親鸞に学ぶ幸福論

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すべての人が見過ごしがちな「運命」とは

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「これも運命なのか」

「運命を受け入れるしかない」

何か「運命」と聞くと、

ベートーベンの交響曲に代表されるような、

衝撃的なことが人生に起きた時に使われます。

 

しかし考えてみれば、「運命」とは、

必ずしも私たちにとって

悪いことが起きたときの言葉だけではありません。

人間は自惚れているからか、

良いことはとかく当たり前なこととして受け流しがちです。

 

例えば、大きな病気になることもなく、健康であること

あるいは、家族仲良く暮らしていること。

自分を大切に思ってくれる人が身近にいること、

そういうこと一つとってみても、

全く不思議な巡り合わせで、

なぜそんなことが自分に起きているのか、

その幸運に恵まれていることを受け止めてしかるべきでしょう。

 

私が30代の時、知り合った当時同年齢の友人は

がん再発に気を使い、

菜食中心に切り替え、

体を冷やさないよう、砂糖やコーヒーにまで節制し、

がんを嫌う気持ちがストレスとなるのは良くないからと、

がんのことを「ぽんちゃん」と呼んで

友達のように接していく、と努めていました。

 

結局その友人はがんの転移で亡くなっていったのですが、

その時は私も考えたものです。

なぜ自分のようにジャンクフード食べたり、

暴飲暴食している者ががんにかからず

彼女のように努力している人ががんにかかるのか。

 

友人も口にこそしませんでしたが、

なんで私だけがこんな目に」と

私のような者を見て、思ったかもしれません。

 

入院している友人の見舞いに行ったときも、

他のベッドにも自分より若い人たちで

重い病気になって入院しているのを見て、

「なぜ私ではなく、彼らが病まねばならなかったのか」

とやはり思ったものです。

 

別にがんで入院していたのが自分であっても何の不思議もない、

一定数の割合で、若くしてがんにかかる人はいて、

その中に自分がいてもおかしくない、

そう考えていくと、彼らが私に変わって病んでいる、

と言っても言いすぎではないように思えてきます。

 

本当はこうして健康に生きていること、

その幸福な運命を毎日深く感謝してもいいのですが、

何かよほど特別な慶事でもない限りは、

運命を感謝することもなく、

ただ悪い運命のみを深刻に受け止めているように思います。

 

世は無常、いつ何が起きてもおかしくないこのはかなき世にあって

自分が今受けている運命は、とても恵まれていて、

いつか消えゆく貴重な一時であることを

かみしめなければならないのでしょう。

 

 

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