親鸞に学ぶ幸福論

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相対の幸福しか知らない私たちに絶対の幸福を説かれた親鸞聖人

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【相対の幸福(1)】


江戸時代、漬物の葉を巻いた握り飯を食べる下級武士は

海苔を巻いた握り飯を頬張る上士を見て

「オレも海苔を巻いた握り飯を食べるまでに出世したい」

と羨んだそうです。

 

現代の感覚からすれば、

海苔のおにぎりと漬物の葉のおにぎり、同じようなものじゃないか、

どうでもいいことにムキになって、と苦笑しますが、

その時代の、その立場の人にとっては、

それは決してどうでもいいことではなく、

その「おにぎり」は、相手との優劣をはかる一つの象徴だったのでしょう。

 

江戸時代の武士の「おにぎり」は、

今日なら、乗っている車の車種だったり、

子供の通っている学校だったり、と

比較優劣の象徴は変化しましたが、

いつの世でも、誰かと何かを比較しては優劣を判断し、

一喜一憂している姿自体は、何ら変わりません。

 

よく自己啓発や心理学の本で

「比較しなくてもいい。あなたはあなたでいい」

との主張を聞きます。

確かに、人は人、自分は自分、と気にせずに生きられれば

クヨクヨせずに済み、どんなに穏やかな心になるだろうと思うのですが、

問題は「そんな心になれますか」ということでしょう。

 

どうしても他者と比較し、ねたんだり、ひがんだり、自惚れたりするのが、

人間の本性です。

比較して生じる、妬み、そねみの心を仏教では『愚痴』といい、

自惚れる心を『慢』といい、

その二つとも、人間がもう離れられない六大煩悩に数えられています。

 

人間だけではない、ウサギも格差を嫌がるという実験データがあります。

ウサギをAとBの二つのグループに分け、

双方ともに与える餌を減らします。

両グループともひもじい思いをするのですが、違う点がありました。

それはAグループが、自分たちだけしか見えない隔離した部屋だったのに対して、

Bグループは、たっぷりのエサをもらえる仲間のウサギの部屋をオリ越しに見えるようにしたのです。

Bグループのウサギは、仲間が好きなだけ餌を食べる様子を見たり、

エサの匂いをかいだりできる環境だったのです。

 

両グループを八週間飼育し、どれだけのストレスを感じたかを調べた実験結果は顕著でした。

たっぷりの餌を食べて満足そうに暮らす仲間のウサギを見ながら、ひもじい思いをしたBグループのウサギの方が、

ただ単にお腹をすかせただけのAグループより、

はるかに心臓の細胞にダメージを受けていることがわかったのです。

 

両グループとも減らされたエサの量は同じです。

ダメージが大きくなった原因は、

仲間と差をつけられること、格差に対するストレスと考えられています。

 

そんなウサギに

「気にしなければいいのだ。そうすればストレスなく生きられるぞ」

と諭してもわかるものではありませんが、

この点に関しては、人間もウサギと同じです。

どうしても比較し、妬んだり、ひがんだり、自惚れたり、見下したりしてしまうのが

私たちの実態なのです。

 

ではそんな私たちが、本当の幸せになる道は、果たしてあるのでしょうか。

親鸞聖人は「ある」と断言されています。

人と比較しなくてよい、

一人いて一人喜べる「絶対の幸福」の厳存を、説き明かされています。

 

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