親鸞に学ぶ幸福論

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「座して死を待つのみ」であっていいか

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何かの韓国のドラマで印象に残っているのですが、
ある女子高生が何か自己主張した時に
クラス中が
「え~」「それはちょっと・・」
と顔をお互い見合わせたり、
小声でざわざわし始めます。



それでも意に介することなく、主張を続けると
ざわめきが大きくなっていきます。



「うるさいな」とばかりに振り返ったその女子高生、
クラス全体に向かって
「どこが間違っているんですか?」
と聞くと、クラス中が静まりかえる、
というシーンがありました。



■「間違っている、間違っている!」
と何かと連呼する者はいますが、
「じゃあ、正しいのはどんなの?」
と尋ねればなんと答えるでしょうか。



自信のある人なら
「正しいのはこうです。」
と言います。



「ごたごた言わんと、正しいこと明らかにしなさい。」
と言いたい。



自分が正しいこと判らないのに、
わめき立てているとしたら
無責任ではないですか。



批判屋はどこにでもあります。



■360度地平線しか見えない砂漠に遭難したある集団。
途方にくれてしゃがんでいる。



そんな中、何か胸に秘めているのか、
意を決してある方角に進もうとする人がある。



その人を座視しながら、
「そんな方角間違っている。」
と連呼する人もしあらば、
「なぜあの人が間違いだといえるのか?」と聞きたい。



そう聞かれたときに
黙り込むなら、
みなあきれるだけです。



誰かを批判するばかりで
自分は立ち上がろうともしない人は
座して死を待つのみ。



「なぜ間違いといえるのか」
「何が正しいのか」
尋常ならざる真剣さがあっていいのです。

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