【名誉欲(2)】
「死の美学」という言葉があります。
「かっこよく死にたい」
「人から立派だったと思われる死に方をしたい」
「あんな浅ましい死に方はごめんだ」
と死に方にこだわることです。
これも人間の持つ名誉欲 が成せるわざだと、仏教では説きます。
弁慶が、主君・義経を守るために門前に立ちはだかり、
全身に矢を受け、立ったまま死んだ逸話が、
忠義を尽くす武士の誉れだと語り継がれて、
かくありたいと多くの武士があこがれました。
僧侶なら「さすが高僧だ、安らかに死んでいった」とか「辞世の句が深かった」とか
死後に受ける世間の賞賛を願い、
人が嘲り、失望するような死に方だけはしたくない、と気を揉んできました。
今日でも、イスラム世界では自爆テロで死ぬ人がありますが、
これも名誉欲と切り離せません。
自爆テロは彼らのコミュニティでは「名誉ある死」とされ、
「聖戦(ジハード)の英雄」として讃えられますので、
自爆テロを志願する者は絶えません。
「こういう死に方をしたら、皆ほめてくれるだろうか」
「あいつは立派だったと言ってもらえるだろうか」
と死に方にあこがれ、死の美学を追求するのは
人からよく見られたいという「名誉欲 」に他ならないことを、
お釈迦様は喝破されています。
「死んでも悔いなき、生きる意味は何か」
「死んだら私はどうなるか」の本質的な問いをそっちのけにして、
「どうしたらみんながほめる立派な死に方ができるだろうか」
ばかりに心を奪われています。
生まれてから死ぬまで人の目にどう映るかばかりに
神経すり減らすのが私たちの実態ですが、
その名誉欲に引きずられる姿は、最後の死に際まで及ぶのです。
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