【布施(1)】
『三寸の舌に五尺の身を亡ぼす』ということわざがあります。
一言よけいなことを言ってしまったばかりに
関係が破綻し、自らの立場を失うという意味です。
逆の場合もあります。
何気なくかけた一言が、相手を感動させ、
その一言が失意のどん底から救うこともあります。
一言が人生を輝かせもし、暗くもする原因になりますので、
私たちは言葉に細心の注意を払わねばなりません。
では言葉を発する際、一番大切なことは何でしょうか。
それは「相手への思いやり」だと仏教は教えます。
「何を言うべきか」「何を言ってはいけないか」の前に
まず大事なのは「何を思っているか」なのです。
なぜ「言葉」の前に「思い」が大事だと釈迦は説かれるのでしょうか。
それは「心」が「言葉」に現れるからですよ、と言われています。
どれだけ言葉を飾ったところで、
その人の心がどうしても、にじみ出てきてしまうのです。
講演会でも、講師の口調、語勢、表情から、
その人の一番言いたいことはここだな、とわかるものです。
外国語で言葉の意味が分からなくても、
その人の最も伝えたいのは、今喋っているところだなと
表情や身振り手振りでも感じ取れます。
逆にここは口だけ言っているだけで、
本人は実際はそんな風に思っていないんだろうな、というのも
透けて見えてきます。
「心」が「言葉」や「表情」に表れてしまいますので、ごまかせません。
私は講座に立つ時、最も大事なのは「これを伝えたい」という、
その人の芯となる情熱だと思っています。
それがない人の講座は、内容も薄っぺらく、聞くにたえません。
これは執筆でも同じことがいえます。
朝日新聞のコラム天声人語で知られる辰濃和男氏は
「いい文章のいちばんの条件は、これをこそ書きたい、これをこそ伝えたいという書き手の心の静かな炎のようなものだ」
と述べています。さらに
「その静かな炎は、必要な言葉を次々にあなたに贈ってくれるでしょう」
と書いていますが、同感です。
ブレイク中の俳優、高橋一生が、何かのインタビューで
「どんな役を演じても、本人の演技に人となりがでる」
と言っていました。
自分と異なる人格、職業、台詞、行動を徹底して演じていても
自分の素の部分がにじみ出ると彼は言うのです。
カメラの回っている時、舞台に立っている時だけでも、
違う人格になりきろうにしてもそこに必ず、
役者自身の素の部分が出てしまう、というのですから、
ましてや四六時中接する人に対して、
心を見せないよう、素の部分を見せないよう、
口や態度で隠し通そうとしたって、できるものではないのです。
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