【生死の一大事(1)】
■「ぼーくらはみんなー、生ーきているー♪
生きーているから、うれしぃんだー♪」
というフレーズが耳に残る、名曲「手のひらを太陽に」。
さてこの歌詞、考察してみましょう。
■生きている、ということは、
昨日から今日、今日から明日へと、進んでいくことです。
いくら今日という日に留まっていたくても、留まってはいられない、
否応なく明日に向って、来月に向って、来年に向って歩いている。
■・一月は行く ・二月は逃げる ・三月は去る
というそうですが、もう9月も半ば、
今年も三分の二が終わりました。
早いものです。
「歩いている」というより、「走っている」と表現したほうが
適切かもしれません。
■では進んでいくその先には何がある???
もう確実なのは「死ぬ」ということです。
【生きている】=【死に向っている】
この方程式にもう間違いはないでしょう。
ならば「ぼーくらはみんなー、生ーきている♪」のあの歌は
「ぼーくらはみんなー、死に向っているー。
死に向っているから、うれしぃんだー♪」
という歌になってしまうでないか。
「生きているからうれしいんだ」
「うれしい」のはなぜかといえば、それは「生きている」からだ、
と歌っているんですよ、この歌は。
ならば「生」を踏みにじる「死」は、うれしくないもののはずです。
ところが、その歓迎されざるべき「死」に向って進んでいる、のが
「生きている」という姿の実態です。
「死に向っているから、楽しぃんだー」とは、
もう言えない筈なのに、そういうことになってしまうのです。
■大変大きな矛盾をはらんだ歌ということが
わかられますでしょうか。
これは言葉遊びではありません。
人間存在根本の矛盾であり、哲学何千年の歴史が
いまだ解明できない命題です。
仏教はこれを『生死の一大事』と説きます。
そしてその解決を、唯一の目的としています。
今日から、数回に分けて
「生死の一大事」をテーマに書きたいと思います。
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