【業力(1)】
「この人を好きになってはいけない」が恋の始まり、
「この人を好きにならないといけない」は恋の終わり、といわれます。
人を好きになるのは、理屈ではありません。
「私の年収はこれこれで、年齢や社会的魅力から判断すると、
同僚のA子さんにプロポーズするのが最適だ」
と頭の中で分析、計算してから、
「うお~!A子さんが好きだ~!」
と熱を上げる人はいません。
理性は恋の衝動の後に動きます。
「ああ、ステキな人だ!」とまず雷の一撃があり、
その後で遅ればせながら理性が活動を始めて
「でも、どうやって彼女に近づけば・・・」
と作戦を練るのです。
計算では、どうしても好きになってはいけない人、
理性的に判断すれば、遠ざけなければならない人であっても、
惹かれてしまい、自分で自分の気持ちがどうにもできない時もあります。
この理屈や計算ではどうにもならない、恋の衝動はどこから起きるのでしょうか。
仏教では自分の持っている深い「業力(ごうりき)」が、
自分を動かしてしまうのだと説かれています。
「業(ごう)」とは、インドの言葉では「カルマ」、日本の言葉では「行為」のことです。
私たちが過去にしたさまざまな行いが「業力」となって、
特定の「その人」を好きになってしまうのです。
それは理屈や理性では抑えきれない、ものすごい強い力であり、
釈迦が「業力は大象百頭よりも強い」と説かれているのは、そのことです。
当時インドで一番力の強い象を引き合いに出され、
大きなゾウ100頭後からよりも強いのが業力だと仰り、
誰も止められない、といわれています。
「こうして、こうなれば、こうなると分かりつつ、こうなった二人」
という言葉もあります。
不倫でせっかく積み上げてきたものを棒にする人は後を絶たず、
やがてこうなるとわかりながら、なんでやめられなかったのか、と思いますが、
何者も妨げることができない強い業力に動かされているのだから、
どうにもならないことなのでしょう。
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