親鸞に学ぶ幸福論

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思うだけなら何を思ってもかまわない、は本当か

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【三業(2)】

 

仏教では三業といって、

身体の行い【身業】(体でやること)

口の行い【口業】(口で言うこと)

心の行い【意業】(心で思うこと

の、三つの行いを教えられていますが、

中でも『意業』を最も重視されています。

 

世間一般では『身業』を重視する場面が多いようです。

六法全書にも体でやった行為がほとんどです。

中に恐喝など『口業』が法的に問題になることもありますが、

身体の行為が圧倒的です。

口汚く「ぶっ殺すぞ」とすごんで言ってくる者があっても

殺人罪が採用されることはありません。

実際に手にかけて殺してしまえば、これはもう避けられない、

れっきとした殺人罪です。

「やったのか」「やってないか」

アリバイは?シロかクロか?

身業を重視しているのが分かります。

 

「言ったか」「言っていないか」

が問題になるケースも

裁判沙汰とまでいかなくても

人間関係上、相当重要視される場面があります。

ウソ、言い訳、責任転嫁、悪口、中傷、自慢話、噂話

これら口の行為で人を傷つけたり傷つけられたり、

ということはありますので、

身業に加えて、この口業も気を張るようにしています。

言動を律する、言動を慎む、ということです。

 

一方心で何を思っているのか、ということは問題にされません。

心で何を思っていようが、その罪が問われることもありません。

 

よく「どこまでが浮気?」という

飲み会でのトークで盛り上がるようですが、

その基準は一人一人違うらしく、

・キスまで

・手をつなぐまで

・ラブラブのメールのやり取り

といろいろです。

中には、他の人を「いいな」と思ったら浮気!

と手厳しい女性もありました。

しかし夫に「そんなこと思っていないでしょうね」と

奥さんがどれだけ問い詰めても

夫の心は詮索できませんので、

確かめるすべがありません。

口でしゃべらない限り、

メールや手紙で記録に残さない限り、

思っただけなら、思った本人しかわかりません。

だから調べようがないのです。

 

「思ったか」「思っていないか」

これではわかりませんから裁きようがありません。

人が知らないのをいいことに

私たちの心の中は“無法地帯”“無秩序状態”といえましょう。

とても人に言えないような醜いことも思っている、

浅ましいことを考えているものです。

 

ではなぜ意業(心の行い)を

仏教は重視されるのでしょうか。

 

身体で行うと人に迷惑をかける

口で言うと人を傷つける

心で思うことくらい誰にも迷惑かけるわけじゃないんだから

別に何を思ってもいいじゃないか、

という主張も聞こえてきそうです。

 

なぜ意業、心の行為を最も重く見られるのでしょうか。

次回はそこを論じます。

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