親鸞に学ぶ幸福論

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僧侶の本来の仕事は法施、説法だ。葬式や法事ではない

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【法施(1)】


「法施(ほうせ)」とは、仏教を人にお伝えすることです。

「法」とは「仏法」、「施」とは「施す」「与える」。

仏法を皆にわかるようにお届けするのが「法施」です。

そして法施一つに生きる人を「僧侶」と言われるのです。

 

今日、「僧侶」「坊主」といえば、葬式や法事で読経する人、

というイメージが定着していますが、

読経だけでは、法施したことにはなりませんので、

僧侶、坊主の役目を果たしたことにはなりません。

 

「世間の本ではない、仏教の教えが書かれている経典を

声に出して読むのだから、聞く人に仏法を与えることに

なるのではないか」というのは暴論です。

耳で聞いて意味が分かる人ならいざ知らず、

おそらくほとんどの人は、坊主の読経を聞いても、

意味がサッパリ分かりませんから、

それでは法を伝えたことにはなりません。

「相手が分かろうが分かるまいが、オレは伝えたんだ」

というのは、与えたことにはなりません。

相手が受取りやすいようにしないと、

与えることにはなりません。

今、読んだお経にはこういうことが教えられているのですよ、と

みなさんにわかるように仏の教えを伝えてこそ、

法を施したことになるのです。

 

本来、葬式や法事は、僧侶にとって法施するご縁であり、

参詣者にとっては聞法するご縁でした。

それが今や、何が書かれているか分からないお経を

節をつけて有り難そうに読んで、それで終わり、

自分の役目は終わったとばかりに、

白封筒に包んだお布施のお金をもらってすぐ帰る、

あるいは長居してビール飲んでくつろいだりしているのが、

多くの人の頭に浮かぶ僧侶、坊主のイメージになっています。

坊主を迎える門徒もそれが常識で、

読経も死んだ人のご馳走くらいに思っており、

葬式や法事を、聞法のご縁と思っている人はほとんどありません。

 

本来は葬式や法事の際に、僧侶は、読経の後に参詣者の方を向いて、

「今読んだお経にこんな言葉がありました。

ここでお釈迦様はこう言われているのです」

と説法しなければ、使命を果たしたことにはならないのです。

 

仏教を人にお伝えするのは大変です。

お経は難しい漢字ばかりですから、

その一つ一つの意味を話すだけでも大変ですが、

それだけでは未だ仏法を伝えたことにはなりません。

お経の意味を話したところで、

その内容が自分の人生とどう関係しているのか、

みな分からないので、聞く耳を持ちません。

続けて聞きたいと思われないのです。

 

私たちの人生にとって、絶対欠かしてはならない大切な内容が、

仏教に教えられていたとは知らなかった、と聞く人が感動し、

続けて聞かせていただきたい、となってこそ、

法を伝えている、といえるのです。

 

これは大変難しいことです。

根気の要ることです。

いい加減な気持ちで取り組んでいる人が

務まるものではありません。

僧侶が他の仕事に就かず、法施一つに専念するのは、

片手間にできることではないからです。

法施一つに専念してさえ、なかなか法をお伝えすることができず、

悩みが絶えないのに、他の職業をする時間はないのです。

 

自分の生活を抛ってでも、人々に法をお届けすること一つに

専念する僧を敬って、仏教では「僧宝」と言われます。

自らが正しく仏法を知り、

それを伝えることに己の全てをかける人は

私たちにとって、かけがえのない宝だからです。

 

 

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AI(人工知能)のご神託を聞く時代は来るか

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【人身受け難し(4)】


識者の中には、AI(人工知能)の神格化を恐れる声も

あがっています。

政治家がプログラムをいじって、

恣意的な結果を出せるにもかかわらず、

「これはAIに基づいた判断だ」といえば、

反論しにくくなり、その主張が通ってしまう世の中になるのでは、

という危機感です。

 

ちょうど権力者が巫女や預言者と結託し、

「ご神託があった」として、自分の主張を通そうと

するようなものです。

歴史上、何度も繰り返されてきたことが、

今度は「AIのご神託」となって表れるのではないか、

という危惧です。

 

確かにAIの暴走を危惧するSFもよりも、

当面すぐに起きてくることは、AIを用いて、

私腹を肥やそうとする人間の暴走です。

 

本来、科学技術は良いものでも悪いものでもありません。

「ナイフはパンを切ることができるが、人を殺すこともできる」

ナイフ自体に善し悪しはありません。

それを使う人間の心によって、便利な道具ともなり、凶器ともある。

それと同じで、AIが恐ろしいというよりも、

AIを利用する人間の心に怖ろしい鬼が棲むのです。

釈迦は、人間の【欲】と【怒り】と【愚痴】を、

青鬼・赤鬼・黒鬼と教えられています。

 

こんな時代だからこそ、一人一人が自己の心を真面目に見つめ、

どうしたら鬼の心を持った私たち人間が幸せになれるか、

考えていかねばならないのでしょう。

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AI(人工知能)には決して魂は売らないぞ

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【人身受け難し(3)】


将棋の対局でAI(人工知能)は、将棋を知っている人なら

絶対指さないような「イミフな手」を時々指すそうです。

単に「悪手」というのではない。

悪手は、その人の浅はかな考えから打った手だから、

なぜその手を打ったか、理解はできます。

「イミフ(意味不明)な手」は、誰も分からない手のことで、

将棋の世界に生きる人にはあり得ない手なので、

「これはAIの誤作動(エラー)か」と思うそうですが、

手を指し進めていくと、

「あの一手が今ごろになって効いているなあ」

となってくるそうです。

 

将棋の可能性はこの1,2年のAIの進化により、

飛躍的な広がりを見せています。

23連勝という破竹の勢いで話題の、驚異の14歳、

最年少プロ棋士、藤井聡太四段は、

コンピューター将棋で腕を磨いたそうです。

一手毎にコンピューターが採点してくれるとのこと。

いわば人工知能を師匠とする少年が、並居る古豪、強豪棋士を、

ばったばったとなぎ倒しているということです。

 

この波は、将棋だけでなく、さまざまな世界に押し寄せるでしょう。

受験の家庭教師も、スポーツのコーチも、人工知能が課題も長所も、

そのために今すべき勉強も練習も、適切に判断してくれるでしょう。

 

やがては国の政策も、人工知能を師匠として、

立案、決定するようになり、

さらには赤ん坊の頃から人工知能が将来の適性を判断して

何を学ばせ、どんな教育を受けさせるか決定する、

という時代がやってくるかもしれません。

そこまで想像してみると、だんだん怖くなってきますね。

 

手塚治虫の「火の鳥未来編」では、

国の政策はすべて人工知能が判断する世界となり、

その人工知能が核戦争を判断し、

人間がその判断を却下したくても、誰も逆らえず、

世界は全面核戦争になるという漫画でしたが、

現実味を帯びてきました。

 

人工知能は局地的なアドバイザーとしては、有効だと思います。

将棋なら「こちらの王を取られずに、向こうの玉を取る」

という目標に向かって、

スポーツなら「金メダルを取る」という目標に向かって、

受験なら「東大合格」という目標に向かって、という、

限られた範囲のアドバイザーです。

 

しかしこれが、赤ん坊の適性や国の政策という段階になると、

「人生の目的」「本当の幸福」とは何か、

という哲学的な問いに直結してきますので、

機械にゆだねてはならないところです。

 

たとえばある赤ん坊が、人工知能によって、

工学方面に進むのが一番適正だと判断された。

ところがその子が成長して、画家になりたいと言ってきた。

その場合はどうするか。

人間の幸福とは何か、が問われます。

 

国の政策でも、局地的な目標としては、

経済発展や軍事増強が挙げられたとしても、

究極の目的は、「国民の幸福」ですから、

そもそも人にとって「幸福」と何なのか、が問われます。

 

「幸福」を論じれば、そこには理屈ではどうにも割り切れない情、

自殺の是非、一個の人間の尊厳とは何か、

死んだらどうなる か、の不安などを

深く掘り下げなければならないのは当然で、

そこに目を向けない、不問にするような機械には、

自分のたった一度の人生を、絶対ゆだねることはできません。

 

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ターミネーターにはない人類の尊厳とは

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【人身受け難し(2)】


AI(人工知能)の進化により、映画「ターミネーター」の世界が

現実味を帯びてきました。

映画に出てくるコンピューター「スカイネット」は、

自己のためにもっとも優先する活動が設定されており、

自らを破壊しようとする存在「人間」の完全滅殺を目的とする、

というストーリーでした。

シュワルツネッガー演じるターミネーターは、

人間のリーダーを殺すためにプログラムされた、

人工知能搭載のロボットです。

自己の目的推敲のために、どんな危険な目に遭おうとも

表情一つ変えずに一途に突き進み、

たとえそのことで死ぬことになろうと、少しも恐れません。

サボったり、他事を考えたりすることも、瞬時もありません。

 

人間はこういうわけにはいきません。

目的を果たすために頑張っていても、苦しくなると、

「こんなに苦しいのに、なぜこんなことをしなければならんのか」

と虚しい気持ちになりますし、

死にそうな目に遭えば

「こんなことで死んで、オレの人生はいいのか」

と思い、躊躇してしまいます。

お前の存在理由はその目的を果たすためだ、と

どれだけ合理的な説明を受けて、納得したつもりになっても、

「でも、なんでこのために生きねばならないのか」

との思いがまた出てきます。

ここに人間の「弱さ」がある、ともいえます。

そのような疑問を持たない人工知能は「強い」ともいえます。

 

しかし一見、人間の弱い面と思われるここにこそ、

人間の尊厳がある、と仏教では説きます。

どれだけ人工知能が、人間の頭脳の及ばぬ力量を発揮したとしても

人工知能は

「こんなに苦しいのに、なぜこんなことをしなければならんのか」

と思いませんが、人間は考えずにおれません。

人工知能は

「いったい私は死んだらどうなるのだろうか?」

と自問しませんが、人間には、厳としてこの問いがあります。

そしてこれらの問いを真正面から見つめ、

ハッキリと答えを示す仏説を「聞きたい」という聞法心も、

人間ならではの心です。

 

生きる意味に悩み、死んだらどうなるかが不安になり、

仏法を聞き求め、絶対の幸福に救われた時、

『人身受け難し 今已に受く

 仏法聞き難し 今已に聞く』(釈迦)

“人間に生まれてよかった。

 聞き難い仏法がどうして聞けたのか”

と人命の尊厳がはっきり知らされます。

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人工知能が最強雀士に挑戦したらどうなるか

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【人身受け難し(1)】

 

AI(人工知能)の進化はめざましく、今年に入って、

将棋の名人を破り、囲碁の最強棋士を破り、

囲碁の世界では、もはや敵がないので引退させる

との発表もありました。

 

それでふと興味を覚えたのですが、

「麻雀だったらどうなんだろう」と。

将棋、囲碁の場合、常に最善手を目指し、

緻密に積み上げていく対局の性質上、

人工知能の得意分野だと思いますが、

麻雀の場合、不規則な確率に左右されますし、

また対局する人物も、リスク回避で「降りる」人から、

大胆に「突っ張る」人、流れを引き寄せようと「回す」人など

いろんなタイプがあり、常に最善手を選ぶ人だけではないので、

その人物観察眼も要求されます。

さらに、その対局の真剣度によっても打つ手は変わりますし、

あるいは一局の中でも流れの中で、

相手の気が大きくなったり、萎縮したりして、

これまた打つ手は大きく変化します。

 

このように麻雀には緻密な論理性だけでなく、

各人の持つ胆力、心理分析力なども用いての戦いなので、

果たしてそれをAIが分析、対応できるのか、

と考えていくと、面白そうです。

 

それでもやがては、特殊カメラで人物観察し、

その人の体温の上昇や、眸の瞳孔がどう変化したか、など

あらゆるデータから、相手の心理状態を分析し、出す手を読み、

勝ってしまう時代が来るのだろうなとも思います。

 

よくAIが首相になったり、社長になる可能性が論じられますが、

ビジネスにしても、政治にしても、どちらかというと、

囲碁や将棋よりも麻雀的な要素が大きいと思いますので、

雀士最強とのAI対局は、人工知能の進歩に大きな貢献を果たす、

のではないかと思います。

 

ビジネスでもやがてAIが、顧客の心の動きを察知して

営業を仕掛けたり、

政治でも各国首脳の動きをAIが多角的に分析して政策を決めたり、

あらゆる面で人工知能の決定に、人間が追従する時代が

来るやもしれません。

 

そうなってもなお、人工知能にはもう真似できない、

人間ならではの尊厳の理由は、あるのでしょうか。

仏教の答えは「ある」です。

『人身受け難し 今すでに受く』(よくぞ人間に生まれたものぞ)

と人命の尊厳があることを釈迦は教えられていますが、

その【どんな人工知能も持たない人間の尊厳の理由】とは何か、

続きは次回、お話ししたいと思います。

 

「死んだら無か、天国か、生まれ変わるか」仏教はこれを大問題と受け止める

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【後生の一大事(3)】


私は仏教講座に講師として立つ時は、

最低でも1時間前、普通は2時間前には、会場に到着します。

電車の遅延や車の渋滞など、世の中何が起きるか分かりませんので、

不測の事態に備えての早めの行動です。

「遅刻しても事情を言えば許してくれる」という甘い考えは、

仏教の講座に立つ者として、許されないと思っています。

 

もし私が「電車の時間が遅れたので」とか

「渋滞に引っかかったので」など、遅刻の言い訳を始めたら、

「ぎりぎりの行動をしたからだろうが。早めに家出ろよ」

と思われ、待たされた方はかえって不快感が増すだけでしょう。

電車の遅延や渋滞も、たとえ確率としては小さいことであっても、

あり得ることなので、その対策、備えは怠るわけにはいきません。

 

また、私は仕事はパソコンでしており、

仕事上の大事な内容もパソコンに全部入っているので、

こまめにデータのバックアップをしますが、

こういう対策を取っている理由も、もしパソコンを壊してしまい、

保管しているデータを取り出せなくなるような事態が起きれば

私にとって、大惨事だからです。

 

私はどちらかというと楽観的で、神経質ではない方ですが、

それでも仏教講座やパソコンに、それだけの対処をするのは、

万が一にも不測の事態が起きたときに被る被害が、絶大だからです。

もしそれらの大惨事が起きたことを思えば、

そうならないための対処の時間や労力やお金は安いものです。

 

このように私たちは重大な案件ほど、対策を立てます。

自動車保険や火災保険に入るのも、同じ理由からでしょう。

 

ところがそんな私たちでも、何よりも大きな問題でありながら、

何の対策も立てていないことがあります。

それは「私は死んだらどうなるか」という問題です。

 

死んだら無 になるだけだ」という人がいます。

もし間違いなく「無」と決まっているのなら、

対策を立てる必要はありませんが、事実ははっきりしていません。

「無」だと言っているのは、その人の思いであり、信心です。

「有る」のか、「無い」のか、有るとしたら

「死んだら天国」か「死んだら幽霊」か「死んだら地獄」か

それとも「また人間として生まれ変わる」のか、そうだとしたら、

「どんな国に、どんな容姿で、どんな両親の元に生まれる」のか、

そもそも「人間に生まれる」のか、それとも「他の動物」か、

何しろ、大変大きな運命の変化が未来に待っていることになります。

 

「遅刻したら」「パソコン壊れたら」も一大事ですが、

この一大事と比べたら、小事です。

それで仏教では「死んだらどうなるか」の問題を

後生の一大事といいます。

 

「遅刻したら遅刻した時さ」「パソコン壊れたときは壊れた時さ」

とは言わず、対策を立てています。

「老後になったら老後になった時さ」

とは言わず、老後の蓄えには余念がありません。

しかし「死んだらどうなるか」だけは

「死んだら死んだ時さ」と言い張って、

何の対策も立てずに暗闇に突っ込もうとしているのです。

こんな危なっかしいことはないので、

釈迦は「後生の一大事に気付け」と教えられるのです。

 

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原発よりもミサイルよりも南海トラフよりも、ずっと大きな問題について

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後生の一大事(2)】


2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死ぬ時代、

知人でがんになった人の話しを聞くこともあり、

決して他人事ではないと思いますし、

「保険に入っていたから、いい治療が受けられて安心」

と喜ぶ人が出てくるがん保険のCMも増えてきました。

家のローンだけでも大変ですが、さらにがん保険に入るかどうか、

検討を始める人も多いかと思います。

 

他にも保険にはいろいろあって、生命保険、介護保険、学資保険、

地震保険、海外旅行保険などなど。。。

「人生には上り坂あり、下り坂あり、まさか、という坂もある。

何が起きるかわからない人生も、備えがあれば安心です」

「何かあった時に奥さんや子供さんを守るのは一家の長の責任です」

との保険のセールスにその都度反応して、

何でもかんでも保険に入り、

毎月の給料が月々支払う保険料だけで消えてしまう

という笑えない話もあります。

 

最悪の事態を想定する気持ちも大事ですが、

現実には、確率と問題の大きさを考えて、

何に対策を立て、何に立てないか、各人が考えなければなりません。

 

しかし世の中にはおかしなことに、大問題なのに、

そして確率はものすごく高いのに、

何の対策も準備も立てずにいる問題があるのです。

それは「私は死んだらどうなるか」という問題です。

 

「火事になったらどうなるか」(火災保険)

「介護が必要になったらどうなるか」(介護保険)

「一家の長が死んだらどうなるか」(生命保険)

「がんになったらどうなるか」(がん保険)

さまざまな問題に準備、対策があるのに、

なぜかすべての人は「私は死んだらどうなるか」は、

むき出しの不安のまま、出たとこ勝負で迎えようとしているのです。

 

ちなみに誤解のないように申しますと、

「私は死んだらどうなるか」という問題は、

「私が死んだら残された家族がどうなるか」

「墓代や葬式代はどうなるか」という問題ではありません。

「私は死んだら、たった独りでどこへ行くのか」という問題です。

 

引き起こる可能性は100%。すべての人の問題です。

そして問題の大きさは、ゼロから無限大まで可能性があり、

人智では太刀打ちできず、全く見通しが立たない真っ暗闇です。

真っ暗闇に丸裸、独りぼっちで入っていくようなものです。

これを仏教では「後生の一大事」といいます。

 

こんな大問題を抱えながら、何の準備も対策もせず、

ただ目を背けることしかできないでいる人類の実態に驚き、

その解決を目指して釈迦が出家されたのが29歳の時でした。

そして35歳、仏の悟りを開かれ、

後生の一大事の解決の道一つ説かれたのが、仏教です。

 

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