■「人生とは自転車のようなものだ」
と言ったのはアインシュタインです。
倒れないようにするには走らなければならないということ。
親鸞聖人は
「人生は苦しみの波の絶えない海のようなものだ」
と教えられています。
溺れないように、泳がなければならないということ。
■生きるのは簡単ではありません。
現代の日本なら、家賃や家のローン、年金や税金、ケータイ料金、
医療費、各種保険料、etc
趣味や娯楽抜きにして、基本的な「生きる」という状態を
確保するだけでも、どれだけお金が要ることか。
先ず先立つものは金。
道に落ちているものではないし、
みな人に渡したくないものですから、
それを手に入れようとしたら
働かなければなりません。
■働く時には、心身の健康、才能、資格、人間関係、
あらゆるものが要求されます。
劣等感やプレッシャーや理不尽さには
常に向き合わねばなりません。
それに加えて思わぬ天災や人災も襲ってきます。
家庭を持てば、責任も心配も増えます。
こういうのと向き合うのは嫌だからと逃げていたら、
どんどん苦しくなっていき、
生きられなくなってしまいます。
■生きること、生き続けることは大変なのです。
作家の城山三郎がこんなことを書いていて心に残りました。
「一つの会社に孜々(しし)営々と十余年つとめているということ、
そして、妻子をかかえて暮らしていくということ
それはじゅうぶんに人間としての重さを感じさせてよいことだ。
人間としてのたしかさを認められていいことではないか。」
学生のころに読んでも何の感慨もなかったと思いますが、
今読むとなるほどと思います。
当時の私は苦労知らずの子供過ぎたからです。
お年寄りの姿を見ると、大変な中乗り越えて、
ここまで生きてこられたんだなと
人間としての重みを感じるようになりました。
■こうして苦しいことも乗り越えて生きてきた人たちが
その結実として、
「生きてきてよかった」
「この身になるための人生だったのか」
と今までの苦労がすべて報われなければならないと思います。
■女子中学生が手をつないでホームから
電車に飛び込んで自殺する事件がありました。
何があったかわかりませんが、
生きる希望を失う子供たちは後を絶ちません。
「人生は苦しい。しかし、生きてきてよかったと
満足できる素晴しいところがまた人生なんだよ」
と言ってあげられる人生、
身体で示していける人生でありたいものです。
■苦労して泳いできたけれども、結局陸地にたどり着くことなく、
海の藻屑と消えていくだけなら、
何のために頑張ってきたのか、ということになってしまいます。
これを人類の終末にするわけにはいかないと
九十年の生涯、救助の大船あることを教え続けられたのが、
親鸞聖人でした。