親鸞に学ぶ幸福論

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仏と人とでは苦しみの視点が違う

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【抜苦与楽(2)】


先回のメルマガでお釈迦様が仏教を説かれた目的は『抜苦与楽(ばっくよらく)』

『苦しみを抜いて楽を与えてやりたい』

この目的一つで説き続かれた45年間だったことをお話しました。

一方、私たちの日々の営みも『苦しみを抜いて楽になりたい』

この目的に集約されます。

 

釈迦の目的は『抜苦与楽』

私たちの目的は『抜苦与楽』

ここにおいて仏の目的と私たちの目的は合致します。

私やあなたの一番知りたいことをストレートに教えていかれたのがお釈迦様なのです。

 

ではブッダと私たちの違いは何でしょうか。

ブッダの『抜苦与楽』は

【衆生(私たち)の苦悩の根源を抜き取り、本当の幸福を与える】

ことを狙いとされているのですが、

わたしたちは

【自分の苦悩の表面を問題にし、自分の一時の幸福ばかりつかもうとしている】

というところです。

 

モグラたたきというゲームはご存知でしょうか。

次から次へとモグラが出てきてそれをたたいていくゲームですが、

人生もモグラたたきゲームさながらで

受験、就職難、失恋、出世競争、リストラ、離婚、借金、病気、老い、

と私たちは次々とやってくる無理難題のモグラを

ひたすら叩いているようなものです。

 

ところがゲームと違って人生の場合、タイムオーバーがない。

果てしなくモグラが出てきて、

やがて叩く腕も疲れてこっちが動けなくなってしまう。

 

そんなとき、モグラを止めたいと思ったら

ゲーム機の電源を抜いてしまえばいいんです。

一返に決着です。

 

お釈迦様は苦悩を根本から抜き取って

本当の幸福を与えようとなされて仏教を説かれたのです。

 

目の前のモグラに向きになっているのが私たち、

ゲーム機の電源に狙いを定めているのが仏教、とたとえることができます。

「抜苦与楽」が共通の目的ですが、

苦しみの視点、見方が違います。

仏教を学ぶ際はまずここをよくよく聴聞しなければなりません。

 

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