親鸞に学ぶ幸福論

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仏教を聞き、仏教を説く目的とは

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【抜苦与楽(1)】


何事も目的が大事、とはよく言われることです。

ビジネス書なんかにも、会議の際、会議の目的は何か、を参加者と共有するのが大事で、

とりわけ主催者はよくよく確認しなければならない、と書かれています。

いつしか会議のための会議になっていたり、

派閥や力関係を確認する場になってしまったりするので、

このように言われるのでしょう。

 

アスリートも、練習の目的をよく自覚することが大事だと言います。

プロの野球選手は、一回一回のキャッチボールも全て目的がある、といいます。

漫然とこなし、早く練習終わらないかな、とただ終わるのを待っているような練習であってはならない

一つ一つの練習には目的がある

それを念頭に入れて練習をするかしないかで大きく変わると言われます

 

このように何事も目的が大事なのですが、

さて仏教の目的は何でしょうか。

それはただ一つ「抜苦与楽(ばっくよらく)」です。

「抜苦与楽」とは苦しみを抜く、そして楽しみを与える、ということで、

この苦しみとは、不安や不満、虚しさ、寂しさなど、いろいろな苦しみです。

その苦しみが抜かれ、楽しみを与える

この楽とは安心であり、満足であり、充実であり、幸せのこと。

それを与える、これが仏教の目的です

 

仏教を説く目的も、仏教を聞く目的も、これ以外ありません。

仏教を説かれたのはお釈迦様ですが、

お釈迦様が仏教を説かれた目的は「抜苦与楽」のため一つでした

人々の苦しみを抜いてやりたい、

人々を幸せにしてやりたい、

これが目的で、お釈迦様は仏教を説かれました

 

だから仏の教えを説く僧侶も、その目的は抜苦与楽です。

仏教を説く時は、説法する者は「医王のごとくせよ」と説かれています。

人から評価されたいとか、お金が欲しいとか、そういう目的で仏教を説くのではない、

医者が患者の苦しみを癒し、患者を健康にするために懸命に努めるように、

法を説きなさい、と言われているのです。

 

仏教を聞く立場になった時もその目的は抜苦与楽です

私たちが仏教を聞くのは苦しみを抜くため、

そして幸せになるためこれが仏教を聞く目的です。

仏教を説く人も、仏教を聞く人も。その目的は「抜苦与楽」一つです。

苦しみを抜いて幸せになる、これが仏教の目的なのです。

 

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