親鸞に学ぶ幸福論

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『羊と鋼の森』で心に残った一文

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精進(1)】


スポーツ、芸術、学問、どの世界でもそうだと思いますが、

自分と同期、あるいは年下から、

舌を巻くような技術やセンスや発想を見せつけられ、

「おれって才能ないのかな」と落ち込むことがあります。

特にその道で大成しようと頑張っている人ほど、

そういう葛藤は常にあるでしょう。

 

昨年本屋大賞に輝いた『羊と鋼の森』という小説では、

ピアノの調律師を目指す主人公が成長していく様が描かれますが、

励まされるセリフがありました。

「才能がないかも」とふと思うようなときに、

読み返したいセリフだなと思いましたので、

備忘の意味を込めて、記載します。

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僕には才能がない。

そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。

でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。

少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。

そう思うことで自分を励ましてきた。

才能という言葉で紛らわせてはいけない。

あきらめる口実に使うわけにはいかない。

経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。

才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。

もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがある

と気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。

 

 

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僧侶の自省を促すエピソード

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【法施(2)】


仏教では法を伝える人を「僧」といいます。

仏法をわかるように話しするのは並大抵ではありませんから、

法を伝える人の頭の中は、いつも

「どう言えば分かってもらえるだろうか」

の悩みでいっぱいです。

道を歩いていても、ご飯を食べていても、布団に入っても、

「どうしたら分かってもらえるか」

の悩みから解放されることはありません。

そういう悩みのない、「伝えたい」はウソです。

 

僧侶が他の職業に就く時間がないのは、

仏法をお伝えするにはどうしたらいいかで

精一杯だからです。

そしてそのようにして仏法を伝えてくれる人が

真の僧侶なのです。

 

こんな話があります。

ある有名な布教使がある寺へ説法したときのこと、

その寺の住職が布教使の寺の門徒の数を聞いた。

布教使が「七軒です」と答えると、

住職は気の毒そうに「それは大変ですね~」。

布教使は「はい、大変です」

住職「そうでしょうとも、そうでしょうとも」と頷いている。

この時の住職の気持ちは

「七軒では葬式や法事の依頼も少ないだろうし、

お布施も多く集まらないから、生活が大変でしょう」

という意味です。

 

次に布教使が住職に門徒の数を聞いたところ、

その住職、よくぞ聞いてくれたと自慢顔で

「いやたいしたことないですよ、たった二千軒ほどですよ」

と言う。

布教使はそれを聞いて、いたわるような表情で

「それは大変ですね~」。

住職それを聞いて、きょとんとした。

 

布教使はその後、こう言った。

「二千軒もおありだったらさぞ大変でしょう。

私はたった七軒ですが、間違いなく七軒の人達に

親鸞聖人の教えをお伝えしなければなりませんので、

どうお伝えしたら分かってもらえるだろうか、

日夜思い悩んでいます。

二千軒もあったら夜寝る時間もないくらい

大変でございましょう」

聞いた住職は己の浅ましい考えを恥じ、赤面した、という話しです。

 

僧侶はどうあるべきか、自省を促されるエピソードです。

真の僧侶として、生涯を全うしたいものです。

 

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僧侶の本来の仕事は法施、説法だ。葬式や法事ではない

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【法施(1)】


「法施(ほうせ)」とは、仏教を人にお伝えすることです。

「法」とは「仏法」、「施」とは「施す」「与える」。

仏法を皆にわかるようにお届けするのが「法施」です。

そして法施一つに生きる人を「僧侶」と言われるのです。

 

今日、「僧侶」「坊主」といえば、葬式や法事で読経する人、

というイメージが定着していますが、

読経だけでは、法施したことにはなりませんので、

僧侶、坊主の役目を果たしたことにはなりません。

 

「世間の本ではない、仏教の教えが書かれている経典を

声に出して読むのだから、聞く人に仏法を与えることに

なるのではないか」というのは暴論です。

耳で聞いて意味が分かる人ならいざ知らず、

おそらくほとんどの人は、坊主の読経を聞いても、

意味がサッパリ分かりませんから、

それでは法を伝えたことにはなりません。

「相手が分かろうが分かるまいが、オレは伝えたんだ」

というのは、与えたことにはなりません。

相手が受取りやすいようにしないと、

与えることにはなりません。

今、読んだお経にはこういうことが教えられているのですよ、と

みなさんにわかるように仏の教えを伝えてこそ、

法を施したことになるのです。

 

本来、葬式や法事は、僧侶にとって法施するご縁であり、

参詣者にとっては聞法するご縁でした。

それが今や、何が書かれているか分からないお経を

節をつけて有り難そうに読んで、それで終わり、

自分の役目は終わったとばかりに、

白封筒に包んだお布施のお金をもらってすぐ帰る、

あるいは長居してビール飲んでくつろいだりしているのが、

多くの人の頭に浮かぶ僧侶、坊主のイメージになっています。

坊主を迎える門徒もそれが常識で、

読経も死んだ人のご馳走くらいに思っており、

葬式や法事を、聞法のご縁と思っている人はほとんどありません。

 

本来は葬式や法事の際に、僧侶は、読経の後に参詣者の方を向いて、

「今読んだお経にこんな言葉がありました。

ここでお釈迦様はこう言われているのです」

と説法しなければ、使命を果たしたことにはならないのです。

 

仏教を人にお伝えするのは大変です。

お経は難しい漢字ばかりですから、

その一つ一つの意味を話すだけでも大変ですが、

それだけでは未だ仏法を伝えたことにはなりません。

お経の意味を話したところで、

その内容が自分の人生とどう関係しているのか、

みな分からないので、聞く耳を持ちません。

続けて聞きたいと思われないのです。

 

私たちの人生にとって、絶対欠かしてはならない大切な内容が、

仏教に教えられていたとは知らなかった、と聞く人が感動し、

続けて聞かせていただきたい、となってこそ、

法を伝えている、といえるのです。

 

これは大変難しいことです。

根気の要ることです。

いい加減な気持ちで取り組んでいる人が

務まるものではありません。

僧侶が他の仕事に就かず、法施一つに専念するのは、

片手間にできることではないからです。

法施一つに専念してさえ、なかなか法をお伝えすることができず、

悩みが絶えないのに、他の職業をする時間はないのです。

 

自分の生活を抛ってでも、人々に法をお届けすること一つに

専念する僧を敬って、仏教では「僧宝」と言われます。

自らが正しく仏法を知り、

それを伝えることに己の全てをかける人は

私たちにとって、かけがえのない宝だからです。

 

 

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AI(人工知能)のご神託を聞く時代は来るか

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【人身受け難し(4)】


識者の中には、AI(人工知能)の神格化を恐れる声も

あがっています。

政治家がプログラムをいじって、

恣意的な結果を出せるにもかかわらず、

「これはAIに基づいた判断だ」といえば、

反論しにくくなり、その主張が通ってしまう世の中になるのでは、

という危機感です。

 

ちょうど権力者が巫女や預言者と結託し、

「ご神託があった」として、自分の主張を通そうと

するようなものです。

歴史上、何度も繰り返されてきたことが、

今度は「AIのご神託」となって表れるのではないか、

という危惧です。

 

確かにAIの暴走を危惧するSFもよりも、

当面すぐに起きてくることは、AIを用いて、

私腹を肥やそうとする人間の暴走です。

 

本来、科学技術は良いものでも悪いものでもありません。

「ナイフはパンを切ることができるが、人を殺すこともできる」

ナイフ自体に善し悪しはありません。

それを使う人間の心によって、便利な道具ともなり、凶器ともある。

それと同じで、AIが恐ろしいというよりも、

AIを利用する人間の心に怖ろしい鬼が棲むのです。

釈迦は、人間の【欲】と【怒り】と【愚痴】を、

青鬼・赤鬼・黒鬼と教えられています。

 

こんな時代だからこそ、一人一人が自己の心を真面目に見つめ、

どうしたら鬼の心を持った私たち人間が幸せになれるか、

考えていかねばならないのでしょう。

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AI(人工知能)には決して魂は売らないぞ

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【人身受け難し(3)】


将棋の対局でAI(人工知能)は、将棋を知っている人なら

絶対指さないような「イミフな手」を時々指すそうです。

単に「悪手」というのではない。

悪手は、その人の浅はかな考えから打った手だから、

なぜその手を打ったか、理解はできます。

「イミフ(意味不明)な手」は、誰も分からない手のことで、

将棋の世界に生きる人にはあり得ない手なので、

「これはAIの誤作動(エラー)か」と思うそうですが、

手を指し進めていくと、

「あの一手が今ごろになって効いているなあ」

となってくるそうです。

 

将棋の可能性はこの1,2年のAIの進化により、

飛躍的な広がりを見せています。

23連勝という破竹の勢いで話題の、驚異の14歳、

最年少プロ棋士、藤井聡太四段は、

コンピューター将棋で腕を磨いたそうです。

一手毎にコンピューターが採点してくれるとのこと。

いわば人工知能を師匠とする少年が、並居る古豪、強豪棋士を、

ばったばったとなぎ倒しているということです。

 

この波は、将棋だけでなく、さまざまな世界に押し寄せるでしょう。

受験の家庭教師も、スポーツのコーチも、人工知能が課題も長所も、

そのために今すべき勉強も練習も、適切に判断してくれるでしょう。

 

やがては国の政策も、人工知能を師匠として、

立案、決定するようになり、

さらには赤ん坊の頃から人工知能が将来の適性を判断して

何を学ばせ、どんな教育を受けさせるか決定する、

という時代がやってくるかもしれません。

そこまで想像してみると、だんだん怖くなってきますね。

 

手塚治虫の「火の鳥未来編」では、

国の政策はすべて人工知能が判断する世界となり、

その人工知能が核戦争を判断し、

人間がその判断を却下したくても、誰も逆らえず、

世界は全面核戦争になるという漫画でしたが、

現実味を帯びてきました。

 

人工知能は局地的なアドバイザーとしては、有効だと思います。

将棋なら「こちらの王を取られずに、向こうの玉を取る」

という目標に向かって、

スポーツなら「金メダルを取る」という目標に向かって、

受験なら「東大合格」という目標に向かって、という、

限られた範囲のアドバイザーです。

 

しかしこれが、赤ん坊の適性や国の政策という段階になると、

「人生の目的」「本当の幸福」とは何か、

という哲学的な問いに直結してきますので、

機械にゆだねてはならないところです。

 

たとえばある赤ん坊が、人工知能によって、

工学方面に進むのが一番適正だと判断された。

ところがその子が成長して、画家になりたいと言ってきた。

その場合はどうするか。

人間の幸福とは何か、が問われます。

 

国の政策でも、局地的な目標としては、

経済発展や軍事増強が挙げられたとしても、

究極の目的は、「国民の幸福」ですから、

そもそも人にとって「幸福」と何なのか、が問われます。

 

「幸福」を論じれば、そこには理屈ではどうにも割り切れない情、

自殺の是非、一個の人間の尊厳とは何か、

死んだらどうなる か、の不安などを

深く掘り下げなければならないのは当然で、

そこに目を向けない、不問にするような機械には、

自分のたった一度の人生を、絶対ゆだねることはできません。

 

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ターミネーターにはない人類の尊厳とは

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【人身受け難し(2)】


AI(人工知能)の進化により、映画「ターミネーター」の世界が

現実味を帯びてきました。

映画に出てくるコンピューター「スカイネット」は、

自己のためにもっとも優先する活動が設定されており、

自らを破壊しようとする存在「人間」の完全滅殺を目的とする、

というストーリーでした。

シュワルツネッガー演じるターミネーターは、

人間のリーダーを殺すためにプログラムされた、

人工知能搭載のロボットです。

自己の目的推敲のために、どんな危険な目に遭おうとも

表情一つ変えずに一途に突き進み、

たとえそのことで死ぬことになろうと、少しも恐れません。

サボったり、他事を考えたりすることも、瞬時もありません。

 

人間はこういうわけにはいきません。

目的を果たすために頑張っていても、苦しくなると、

「こんなに苦しいのに、なぜこんなことをしなければならんのか」

と虚しい気持ちになりますし、

死にそうな目に遭えば

「こんなことで死んで、オレの人生はいいのか」

と思い、躊躇してしまいます。

お前の存在理由はその目的を果たすためだ、と

どれだけ合理的な説明を受けて、納得したつもりになっても、

「でも、なんでこのために生きねばならないのか」

との思いがまた出てきます。

ここに人間の「弱さ」がある、ともいえます。

そのような疑問を持たない人工知能は「強い」ともいえます。

 

しかし一見、人間の弱い面と思われるここにこそ、

人間の尊厳がある、と仏教では説きます。

どれだけ人工知能が、人間の頭脳の及ばぬ力量を発揮したとしても

人工知能は

「こんなに苦しいのに、なぜこんなことをしなければならんのか」

と思いませんが、人間は考えずにおれません。

人工知能は

「いったい私は死んだらどうなるのだろうか?」

と自問しませんが、人間には、厳としてこの問いがあります。

そしてこれらの問いを真正面から見つめ、

ハッキリと答えを示す仏説を「聞きたい」という聞法心も、

人間ならではの心です。

 

生きる意味に悩み、死んだらどうなるかが不安になり、

仏法を聞き求め、絶対の幸福に救われた時、

『人身受け難し 今已に受く

 仏法聞き難し 今已に聞く』(釈迦)

“人間に生まれてよかった。

 聞き難い仏法がどうして聞けたのか”

と人命の尊厳がはっきり知らされます。

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人工知能が最強雀士に挑戦したらどうなるか

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【人身受け難し(1)】

 

AI(人工知能)の進化はめざましく、今年に入って、

将棋の名人を破り、囲碁の最強棋士を破り、

囲碁の世界では、もはや敵がないので引退させる

との発表もありました。

 

それでふと興味を覚えたのですが、

「麻雀だったらどうなんだろう」と。

将棋、囲碁の場合、常に最善手を目指し、

緻密に積み上げていく対局の性質上、

人工知能の得意分野だと思いますが、

麻雀の場合、不規則な確率に左右されますし、

また対局する人物も、リスク回避で「降りる」人から、

大胆に「突っ張る」人、流れを引き寄せようと「回す」人など

いろんなタイプがあり、常に最善手を選ぶ人だけではないので、

その人物観察眼も要求されます。

さらに、その対局の真剣度によっても打つ手は変わりますし、

あるいは一局の中でも流れの中で、

相手の気が大きくなったり、萎縮したりして、

これまた打つ手は大きく変化します。

 

このように麻雀には緻密な論理性だけでなく、

各人の持つ胆力、心理分析力なども用いての戦いなので、

果たしてそれをAIが分析、対応できるのか、

と考えていくと、面白そうです。

 

それでもやがては、特殊カメラで人物観察し、

その人の体温の上昇や、眸の瞳孔がどう変化したか、など

あらゆるデータから、相手の心理状態を分析し、出す手を読み、

勝ってしまう時代が来るのだろうなとも思います。

 

よくAIが首相になったり、社長になる可能性が論じられますが、

ビジネスにしても、政治にしても、どちらかというと、

囲碁や将棋よりも麻雀的な要素が大きいと思いますので、

雀士最強とのAI対局は、人工知能の進歩に大きな貢献を果たす、

のではないかと思います。

 

ビジネスでもやがてAIが、顧客の心の動きを察知して

営業を仕掛けたり、

政治でも各国首脳の動きをAIが多角的に分析して政策を決めたり、

あらゆる面で人工知能の決定に、人間が追従する時代が

来るやもしれません。

 

そうなってもなお、人工知能にはもう真似できない、

人間ならではの尊厳の理由は、あるのでしょうか。

仏教の答えは「ある」です。

『人身受け難し 今すでに受く』(よくぞ人間に生まれたものぞ)

と人命の尊厳があることを釈迦は教えられていますが、

その【どんな人工知能も持たない人間の尊厳の理由】とは何か、

続きは次回、お話ししたいと思います。

 

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