何か愉快な気持ちがこみあげてくる、

そんな嫌な心を仏教では「愚痴の心」といいます。

我が身ながらなんて醜いことが思えてくるのだろう、とゾッとする心です。

親鸞聖人は「蛇蠍(じゃかつ)の如し」“蛇やサソリを見たときのようなぞっとする心だ”と言われています。

 

こんな醜く、恥ずかしい心はなく、

その心が露呈しているのが「いじめ」なのですから、

これほど恥ずかしいことはないのです。

ところがいじめている側に、醜い自分であることの自覚がない、

ここが問題です。

 

いじめられても、なかなか教師や親に相談できない生徒が多いと聞きます。

いじめられるような人間なんだと人から思われるのが恥ずかしく、

自分一人で抱えてしまうようです。

本当はそんなことは恥ずかしいことではない、

いじめている方、それを傍観して見て見ぬふりをしている方こそ

みっともない、恥ずかしいことなのです。

 

「恥知らずの恥かかず」ということわざがあります。

恥ずかしいことをしていても、恥ずかしいことだという自覚が本人にないから、

平気でやりまくっていて、しかも少しも恥ずかしいとも感じない、

恥をかいているのに、恥をかいたとも思わない、

そういう状態が「恥知らずの恥かかず」です。

 

苦しんでいる人を見てクスクス笑うのは、笑いのうちでも最低の笑いであり、

いじめられている人を見て楽しむのは最も醜い楽しみ方です。

そんなことで笑ったり、楽しんだりすることこそ

人間として恥ずべき、醜いことです。

そんな心の持ち主だと人が知ったら、

誰もその人のことを好きになれなくなり、嫌になります。

自分の大切な人にもっとも知られてはいけない、恥ずかしい心のはずです。

 

ところがそういう醜い心だといじめている本人に自覚がないから、

平気でその心を、態度や言葉にさらけ出している、

まさに「恥知らずの恥かかず」です。

これと比べたら、

テストの悪い答案も、運動会でビリになることも、

何も恥ずかしいことではない、

苦しんでいる人を見てうれしくなる心ほど醜いものはない、のです。

 

 

 

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