親鸞に学ぶ幸福論

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「富岡八幡宮で初詣って、実際どうなる?」の論議に一言

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【鬼神(1)】

 

東京の富岡八幡宮で宮司の女性が、実の弟に

日本刀で斬殺される事件が起きました。

犯人である弟は姉を殺した後、自分の妻も殺し、

自らも八幡宮の境内で自殺しました。

年の瀬を前におこったセンセーショナルな事件は、世を騒然とさせました。

 


私は、この事件の一連の報道から、

改めて日本人の根深い『鬼神信仰』を思い知らされています。

 


日本人は「自分は無宗教だ」と口にする人が多いですが、

そんな人でも無自覚に信じているのが「鬼神信仰」です。

 


「鬼神信仰」とは、死んだ人間、特に非業の死を遂げた人物が、

死後、怨霊となって祟りをなすというもの、

あるいは優れた功績のあった人物が、死後も強い霊力を持った英霊となって

禍福を与える力を持つと信じられている信仰です。

 


たとえば全国各地に多い菅原道真をまつった神社ですが、

これは藤原家の讒言により流刑となって死んだ菅原道真が

怨霊となって藤原家を呪っているから不幸が来ると信じた藤原家が

その霊を鎮めるために建立されたのが始まりです。

 


今回の事件では、犯人の男は自殺前に書き残した手紙に

「私は死後においてもこの世に残り、怨霊となり、永遠に祟り続けます」と、

怨念に満ちた内容を残しました。

富岡八幡宮の元宮司だった男は、金遣いの荒さと女遊びのひどさから宮司をやめさせられ、

代わって宮司になった姉を逆恨みしていたようです。

姉を恨み、のろい、祟ってやると憎悪の念を募らせていった末の犯行だったのでしょう。

「死後、この世に残り、怨霊となり、永遠に祟る」と書いているのだから、

本人も強い「鬼神信仰」を持っていたのがわかります。

 


富岡八幡宮は東京を代表する有名な神社なので、

毎年、初詣の時期は立錐の余地もないほど境内に人が集まるそうですが、

祀られている神は応神天皇です。

天皇だから英霊であるとされ、強い霊力を持つ存在として祀られているのですから、

その神社にご利益を求めて人が殺到するのも、「鬼神信仰」です。

 


しかしこのたびの富岡八幡宮の初詣は人が来るでしょうか。

なにしろ富岡八幡宮が「家内安全」をご利益に謳っている神社だけに、

宮司の親族で起きた「家内安全」とかけ離れた事件に

権威失墜も甚だしいものがあります。

 


しかも犯人の男が「怨霊となって祟るぞ」と宣言して、

境内で自殺しているところから、

そんな神社に行ったら祟られそうだという声が多くあります。

その声もやはり「鬼神信仰」からくる発言です。

 


不動産でも、自殺や殺人があったような部屋は事故物件として扱われ、

家賃が安くなりますが、そういうことを気にするのが「鬼神信仰」です。

 


神社としても一年で一番賽銭が見込める初詣に人が来ないと大変だということで

さっそく祓い清めの儀式を行い、

「一切の邪気と不浄を祓い清めました」とアピールしています。

そのような「祓い清め」をすれば邪気が祓われ、幸福になるというのも

「鬼神信仰」です。

 


苦しいことが起きても、すべては自分のまいた種の結果によると説く仏教は

自分以外の誰かのせいにして、恨み、呪うことを

「愚かな心」と否定しますし、

「祟り」をなすという「鬼神信仰」も否定します。

 


ところがその仏教を明らかにしなければならない僧侶でありながら、

読経して怨霊退散させると触れ回っている輩は多いのです。

親鸞聖人の時代にもあったようで

「かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに

仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す」

“なんと悲しいことか。現今の日本の僧侶も在家の人も、

外見は仏教でも、内心は鬼神信仰だ”

と嘆かれています。

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