【禅定】
仏教で教えられる六度万行の一つに『禅定』があります。
「禅」は「しずめる」、「定」も「定める」こと。
散乱する自分の心をしずめ、定めることをいいます。
人のことばかり「あいつが悪い」と非難する心をしずめる。
そして自分はどうか、と振り返る、ことです。
人に迷惑をかけて糾弾される時は
自分の人生にも幾度となくあります。
そんな時に
「おれだけじゃないよ!」
「あいつの原因のほうが本当は大きいのに 」
「どうやってたいした問題じゃないとごまかそうか」
こんな心が山ほど出てきます。
そんな心との戦いは今までの人生で何度も経験していますので、
人と接していて「この人、魅力的だな」と
心揺さぶられることの一つに、
心から謝罪している姿があります。
最近でもそういうことあったのですが、
自分の先輩が、ある失態をした時に、
何の自己弁護もされずに、後輩の私達に謝罪されたのです。
その先輩の直接のミスではないのに、
そこまでしっかりとされる姿に深く感動しました。
『迷惑をかけたら、素直に「すみません」と
頭を下げられる人は、皆から仰がれる』
と聞いたことがありますが、本当だなとつくづく実感しました。
その先輩のように、歳を重ね、立場ができると
人に頭を下げさせることが多くなり、
逆に頭を下げられなくなってくるのが普通だと思います。
言い訳も責任転嫁も上手にできるようになるでしょう。
そんな人がいさぎよく、誠心誠意謝罪されるのに感動し、
同時に「お前にできるか!」と
頭叩かれたような気持ちになりました。
仏法者として、『禅定』に努めていきたいと思います。