【生死の一大事(1)】
「生あるものは必ず死に帰す」
誰でも知っていることです。
死という壁にいつか必ずぶつかるということ。
私たちは死の壁に向かって
目隠しして走っているようなものといえましょう。
ではその壁にぶつかった、その向こう側は
どうなっているのでしょう。
【人間死んだらどうなるか】
あなたは考えられたことありますか。
オカルトでも話し出そうとしているのではありません。
冷やかしでもありません。
正真正銘、自分の将来に関わる大事な問題ではないでしょうか。
以下は友人が、お父さんを看取ったときに
言っていた言葉です。
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肉体はまだきれいにあるのに、
幾ら見つめていても全く動かない、動く気配もない、
これから先も二度と動くことはないと分かりました。
抜け殻同然でした。
しかし、ちょっと前まで動いて生きていました。
どんなに病状が悪化し、昏睡状態になっても抜け殻などと思わず、
確かに父はそこにいました。
今生は【父】という仮の姿をしていましたが、
【本当の父】は仮の姿を置いて、どこへ行ってしまったのか。
肉体は動かなくなっても、父が消えたとは思えませんでした。
周りを見れば、皆動いていて、
それを「生きている」といわれますが、
その肉体を動かしているものは何であるか。
自分の肉体もまた仮の姿で、必ず尽きる時がやってきます。
それを「死ぬ」といわれますが、
死ぬとそれまで肉体を動かしてきた〝本当の自分〟はどうなるのか。
そもそも〝本当の自分〟といわれる実体は何であるのか。
考えれば考えるほど分からず、
奇妙な感覚に陥ります。」
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生まれて、生きて、死ぬのは、肉体の問題。
仏教で問題にされているのは肉体ではなく、
過去・現在・未来を貫く【本当の自分】とは何か、です。
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