【浄土真宗(1)】
「浄土真宗は仏教なんでしょうか」という質問を時々受けます。
私は専門は浄土真宗ですので、このような質問をしてこられるのでしょうが、こう質問してこられる方はたいていちょっと仏教を学んでおられる方です。
浄土真宗、親鸞聖人の教えを学んでいきますと、仏教の教えをある程度学んだ人が「いや、ちょっと待てよ…。こんな教え、聞いたことないぞ」と戸惑われることがあるのかなと感じています。
それは今日だけではありません。
親鸞聖人がおられた時からそうでした。
当時の日本の仏教界に親鸞聖人の教えはあまりにも衝撃的で、非難の嵐が巻き起こっています。
僧侶には固く禁じられていた肉食妻帯を断行され、「破戒僧だ」と総攻撃を受けられています。
仏教を破壊する仏敵だとまで中傷されました。
親鸞聖人の教えられた、その常識破りの衝撃的な内容に、「本当にこれが釈迦の教えとはとても思えない」と唖然とした人がいたのもわかります。
たとえば煩悩が苦しみの原因であり、この煩悩の火を消し、悟りを開くのが仏教だと皆思い込んでいたところに親鸞聖人は「煩悩あるがままで救われる仏の救い」を明らかにされています。
煩悩や執着、我執が苦悩の根元ではないと言われたのです。
これはその心と向き合って何とか抑えたい、なくしたいと励む多くの仏道修行者には青天の霹靂だったに違いありません。
また有名な歎異抄には「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」とあります。
「善人でさえ救われる、ましていわんや悪人はなおさら救われる」と親鸞聖人がおっしゃったお言葉です。
仏教は善功功徳を積んで修行して悟りを開く教えだと思ってる人からすると、悪人こそ救われると説かれた親鸞聖人は仏教の教えと真逆ではないかと思う人がいても無理もありません。
親鸞聖人の教えは深遠で、なればこそ誤解しやすい所があります。
重ねて聞かないと、なぜ親鸞聖人の教えがブッダの教えそのものであるか、なかなかわかりません。
しかし親鸞聖人の教えこそがブッダの真意なのです。
なんでそう言えるのか、ここをこそよくわかっていただきたい、特に浄土真宗の門徒の方には知っておいていただきたいところなのです。
こちらは『浄土真宗は仏教なのか』ということをテーマに、親鸞聖人の教えとブッタの教えの関係をお話ししています。
ぜひご視聴ください。