親鸞に学ぶ幸福論

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心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず

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【娑婆(1)】


『娑婆』とは「この世」のことで、

インドの言葉「シャバ」に漢字を当てたものです。

意味は「堪忍土」。

堪え忍ばなければ生きていけない世界、ということです。

 


この世で生きていくときには、腹が立っても、

それを口や態度に出せないことがほとんどです。

腹が立ったからと、言いたいこと言ってたら、

生きてはいけません。

我慢しなければなりません。

これは誰か一人のことではなく、みな同じです。

言いたいことをなかなかいえず、

やりたいこともいろいろ抑えて、みな生きているのです。

 


人と接すればどうしても、あの人は好き、あの人は嫌い、

という好き嫌いが生じます。

好きな人とは一緒におれず、嫌いな人とはなぜか接点が多い。

世の中は上手くいかないものです。

接点どころか、嫌いな人と笑顔で

握手しなければならないこともあります。

顔見るのも嫌だという人とも、仲良くやっていかねばなりません。

自分の思ったとおりにできることなど、ほとんどありません。

言いたいことでも、我慢しなければならない。

言いたくないことでも、言わなければならない。

まさに『堪忍土』です。

 


では、刑務所から出てきた人が

「娑婆の空気はうまいぜ」と口にするように、

刑務所の外を「娑婆」と呼ぶようになったのは、

なぜなのでしょうか。

 


それは全く自由がない刑務所生活を「地獄」にたとえ、

刑務所の外は、思い通りにならない娑婆とはいえ、

地獄の刑務所暮らしと比べれば、まだずーっとましで、

喜ばねばならないところだという意味から、

そう言われるようになったそうです。

 


平安時代の高僧、源信僧都

「心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず」

と書かれています。

心に思うことかなわないことばかりの娑婆(この世)だけれども、

もっと苦しい境涯の地獄の苦と比べれば、

恵まれた今を感謝しなさいよ、と説かれています。

 

マイケル・ジャクソンが語った「最も好きな曲」とは

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両親は1歳のときに離婚。

その後、父親はアルコール依存症によって死去。

歌手だった母親は、声が出なくなり、仕事ができなくなる。

新聞やマーケットの売り子を経験し、

パントマイム劇で、一家の家計を支える。

やがて母親は極貧のあまり、精神に異常をきたし、

施設に収容される。

4歳違いの異父兄と、孤児院や貧民院を転々とすることになる。。。

こんな少年時代を送ったのは、かの喜劇王、チャップリンです。

 


そのチャップリンの言葉に

「人は楽しいから笑うんじゃない、泣かないために笑うんだ」

とあります。

だからなのでしょう。

チャップリンの笑いは、涙が出そうになるような、

悲しい人間の姿も垣間見えるのですが、

その悲しみを優しく包む笑いです。

 


そのチャップリンが作った曲が「SMILE」です。

https://www.youtube.com/watch?v=3olmh-aC5Ho

マイケル・ジャクソンが「最も好きな歌だ」とカバーしました。

和訳の歌詞を紹介いたします。

ーーーーー

心が痛むときでも、微笑んで
傷ついたときでも、微笑んでごらん
曇り空のときも、君ならきっと切り抜けられるよ

悲しみや不安を感じるときでも、笑ってごらん
そうすれば明日君の為に太陽が輝きだすよ

君の顔に喜びで笑顔にしよう
悲しみの跡を全部隠して
たとえ涙が今すぐにでもこぼれそうだとしてもね

そんなときこそ、微笑みを絶やさないようにしよう
笑って
泣いたってなんにもならない
もしも君がほほ笑んだなら
人生は生きる価値がまだまだあるってことがわかるだろう

ーーーーーー

チャップリンは笑いの力を信じ、生涯をかけた人でした。

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和顔愛語とバイオフィードバック。仏教と医学。

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【和顔愛語(3)】


心は形に表れますが、形が心を作るケースもあります。

和顔愛語』(和やかな笑顔で、優しい言葉をかける)も、

朗らかな心が、笑顔や言葉に表れるのですが、

笑顔と言葉に心がけることで、朗らかな心になる、ともいえます。

 


顔だけでも笑うと、気分まで明るくなる現象を

医学では「バイオフィードバック」と呼ばれます。

「笑顔」はプレッシャー克服の有効な手段なのだとか。

心の底から笑えない時は、形だけでもいいそうです。

失意の時、緊張が続く時、

あえて口角を上げて、笑った表情を作るだけで

脳が影響を受け、考え方がよりポジティブになるとのこと。

ポジティブになることで前頭葉が適切に働き、

プレッシャーがかかっていても、

やるべきことに集中できるそうです。
 


鉛筆をハーモニカのように横向きにして口にくわえると、

笑顔に近くなります。

鉛筆を縦向きにしてストローのように口にくわえると、

不満顔に近くなります。

大学生に鉛筆をくわえたままマンガを読んでもらい、

面白さを感じる度合いを評価してもらったところ、

横向きでくわえた時は、縦向きに加えた時よりも

面白さを強く感じる、という研究結果があります。

 


フランスの哲学者アランは

「しあわせだから笑っているのではない。

むしろ笑うからしあわせなのだ」

「ただほほ笑むまねをしただけでも、

すぐに人間の悲しみや退屈さはやわらいでいるのだ」

といいます。

 

 

『和顔愛語』(和やかな笑顔と優しい言葉)は、

周囲を和ませ、穏やかな空気を生み、

失意の人を励ます力もある素晴しい行いですが、

それだけではなく、笑顔で人に接しようと努めている自分自身が

大きな幸せを手にできますよ、とも説かれています。

自らを幸せにし【自利】、人を幸せにする【利他】、

自利利他の布施行が『和顔愛語』なのです。

 

 

 

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和やかな顔で和を大切にする和国、日本

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「和」という漢字は、和風、和室、和歌と使うように、

日本を指す字です。

また聖徳太子が十七条憲法の第一条で

「和するをもって貴しとす」

“仲良くすることが素晴しいことだ”と定めたように、

「和」という字には、仲良くする、団結、という意味もあります。

さらに「和」には、「和(なご)やか」という意味があります。

仏教にも『和顔愛語』という言葉があり、

和やかな笑顔と、優しい温かい言葉で相手に接することです。

お釈迦さまは「素晴しい行いですよ」と勧められています。

 

 

江戸時代、各村にある寺を中心に、子供の教育も、

村の寄り合いも行われた時代、

仏教の法話は各村々でひらかれ、

お釈迦さまの「和顔愛語」の教えは、

今よりずっと人々の間に浸透していました。

その「和顔愛語」の文化は、現代の日本にも受け継がれている

と思いますし、今後とも大事にしていきたく思います。

 


先日、アメリカから一時帰国した友達が、

空港での入国審査の対応で、

「日本人はやっぱり丁寧だ」と言っていました。

「お疲れさまでした」と笑顔で案内されて感激したのだそうです。

日本にいると、当たり前に思える客への対応ですが、

確かに比較すると、際立っているのがわかります。

 


私もアメリカに2年間滞在した経験から、

スーパーのレジでも、郵便局でも、

何しろ無愛想でぶっきらぼうな対応に、

日本との違いを感じたものです。

ファーストフード店では、

「Here? To go?」と彼らは聞いてきます。

日本なら店員が明るい声で

「お持ち帰りですか?それとも店内でお召し上がりですか?」

と同じことを聞いてくれますが、彼らの「Here? To go?」は、

とてもそう言われている感じではない。

「持ってく?食ってく?」って感じです。

フレンドリーと言えばそうなのかも知れませんが、

フレンドリーでもないような。

というのは、笑顔で聞いてくるわけでもない、

つまらなそうにぼそっと聞く感じなので。

 


日本の、笑顔や言葉を大事にする文化は、

昔から育まれていたもののようで、

それは幕末や明治の初めに来日した欧米人の

残した記録の数々からも知られます。

彼らが本国に送った記録、あるいは私的に残した日記は、

当時の日本を知る大変貴重な資料です。

そこには日本人の中では当たり前になっていて、

とりたてて記録もしないような習慣、風俗の数々が

写実的に書き記されてあるからです。

 


その文献で多くの欧米人が感銘を受けていることの一つが、

日本人の「ほほえみ」のすばらしさです。

両国の川開きの混雑の際でも、

「ありがとう」「ごめんなさい」と優しい言葉が飛びかったとか。

このようなあいさつは明るい笑顔とともに発せられ、

自分たちを魅了した、と書かれてあります。

「質素な生活の中でも笑顔の耐えない国民だ」

「不機嫌でむっつりした顔には、 ひとつとて出会わなかった」

と書き遺しています。

 


今、日本は毎年、外国人の観光客数が過去最高を更新し、

2020年にはオリンピックも控えますが、

これからも「和やかな笑顔と優しい言葉」和顔愛語の文化で、

世界から一目置かれる日本であったらいいなと思います。

『和やかな笑顔で、和を大切にしている和国、日本』

で外国の人をお迎えしましょう。

 

「自分なんかなんの役にも立たない」という気持ちの時に知っておきたい釈迦の教えとは

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【和顔愛語(1)】

 


誰かのためになりたい、何かの役に立ちたい、

という思いはあっても、

自分なんか才能もないし、体力もないし、お金もないから、

何の役にも立たないと落ち込むことが、私たちにはあります。

そんな思いに沈んだ時に知っておきたい仏教の教えが

『無財の七施』です。

財も力も持たないから人の役に立てない、と思っている人でも、

周りの人に幸せを届けることはできますよと

お釈迦さまが教えられたのが『無財の七施』だからです。

 


その中に教えられている一つが『和顔愛語』です。

和やかな笑顔と、優しい言葉で相手に接することです。

「笑顔で人と接しなさい、

あなたは周りの人を和やかな気持ちにさせることができますよ。

優しい言葉を人にかけなさい、

あなたと接する人を温かい気持ちにさせることができますよ」

と勧められています。

 


今はまだ仕事もして、任される任務もあり、

必要としてくれる人がいて、誰かの役に立てていると思えても

いつ何が起きて私たちは、オレなんか何の役にも立たない、と

落ち込んでしまう事態に陥るかも知れません。

いや、今がそうです、という方もあると思います。

 


たとえば、病気で長期入院すると、そんな気持ちになりがちです。

仕事ができなくなり、収入もなくなり、

いてもいなくても同じ、かえって迷惑をかけるだけの自分の姿に

苦しむ人が多いと聞きます。

その苦しい思いから、つい看護師や見舞いの家族に

八つ当たりしてしまうこともあるとか。

気持ちはよくわかります。

自分もそうなると思います。

 


そんな時にこそ、お釈迦さまの『無財の七施』の教えを、

思い起こさなければならないなと思います。

何も持たない人でも、人の役に立てる行いができますよと、

教えられたことなのですから。

 


入院していても、仕事する体力はなくても、

和やかな笑顔と優しい言葉で看護師さんや家族に接する、

『和顔愛語』はできます。

看護師はきつい仕事で離職率も高い職業です。

患者のお世話をしたいという高い志で看護師になっている人が、

自信を失い、嫌になって辞めてしまうのは残念なことです。

その続けられなくなる原因の一つに挙げられるのが、

患者が怒りや冷たい態度で接してくることへのストレスです。

 


患者であるこちらが、笑顔で接するように心がけ、

「大変ですね」「いつもありがとう」と優しい言葉をかけると、

看護師は励まされた気持ちになり、仕事に誇りと自信を取り戻し、

がんばろうという気持ちになります。

看護師にとって、患者の和やかな笑顔と優しい言葉が、

生きる力になることもあるのです。

 


見舞いに来た家族にだって、何の役にも立たないことはありません。

私の友人で、小学生の時、お祖母ちゃんの入院しているところへ

見舞いに行くのが大好きだったという女性がいます。

その理由は、忙しくて親も聞いてくれない自分の学校の話を

いつもニコニコ聞いてくれて、

図画工作で金賞を取った時はすごく喜んで、ほめてくれて、

そういう一つ一つのことがうれしかったからと言っていました。

入院して1年後に亡くなられたそのお祖母ちゃんは、

孫に大きな幸せを、入院先から届けていたのですし、

その温かい記憶は、今の彼女の心を支え続けています。

 


何の役にも立たないからと仏頂面になり、

周りに壁を作って孤独になるか、

そんな中でも和顔愛語に心がけ、

周りに幸せを届ける存在になれるか、

『無財の七施』は、苦境の時こそ知っておきたい、

お釈迦さまの教えです。

 

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頼藤和寛氏は人生をどう例えているか

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【後生の一大事(3)】


精神科医であり、作家でもあった頼藤和寛氏は、52歳で

末期ガンの宣告を受けた時の心境を、著書にこうつづっています。

「これまで平気で歩いてきた道が実は地雷原だったと教えられ、

これから先はもっと危ないと注意されたようなものである。  

それでも時間の本性上、退くことはおろか、

立ち止まることもできない。無理矢理歩かされる。

次の一歩が命取りなのか、

あるいはずいぶん先のほうまで地雷に触れないまま進めるのか。

いずれにせよ、生きて地雷原から抜け出ることだけはできない」
 
(『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』)

 


頼藤氏は、この手記を書いて一年も経たずに亡くなりました。

次の一歩で爆発するかもしれない道を歩いているのは、

自分だけでない、誰もが歩いているのだとも、氏は書いています。

地雷原はガンだけではありません。

脳梗塞、心臓疾患、地震、火事、津波、ミサイル、核爆弾、

交通事故、飛行機事故、強盗殺人、通り魔・・・

世の中は地雷だらけです。

 


私は現在48歳ですが、よくぞ今まで数々の地雷を踏まずに

(無頓着なまま、かいくぐってきたのですが)

ここまで歩いてこれたものだと思います。

これからも思わぬところに地雷は埋まっており、

年齢を重ねるにつれ、より地雷密集の危険地帯に

足を踏み入れなければならないのです。

頼藤氏は53歳で地雷を踏んでしまったのですが、

私はその歳まで踏まずに歩けるかも分かりません。

 


そんな方向へは歩きたくありません、と言っても無理です。

「時間の本性上、退くことはおろか、

立ち止まることもできない。無理矢理歩かされる」

と頼藤氏が表現した通りです。

否応なしに死ななければならないことを

「無理矢理歩かされる」と書き遺してます。

 


「末期ガンだったが、奇跡的にガンが消えた」

「飛行機事故に遭ったが、九死に一生を得て救出された」

そんな時、私たちは「助かった、助かった」と喜びます。

しかし「死ななかった」ことを「助かった」というのなら、

頼藤氏が言うように

「いずれにせよ、生きて地雷原から抜け出ることだけはできない」

私たちは遅かれ早かれ必ず死にますから、

本当の意味で「助かった」ことがありません。

この一大事を、仏教では「後生の一大事 」といい、

この解決一つを目的に親鸞聖人は出家されています。

 


そして親鸞聖人は、本当の意味で「助かった」歓喜と感謝を

「ああ、慶ばしきかな、親鸞」と、

その著作に書き記されているのです。

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後生の一大事を解決する仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

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墓と位牌の関係は?亡くなったおじいちゃんはどこにいる?

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後生の一大事(2)】

 


お盆に里帰りして墓参りをするある家族。

親は子供に「おじいちゃんに会いに行くよ」と説明します。

子供は、亡くなったおじいちゃんは墓にいるのか、と思います。

 


ところが家の仏壇には位牌があり、

「おじいちゃんはここで見守ってくれているのよ」

とも親が言うので、子供は

「あれ?こないだ、お墓におじいちゃんがいるって言ってたのに、

うちの仏壇にもいるの?」

と尋ねます。

 


「お墓は本社で、位牌は支店みたいなものかな」

と親がテキトーなことを言って受け流そうとするが、

子供は釈然としない顔をしている。

 


その一方でテレビを見ている親が

「私は墓にいません。風になってます」という歌謡曲に

いい歌だわ、と言っているので、

「あれ?風になってるんだったら、あの墓参りは何だったの?」

と子供が尋ねる。

親は「歌だから自由に想像していいのよ」と返す。

 


やはり釈然としない子供が、

「ねえ、おじいちゃんがいるのは墓なの?位牌なの?風なの?」

と尋ねると、だんだんうるさく感じてきた親は

「大人になったら自然に分かるよ」とかわそうとする。

「じゃあ大人のお母さんは分かったの?」と尋ねてくるので、

切れ気味になった親が

「分かったわよ、死んだらおしまい!灰になるの!」

と突き放す。

「えっ!じゃあいつも見守ってくれてる、って言ってたのは?」

と子供が驚くので、これはフォローしなきゃと、今度はお父さんが

「亡くなった人はね、私たちの心の中に生き続けているんだよ」

と静かに諭す。

ところが子供は

「あれ?じゃ何でお墓まで行くのさ」と聞くので、

お父さんもお母さんも顔を見合わせて苦笑する。

 


そんな親の様子を見て子供も何か感づくのか、

こういう質問はしないようになり、やがては

皆が言うようなことを上手に口にするようになっていきます。

 


本当は、死んだらどうなる のでしょう。

その真実の答えは何でしょうか。

「必ず行かねばならぬ、間違いない自分の将来なのに、

誰も真面目に考えようとはしないのはおかしいではないか。

この大問題をはっきりさせたい、知らなくて済む問題ではない」

と9歳の時、親鸞聖人は出家されたのでした。

「死んだらどうなるか」

これが親鸞聖人の求道の原点でした。

 

 

 

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