【諦観(3)】
■依存症という言葉があります。
▼一日一回はパチンコせずにおれない「パチンコ依存症」
▼高価な服やバッグを買ってしまう「買い物依存症」
▼食べては吐いて、自己嫌悪を繰り返す「過食症」
▼不特的多数と性的関係に走る「性依存症」
いろいろ聞きます。
それら依存症に共通しているのは、
【わかっちゃいるけどやめられぬ】ということでしょう。
■「わかっちゃいる」とは、何がわかっているのか?
「これがオレの人生において【本当になすべきこと】ではない」
ということがわかっている、ということです。
■「わかっているんだったら止めればいいじゃないか
わかっているのに、なんでオマエはやってしまうのか」
この問いの答えは
「あまりに今が苦しいから」
ということではないでしょうか。
さびしいから、
むなしいから、
やりきれないから、
刹那的でも、救われるなら、とそれらに走ってしまうのです。
■幸せな人、満ち足りている人は、やりません。
新婚で出世して、うれしくてうれしくて仕方ないから
覚せい剤でも打とう、ということがあるでしょうか。
忘れたいことがあって、一時的でも息苦しさから逃れたくて、
わかっちゃいるけどやめられず、手を出してしまうのでしょう。
そして、手を出してしまうと、それが原因で余計苦しみが増す。
苦しみが依存症を生み、依存症がまた苦しみを生む。
■覚せい剤で芸能人やスポーツ選手の逮捕が相次ぎましたが、
名声、お金の飛び交う、華やかな世界の裏は
底知れない空虚感が広がっているのかもしれません。
何かでごまかさなくては生きられない、
金や名声でも埋められない、この人間苦悩の根源はどこにあるのか。
そこにこそ、明らかに見なければならない、
諦観していかなければならない最たるものがあります。
その原因を明らかにされたのが釈尊であり、
日本の私たちに苦悩の元凶をハッキリ伝えられた方が親鸞聖人です。
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