親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

何かを信じなければ、一時として生きておれないのが人間

f:id:kikuutan:20080706091927j:plain

 

【正信偈(2)】

 


正信偈』について話を続けます。

親鸞聖人が「正しい信心」を、

親しみやすい歌の形で教えられたのが『正信偈』です。

 


先回お話ししたように、すべての人は何かしらの信心を持っています。

何の信心も持っていない人は、ありえません。

ちょっと考えれば分かります。

たとえば(男性限定のたとえになってしまいますが)、

床屋でひげを剃ってもらう時のことを考えてみてください。

床屋はこのとき、カミソリを用いますが、

T型カミソリでなくて、あの本格的なカミソリをのど元やあごの下にあてて、

ひげをそっていきます。

もし床屋が変な気をおこして、このカミソリを横にサーッとひいたらどうなるか。

首には脳に血液を送る太い頚動脈がありますが、

これが切られたら、一気に出血多量で死にます。

そんな頚動脈のある首筋にかみそりを当てるのですから、

赤の他人に命預けているようなものなんですが、

自分自身振り返ってみても、ドキドキもハラハラもしない、

気持ちよくて、どうにも睡魔が襲ってくる。

いや、自分だけではない、

ほとんどの客は寝ているし、中にはいびきかいている者までいます。

なぜそんな平気でおれるのか。

それは「まさか床屋が変な気を起こすこともないだろう」

と床屋を信じているから、です。

 


今まで私は何度か、夜中に高速道路を友人と交代で運転して、

遠距離移動したことがありますが、

あれも考えてみれば、運転手のハンドルに命あずけているようなものですよね。

もし夜中に運転手が居眠りでもして追突したら、

急ブレーキ音で眠りから起こされた瞬間、

激突の衝撃と共に身体が前のめりになり、

フロントガラスに頭を強打し、そのまま即死です。

「まさかそんなめったなことはなかろう、

夜中の間、自分は眠りこけても、運転手が寝るはずがない」

と、その運転手を信じ込んで、寝てしまうのですから。

 


医者から薬をもらえば、どんな成分が入っているかいちいち調べてから、

問題ないと確認してから飲むという人はまずいないでしょう。

医者がくれたものに間違いなかろうと、口の中にほおり込んでいます。

医者を信じて生きているということです。

 


そもそも「明日はこうして、来月はああして、来年にはああなって」と様々な計画を立てているのは、

自分の命を信じて生きているからではありませんか。

ひょっとしたら何か事故か事件に巻き込まれて、今晩限りの命かもしれないのに、

まさかそんなはずがなかろう、と手帳に予定を書き込んでいます。

これは「まだまだ死なない」と自分の命を信じて生きている姿です。

 


何の信心も持っていない人があれば、

その人は床屋にも、病院にも行けず、タクシーにも乗れず、手帳に予定も書けません。

 


それでもなお「世の中には信じられるものなんて何もない」

と強弁する者、もしあらば

「ではあなたは、“世の中には信じられることなど、一つもない”

という思想を信じているんですね」

と切り返されるだけでしょう。

 


人間は何かを信じなければ、

一時として生きていくことはできない存在なのです。

 

 

 

 

=========

仏教に何が説かれているのか、分かりやすく体系的に学べる全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

 

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。