親鸞に学ぶ幸福論

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仏教は「死んだらどうなるか」を大問題と受け止める

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【後生の一大事(3)】


私は仏教講座に講師として立つ時は、

最低でも1時間前、普通は2時間前には、会場に到着します。

電車の遅延や車の渋滞など、世の中何が起きるか分かりませんので、

不測の事態に備えての早めの行動です。

「遅刻しても事情を言えば許してくれる」という甘い考えは、

仏教の講座に立つ者として、許されないと思っています。

 

もし私が「電車の時間が遅れたので」とか

「渋滞に引っかかったので」など、遅刻の言い訳を始めたら、

「ぎりぎりの行動をしたからだろうが。早めに家出ろよ」

と思われ、待たされた方はかえって不快感が増すだけでしょう。

電車の遅延や渋滞も、たとえ確率としては小さいことであっても、

あり得ることなので、その対策、備えは怠るわけにはいきません。

 

また、私は仕事はパソコンでしており、

仕事上の大事な内容もパソコンに全部入っているので、

こまめにデータのバックアップをしますが、

こういう対策を取っている理由も、もしパソコンを壊してしまい、

保管しているデータを取り出せなくなるような事態が起きれば

私にとって、大惨事だからです。

 

私はどちらかというと楽観的で、神経質ではない方ですが、

それでも仏教講座やパソコンに、それだけの対処をするのは、

万が一にも不測の事態が起きたときに被る被害が、絶大だからです。

もしそれらの大惨事が起きたことを思えば、

そうならないための対処の時間や労力やお金は安いものです。

 

このように私たちは重大な案件ほど、対策を立てます。

自動車保険や火災保険に入るのも、同じ理由からでしょう。

 

ところがそんな私たちでも、何よりも大きな問題でありながら、

何の対策も立てていないことがあります。

それは「私は死んだらどうなるか」という問題です。

 

「死んだら無になるだけだ」という人がいます。

もし間違いなく「無」と決まっているのなら、

対策を立てる必要はありませんが、事実ははっきりしていません。

「無」だと言っているのは、その人の思いであり、信心です。

「有る」のか、「無い」のか、有るとしたら

「死んだら天国」か「死んだら幽霊」か「死んだら地獄」か

それとも「また人間として生まれ変わる」のか、そうだとしたら、

「どんな国に、どんな容姿で、どんな両親の元に生まれる」のか、

そもそも「人間に生まれる」のか、それとも「他の動物」か、

何しろ、大変大きな運命の変化が未来に待っていることになります。

 

「遅刻したら」「パソコン壊れたら」も一大事ですが、

この一大事と比べたら、小事です。

それで仏教では「死んだらどうなるか」の問題を

後生の一大事といいます。

 

「遅刻したら遅刻した時さ」「パソコン壊れたときは壊れた時さ」

とは言わず、対策を立てています。

「老後になったら老後になった時さ」

とは言わず、老後の蓄えには余念がありません。

しかし「死んだらどうなるか」だけは

「死んだら死んだ時さ」と言い張って、

何の対策も立てずに暗闇に突っ込もうとしているのです。

こんな危なっかしいことはないので、

釈迦は「後生の一大事に気付け」と教えられるのです。

 

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