【愚痴(2)】
仏教に『惑業苦(わくごっく)』という言葉があります。
「惑」とは、迷い・惑い・煩悩のこと。
「業」は悪い行い。
「苦」は苦しみのことです。
「惑」が「業」を生み、「業」が「苦」を生む、
そして「苦」が「惑」を生む。
「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒・・
延々と続いていくと説かれています。
■一例をあげましょう。
「分かってくれない」とすぐに口にする人があります。
いや、口にはしなくても、そう思い続けている人、
何かあるとすぐに思ってしまう人も多いでしょう。
(私も人のこと言えません。。)
「夫が全然分かってくれない」
「親が全然分かってくれない」
「上司がちっとも分かってくれない」
この「分かってくれない」とうらむ心を、
仏教では『愚痴』といいます。
この愚痴の心は、漢字一字では【惑】と書きます。
【惑】が【業】を生む。
『業』とは行為のことです。
「分かってくれない」という愚痴の心が、
言葉や態度にどうしても出てしまいます。
それが『業』。
『目は口ほどにものを言う』
どうしても心は態度に出てしまうものなのです。
そういう不満を、その人の表情や言葉から
当然上司は感じ取りますので
「あいつは扱いづらい」というレッテルを貼られることになります。
そうなれば、職場にだんだん居辛くなることでしょう。
これが、【業】から【苦】を生む、ということです。
その職場で評価されないという苦しみから、
またも「分かってくれない」という【惑】の心を起こします。
これが、【苦】が【惑】を生む、ということ。
余計「分かってくれない」と恨みます。
こんな心で仕事をやっていますから、
やる気をなくし、ミスもするようになります。
これが【業】。
その結果として会社からリストラされます。
これが【苦】。
リストラされた後に、再就職の活動をしても、
そんな心の状態の人を採りたい会社はありませんので、
職が決まりません。
その【苦】からまた【惑】の心が起こります。
「上司が分かってくれない」から
今度は「社会が分かってくれない」になる。
自暴自棄になって、刑事事件をおこします。
その結果、刑務所に入る。
惑業苦の輪が一度回り始めると、なかなか止められず、
地獄の苦しみまで堕ちていくと説かれています。
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