親鸞に学ぶ幸福論

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仏の眼から見ると、全人類は差別がない、それはどうしてか

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仏教に「十方衆生」という言葉があります。

「すべての人」のことです。

仏の大慈悲の対象は「十方衆生」です。

あの人は助けたいけど、あの人は助けたくないという差別は

仏にはありません。

 

人は人を差別します。

皇族の血を引いているとか、

○○民族の血が入っているとか、

血統や民族の優劣を問題にして差別する人もあります。

あるいは高収入かどうかで人を値踏みする人もありますし、

相手の美貌、容姿で態度を変える人もあります。

 

このような差別を受けた経験、あるいは見聞きした経験は、

みなありましょうし、

人間はみな平等でなければならないと思うのに、

何でこんなに差別があるんだろうと

世の理不尽さを呪った人も多いと思います。

 

一方、差別をしないようにと気にするがあまり、

かえって腫れ物を触るような対応をされ、

傷つく人もあります。

 

どうしても差別してしまうのが人間の眼です。

仏の眼は違います。

仏の眼からは、全ての人間は、みな平等に

重い病を抱えた、かわいそうな人、

と見えます。

 

「生まれたときからあんな裕福な家に生まれ、美貌にも恵まれ、

ちやほやされて育ったあの人がなんでかわいそうな病人なのか」

と思われましょうが、

仏の眼からは「生死の一大事」という

怖ろしい病にかかっている、かわいそうな人としか見えないのです。

だから仏は人を差別しません。

 

生死の一大事とは、「必ず死なねばならない」という一大事です。

万人に訪れる一大事です。

以下は、癌にかかったある専業主婦の手記です。

「私が癌にかかっているということが分かったとき、

実に驚きました。

いきなりドカンと頭を殴られたような感じでした。

癌になった人の話は聞いてはいましたけれど、

よりにもよってこの自分がなるとは! 

すべてのものが急に自分から遠のいてしまいました。

夫も子供も、世の中もすべて幕を隔てた向こうの世界のことのようになり、

自分は幕のこちらで、たったひとり、

間もなく死んでこの世から去っていく、という現実と向かい合っているのでした。

私にはいろいろ人生への夢がありました。

その大部分はまだ実行できないでいたことでした。

死というものがやってきたら、どんなに中途半端な人生でも、

そのはんぱなままで去って行かねばならないのだ、

ということに今さらながら愕然としました」

 

今まで差別して浮かれたり、ひがんだりしてきたことは、

すべて幕を隔てた向こうの世界のこととなり、

生死の一大事を前にしたら、

どうでもいいことになってしまいます。

そして、ただただ孤独で、

間もなく死んでこの世から去っていく、という現実と

一人向き合うのです。

こんな一大事をみんな抱えています。

これが全ての人間の姿です。

 

これがわかると、気に入らないと思っていたあの人も

生死の一大事を抱えている気の毒な人であり、

同病相憐れむ気持ちが起きてきます。

 

ちょうど滝壺に落ちる小舟に

乗り合わせてしまった人たちのようなもの。

その小舟の中しか見えない人には、

人よりかっこいい帽子をかぶっている人とか

船からの景色の良い位置に座っているとか、

いちいち気になるでしょうが、

滝つぼがもうすぐ行く手に迫っていることを知る人からすれば、

小船に乗り合わせた人、平等に、

なんとかしなければならない、かわいそうな人、

にしか見えないのです。

 

この生死の一大事を抱えた十方衆生を

平等に救う誓いを建てられているのが

仏教の教えです。

 

 

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