【生死の一大事(1)】
人が忌み嫌い、避けたいと切に思っているものを次々と挙げてみましょう。
地震、津波、原発事故、戦争、核ミサイル、がん、認知症、脳梗塞、
借金、介護、倒産、パワハラ、リストラ、ブラック企業、いじめ、・・・
いろいろ挙がってきそうです。
人間の恐れるこれらの項目に共通している概念は何でしょうか。
それは「死」です。
先ほど挙がっているものは、直接、あるいは間接的に、
私たちの「生」を脅かすものばかりが並んでいるのに気付かれるはずです。
これらの諸問題は、対策を立てないと死んでしまうというものです。
生死がかかっていますから、これらの対策に、人は躍起になります。
地震、津波、原発事故など災害対策を重要視し、
戦争、核ミサイル、介護など国会で論じ、
借金、介護、倒産で窮地に陥らないよう、貯金もし、
、
がん、認知症、脳梗塞の対策のため、健康管理に余念がなく、
パワハラ、リストラ、ブラック企業、いじめなどを避けるために人間関係に神経を使い、
一生懸命「生きよう」「生きよう」とします。
言い方を変えればこれらの対策は、
人間の「死を遠ざけよう」という懸命な姿なのです。
人間の営みとは「死」との不断の戦いであるといえましょう。
ですが「死と戦う」というと、あまりに巨大で途方もないことなので、
私たちは「死」にオブラートをかぶせたものを問題視しているのです。
本質的に「生きる」とは、日々「死」と戦っている姿です。
今日一日「生きた」ということは、
今日一日「死なずにすんだ」「死に負けなかった」ということです。
しかし悲劇的なことには、この戦いはいつか必ず負ける戦いです。
いつか必ず人は死ぬのですから。
人間は、死に向かって進んでいる存在です。
死ぬのは嫌だ、と毎日、懸命に対策を立てていながら、
その姿は同時に、一日一日確実に死に近づいている姿でもあるのです。
【絶対死にたくない者が、絶対死ななければならない】
こんな矛盾はありません。
私たちはさまざまな世の矛盾を指摘しますが、
実は己自身こそが、最大の矛盾を抱えた存在なのです。