親鸞に学ぶ幸福論

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親鸞聖人下山の謎

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【下山(1)】


親鸞聖人は29歳の時、

20年間励まれた比叡山での仏道修行を捨てられ、

一人下山されています。

なぜ親鸞聖人は比叡の山を下りられたのでしょうか。

その理由を知ることは親鸞聖人とはどんな方だったのか、

どんなことを教えられた方だったのか、を知る上で、

大きな示唆を私たちに与えてくれます。

 

下山する、というのは安易な行動ではありません。

親鸞聖人は9歳で出家されてより20年間、

全身全霊を投じた学問修行を捨てられたのです。

よほどのことです。

ふつう2年か3年打ち込んできたことでも、

それをやめるというのはつらいことであり、決意が要ります。

司法試験合格に向かって5年間受験勉強してきたけどあきらめた、

甲子園目指して3年間必死に練習したけどかなわなかった、

としたら、どんなにこそつらく苦しいことかと思うのです。

親鸞聖人は3年、5年どころではない、20年間です。

 

しかも物心ついた9歳から29歳までですからまさに青春時代、

いろいろしたいこともたくさんある多感な時期です。

そんな時期に食べたいものも食べず、

飲みたいものも飲まず、

したいこともせず、

ひたすら仏道修行に励まれた20年間でした。

その20年間の仏道修行をすべて捨てられて山を下りられた、

ということは大変な覚悟であったに違いありません。

 

「仏道修行がつらくて逃げ出したんだろう」

と思われる方もあるかもしれません。

当時の比叡山にはそういう人も少なからずありました。

不眠不休の修行、肉類のないの簡素な食事、

異性のない環境、厳寒の山中、

根を上げる人がいても無理はありません。

 

しかし親鸞聖人の場合、それは当てはまりません。

「叡山の麒麟児」とまで評された方です。

麒麟児とは、何十年に一人の逸材のこと。

親鸞聖人は比叡山において

修行でも学問でも親鸞の右に出る者はないだろう、

と噂される方でした。

事実、大曼の難行までなされた方です。

大曼の行とは比叡山でも最も激しい難行で、

最澄が比叡山を開山して以来成し遂げた人は数えるほどしかいない荒行です。

その大曼の行まで成し遂げられ、

周りからも逸材と評された方が親鸞聖人ですから、

修行がつらくて、自信を失って、断念されたというのではありません。

 

20年間も居住なされたのですから、

さまざまな人間関係もあったに違いありません。

お世話になった方もあったでしょう。

下山するということはそれら恩義を受けた人を

裏切ることにもなります。

なかなかできることではありません。

 

また比叡山の僧侶という立場はそれ自体、

当時としては一つのステイタスでした。

生活も保証され、

今後、地位も名声も手に入るであろう身なのです。

下山は、そのすべての地位や立場を失うことを意味します。

 

さらには親鸞聖人は下山されたことで

叡山の人たちからは「恩知らず」と罵られ、

世間の人からは修行がつらくて逃げ出した「堕落坊主」と

嘲笑されることとなりました。

しかもその中傷は生涯続くのです。

 

もちろん親鸞はそんな中傷があることも重々承知の上で、

下山を決意されたのです。

なぜ、そこまでの決意をされたのでしょうか。

よほどのことに違いありません。

一切を否定されて、山を下りられた親鸞聖人の覚悟の裏には

一体どんなことがあったのでしょうか。

今回は親鸞聖人の下山の謎に迫ります。

 

 

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